1年のその大半を雪に覆われ、交易ができるのも1ヶ月もない夏の間だけというコルナベルトだが、それでもその短い夏季を見計らって旅人が訪れるのにはやはり理由がある。
そもそも、ほぼ永久凍土に近いようなこの土地で、ここまでしっかりした街ができているのは珍しい。村ならばまだしも、壁に囲まれ、石畳の上に建物が建っているような街を作るのには、相当な財力と労力、そして根気が必要だ。
それでも先人たちがここに街を造ろうと決めたのは、ある特殊な植物がここ周辺にのみ自生しているためである。
夏季の交易もほぼそれによって成り立っており、いわばコルナベルトの命の水であるその植物は、名を「蛍白百合」と言う。
雪の間から除かせた花弁が、蛍のように光っているのが名の由来だと、レノは学校で教わった。
長期的な寒冷気候とある特殊な土壌によってのみ生育が可能だとかレノにはよくわからない理由で、蛍白百合はコルナベルトの特産品と相成っているのだそうだ。
当然夏季が訪れた街の中では、そこかしこに蛍白百合の売り子がいるわけだし、そこで荷を降ろして交渉する旅商人の姿も毎年の光景の一部を担っている。
何故そんなにも蛍白百合の需要があるのか。レノはそんな風に考えて父に尋ねたことがあった。
当時クレイが生まれて間もない頃だったから、レノはまだ初等学園に通っていたころだった。そんな幼いレノに、父は冗談めかしてこう言った。
「魔法使いの人たちが必要にしているんだよ」
数年後、7年生の上級学校に進学したレノは、最上級の観葉植物としての地位を蛍白百合が獲得しているという至極常識的な解答を学ぶことになった。
30000HIT記念リク:「雪降る街」―2―
薬屋の場所を教えてくれ。
そう依頼した少女を連れて歩くこと3分、街で一番大きな薬屋にレノとトロンは到着した。
そうして二人で顔を見合わせてどうしたものかと肩をすくめる。その薬屋からがっかりした顔をした少女を連れて出てきたのは、すでに5分ほど前のことになる。
「もう一度聞くけど」
レノは白髪赤眼の少女に、フードの上から優しく言葉をかける。
「何がなかったの?」
無言。先程からまるで押し問答をしている気分だった。
薬屋の場所を教えてくれ。
そう依頼してきたのは、ほかならぬその少女であったのに。
それ以来、おおよそ10分の間一言も発していない、いや薬屋で一言「……ない、です………」と呟いた以外無言を貫いている少女に、レノは困ったようなじれったいような感覚を味あわさせられていた。
トロンも似たような面持ちだが、こちらはわりと楽観的で、
「ないんだったら次の店に行ったらいいんじゃないの〜?」
ここになければ他の薬屋にあるのか、とレノは言いたかった。街で一番大きな薬屋であることは疑いない3階建ての薬屋にないのなら、少なくともコルナベルトにはないのではないか。
と思うのだが、しかし雪のような少女が必要としているものがはっきりしない以上、それ以外にいい方法も見つからないわけであるのも否定できない。
というわけで、先程から次の薬屋に向けて歩み始めた3人であった。
歩きながらも、レノは少女に話しかけた。「名前は?」とか「どこに住んでるの?」とか「珍しい色の髪だね」とか「お母さんのおつかい?」とか、およそ考えうることを全て。
その悉くを無意味な音節の羅列に変えてくれる少女の無言という最強の武器は、出会ってからいまだ崩されない鉄壁の城砦であった。
当初は少女が恥ずかしがっているのかとか自分たちを警戒しているのかとか考えていたレノだが、やがて自分たちのほうに非があるという考え方は頭の中からきれいさっぱり消え去って、いい加減我慢強いなぁ私とかクレイとは別の意味で面倒そうな子だなとかああでもこういうときにクレイとの付き合いで培った我慢強さは役立ってるなとかだんだんと投げやりな思考を繰り返しつつあった。
というのも、そうこうしているうちに、次に訪れようとしている薬屋が村で3つ目のそれであるからだ。
レノが知りうる限りでは村には薬屋は3つしかない。あの大型のものと、それには劣るが2階建てでそれなりに大きなものと、そしてレノの家の近くにあるいま向かっている薬屋である。
ここでなかったら仕方ないけど少女には一人で探してもらおうかな、と口数の減ったレノは思う。
玄関の鈴が鳴ってからおよそ3分、あくびを始めたトロンを肘で小突きながら少女の視線を追っていたレノは、本日3度目の
「ない、です………」
を耳にした。
「〜〜〜っしよっかなぁ………」
空は雲ひとつない、この街でなくとも文句がないほどの快晴。太陽がその真価を余すところなく発揮しているためか、非常に暑くなっている。
当然寒さに慣れていても暑さに耐性のないコルナベルトの人間は初めのころに見せていた活発さはどこへやら、暑さにうだる人の姿も多くなってきている。
それに、今は日中。最も気温が高くなるとき。
偏屈者として有名だった氷菓子作りのおじいさんの露店に行列ができているのが見える。普段は見向きもしないのに、こういうときだけ調子がいい。かくいうレノも氷菓子バーを片手にベンチに座っているのだが。
「どうしよっか〜〜………」
溜息混じりに氷菓子を噛む。歯に染み渡る冷たさが暑さに反比例して気持ちいい。
しかし、先程通りすがった旅人が「いや、ここは涼しいですね」と街の人に話しかけていたのを聞いたためもあって、レノの元気は急下降中だ。
正反対に普段どおりなトロンはもう棒だけになった氷菓子バーを口の動きで上下させている。それにも飽きたのか、棒を右手に持ちかえてレノのほうを見た。
「どうしよっかって言っても………」
トロンの視線はレノの向こうを向いていた。そこには意気消沈という言葉も生易しい、意気陥没、意気沈下と言ったほうが正しく聞こえるようなネガティブオーラ発散中の少女がいた。赤い眼は手元の氷菓子―――レノが買い与えた―――を見ているようで、実は地面を透かしたその先の地底を見ているのかもしれない、というほど虚ろだ。
まだ眼窩のない人間のほうがまともではなかろうか。
レノは再び溜息、をつこうとして止めた。ここで溜息をついても何か変わるわけでもないし、何より目下一番溜息や悪態をつきたいのは少女だろうと思えたからだ。
残った氷菓子バーを口に放り込む。立ち上がりながら棒を後ろ手に投げ、棒はきれいな弧を描いて屑入れに入った。
「………トロン、あんた他に知ってる薬屋ある?」
トロンは一瞬虚をつかれたような表情を見せ、
「………あったら、もう案内してるけど、」
右手の棒をレノのように投げつつ立ち上がる。
「僕は、この街のことを全部知ってるわけじゃないからね。知ってる薬屋は、あれで全部だよ」
「だったら、探す必要があるわね」
レノは不敵とも取れる笑みを浮かべ、隣の少女の手を取った。
過剰反応とも取れるほどの勢いで身を引いた少女を、しかしレノは放さなかった。これまでのことで、多少自棄になっていた、というのも影響しているが。
「じゃ、薬屋さん探しに行くわよ!」
少女が眼を白黒させるうちに、レノはその手を取って歩き出す。
解けかけた氷菓子が、少女の手から地面に落ちた。その後で、歩き出した少女の小さな足に踏まれて潰れた。
「―――とはいったものの」
レノとトロンは、腰に手をあてて佇んでいた。その表情は、呆れとも、諦念とも取れるような、微妙で複雑なもの。
二人の間の少女の目は、わずかに光を取り戻していた。
「ホントに、見つかるとはね」
三人の目の前に佇む小さな建物は、街のはずれに位置する旧市街の一部であった。かつて起こった雪崩によって捨て去られていたはずだが、何故かこの一軒―――薬屋、と銘打ってある看板を下げた小さな建物にだけ明かりがともっていた。
一応入ってみると、外とは断絶された真っ暗な世界が広がっていた。明かりがともっていた理由がうかがえる。こんなところにずっといたら、昼夜の感覚などすぐに狂うに違いない。
「―――おや珍しい。街の人間か」
奥から響いた声に反射的に身をすくめる。
………別に、びっくりしたわけじゃない。横目にトロンを睨みつけながら視線でそう告げるレノだが、当のトロンはレノを見ていた様子はなく、声のした方向だけに視線を向けていた。
奥からランプを持って近づいてきたのは老婆。恐らくは店主だろう。
「それで、何の用だい?冷やかしだったら帰っておくれ」
老婆が面倒くさそうにレノたちをねめつけたのとほぼ同時。
「―――ぁった………!」
小さな叫びが聞こえる。首を向ければ、果たして、その無表情を喜色に染める少女がいた。
「蓮華水晶、雪蛍の粉末、エレノアの火薬、イルフェ・トレッガの錬金粉、全部、全部あるっ!」
叫びはだんだんと大きくなり、ついに耳をそばだてなくても全員に聞こえる大きさになっていた。
花が開いたように笑顔に染まっていく少女に対して、老婆がその表情を驚きから疑念、あるいは警戒とも取れるようなものに変えるのを、レノは捉えていた。
笑顔をこちらへと向け、恐らく先程呼んでいた名前の薬の類であろう、それらが入っている瓶やら箱やらを指差した少女は、しかし老婆を見て固まる。
笑顔の眉がひそめられ、初めて会ったときのような小動物的な怯えの表情に近いものを形作っていく。
すこしだけ苦笑して、レノは少女の変わりに老婆に語りかける。
「あの、あの子あの薬が欲しいみたいなんです。売ってくれませんか?」
しかし老婆は苦い顔だ。こちらは客のはずなのに、となぜか居心地の悪さを感じるレノ。
「………残念だけど、あんたら街の人間に売るものはないんだよ。さ、帰りな」
「な―――!」
明らかに客に対する態度では、ない。急速沸騰したレノの頭を、しかし
「―――待って!」
少女のか細く、しかし大きな声が冷ます。老婆もレノと似たり寄ったりの表情で、近づいてくる少女を見つめている。
「…………………………これ」
差し出されたものは、手紙だった。少女の肌のように真っ白な便箋。老婆が不審げにその封を切り、手紙を取り出す。
しばらくその手紙に眼を通していた老婆だが、やがて納得した表情に戻った。
「なるほどね………道理で用意していたのになかなか来ないわけだ。あんたらはその代理、ってことかい」
言うが速いか老婆は裏に引っ込み、理解の及んでいないレノを無視して、少女の前にいくつもの箱を置いた。
「とりあえず、これで全部、かね?代金は―――」
少女がポケットから皮袋を取り出す。老婆が中を確認するのをレノは覗き見る。どうやら宝石のようなものであるようだった。
「これでよし。それじゃ、来年もよろしく頼むと伝えといておくれ」
と、あまつさえ笑顔にちかい表情を浮かべた。
店主の急な態度の変化と、少女と老婆の間でだけ成り立っている会話に置いてけぼりをくらったレノ。隣にいるトロンもそうであるらしく、ただ棒のように突っ立っていた。
が、少女が老婆の運んできた箱を持ったときに棒立ちの呪縛からは解かれる。
少女の小さな体では、支えられる量と重さではなかったのだ。勢いよく持ち上げたそのままに、後ろに倒れそうになるのを―――
レノが少女を支え、トロンが荷物を支えた。
「大丈夫?」
レノは少女に声をかける。驚いた浮かべる少女の手の中から、さらにトロンが荷物を取り上げる。少女と違い、荷物はそのまま安定する。
笑顔を荷物の横から見せたトロン。
「運んであげるくらい、問題ないよね?」
「―――ね。あなたじゃ危ないでしょ?わたしとトロンが手伝ってあげる」
曖昧な表情をする少女。だが、乗りかかった船、というよりも、ここまできたら最後まで付き合いたい。なんというか意地のようなものだ。
少女の背を押して、店の戸口へ。店主の、「待ちなあんたたち、その子は―――」という声を無視して、少女とともに店を出る。
途端、太陽のまぶしさに思わず眼を細める。
けれど、肩に置いた手に、小さな体温が添えられるのを感じられた。
「―――あり、がとう、です」
少女の表情を見れなかったのは、今日最大の失策に違いない。
残された昼の夜。忘れられた旧市街の店。
薬屋の店主は深々と溜息をつく。
「―――ったく、最近の子供らは、年寄りの話を聞きゃあしない」
近くにあったパイプに火を灯そうとして、ふと少女の置いていった皮袋に目が留まる。
宝石のような代金―――蛍白百合のもつ特別な力を閉じ込めた原石≠フ欠片の間に、いくつかの種があった。
それは、蛍白百合の種。本来種を作らない蛍白百合の、1年分の命の込められた子供。
「………追加料金、てわけかい。けど、あんたの未熟な弟子以外にも粗相をした連中がいたから、これじゃ足りないね」
笑いを浮かべながら、老婆はパイプの上で指を一回転。さらに二回転、三回転―――五回転させて、右手をおろす。
火のついていなかったパイプからは、紫煙がくすぶっていた。そのケムリをすいながら、老婆は右手の鳴らす。
それに反応したのか、店の中身のものがガタガタと揺れ始め―――意志を持って空中を飛び回り、あるものはかばんの中へ、またあるものは袋の中へと、移動。ものの数秒で『荷造り』は終わった。
「さてと。あの子が冬≠持ってくる前に、さっさと魔法使いの棲家(なかまのところ)に戻ろうかね」
老婆がパイプの紫煙を口から吐き出す。
果たしてそれは現実か。それとも夢か。
旧市街の捨て去られた薬屋のなかには、老婆の吐き出した紫煙と空っぽの棚以外、なにもなくなっていた。
道を先に進む少女は、果たしてこれまでと同一人物なのか。
処女雪のような白々しさ、薄氷のような無表情さ、それらは全てが消え去って、いまや少女の印象を一言で表すならば―――蛍白百合。
華やかさの象徴であるその花のように、少女の笑顔が咲き乱れている。
「ホントに、ホントにありがとです。それに、さっきまで、ゴメンなさい」
今までに同じことを何度言われたことか。レノは苦笑しながら、いいよそんなの、と返す。
どうやら少女の自宅は街のそとにあるらしく、今は解けかけている雪の上をはねるように進む少女を追っている。
レノもトロンも、コートを着てきたことに今更ながら感謝していた。夏の陽気も、街から抜けた森の下では、まだ冬の寒さに負けているのだ。
「もう少し、かかるです」
そう言う少女に付き従い、かれこれ1時間ほどは歩いたか。
「―――着いたっ!」
少女の晴れやかな叫び。それが木霊する場所に、ようやくレノとトロンも追いつく。
そこは、森の中の少しだけ開けた広場。木々が遠慮するように場所を譲るその場所に―――
白く、奇妙な一軒家があった。
「先生ー、ただいま帰りましたです!」
少女がいまだ雪に埋もれる白い家の木戸を開けたのと同時。
「―――みゃっ!」
少女の体が傾ぐ。
あわててレノが少女を支えると、その上から何かが落ちてきた。
それがなんであるかわかるよりもはやく、その『何か』は爆発。
体をかばう暇もなく―――レノと少女は頭から水をかぶった。
「……氷、水?」
一歩後ろで荷物を持って控えていたトロンが呟く。割れたビニールの袋がレノの頭にかぶさってきた。
呆然とする一同の前に、開かれた戸から一人の人間が現れる。
「……っこのバカタレッ! 薬屋を一人で見つけられないどころか、あまつさえ運んでもらうのまで手伝ってもらうとは、それでもこの私の弟子かっ!」
腹のそこから出された大きな声。ある意味荘厳なまでの威厳すら伴う声。聞くもの全てを膝まづかせるような怒声。
それが、白い長髪をボサボサにし、皺だらけの寝巻きに身を包んで、その目を覆う眼鏡すらずり落ちかけている、今にも崩れ落ちそうな様子の女性から出されていた。
………想像と現実が全くといっていいほど合っていない。
呆然とするレノの腕から、一足早く回復した少女が起き上がる。
「そ、それっ、どうして知ってるですか!?」
寝巻きの女性に詰め寄った少女を、フラフラな女性の両手が捉える。
それは頭を支えるというよりも、頭を押しつぶそうとするかのような。
「どうして? どうしてだって? あんたは私の講義を聞いてないのか? あ? あ? この頭は。この頭の中には、あの水晶が遠隔地で起きていることを遠見できるって私が言ったという記憶が残っていないのか?」
「いたたたたたたたたたた」
怨嗟を毒霧のように口から吐き出しながら頭をグリグリされ、少女の体から力が抜ける。
動かなくなった少女を右腕に抱えた女性は、ずれていた眼鏡を戻すと、咳き込みながらレノたちに言った。
「ようこそ、ってわけじゃないけど、あがって行きなさい。あんたらにはこの子が世話になったようだしね」
レノたちが世話をした少女を抱えたまま、女性は玄関の中へと向かう。
「とりあえず礼をしなきゃぁね。それに―――濡れたまま、風邪を引きたくはないだろ?」
半ば呆然としたまま、レノは室内に通され服を脱がされた。
その際、トロンがボーっと立ち尽くしていたので視界をふさぐ意味を込めて思い切り殴っておいた。目潰しが目的だったが、予想以上にうまく入った攻撃で意識を失わせることができたので結果オーライというやつだ。
「アンタな………意識を失わせせたけりゃ首筋をこう、だな」
と服を脱がせた当人が講釈してきたがとりあえず無視をした。
脱がされた服の変わりにバスローブににたぶかぶかの服を渡されたので、トロンが意識を回復させないうちに着ておく。意識を失った少女も、失わせた女性の手によって同様の服を着させられていた。
とはいえ、意識のない人間を動かすのは結構重労働であって、
「あーめんどくさい。こらさっさとおきて自分で身支度ぐらいしな。だいたいどうして気を失ってるんだよあんたは」
レノは聞かなかったことにした。
どうにか少女を着せ替えた女性はこちらに待っているように言うと、奥の部屋へとふらついた足取りで進んでいった。
「あの人、一体誰なんだろうね」
声がしたほうを見れば、トロンが意識を回復させていた。
「うん………っていうか、誰っていうより、」
友人の疑問に同じような問いを発しようとし、しかしレノは、
「……ちょっと待った。あんたいつから目、覚ましてたの?」
「え? その子が着替えさせられてるのは覚えてるけど」
言うが速いか腹に打撃を加えた。
ぐぅ、という鈍い声を吐き出して身を折るトロンを吐息と共に見やり、レノは先程の問いを口にする。
「誰、っていうより、一体何なのかを聞きたいかも」
「へぇ、そりゃ私を人間扱いしない、ってことか?」
急いで背後を振り向くと、女性がトレイにのせたカップを4つ持ってきていた。一歩歩くごとにこぼれそうになるので余計な緊張感まで追加された。
「ま、ホントなら取り決めで教えちゃいけないんだが、あんたらはちょっと特別だしね。あいにくと、マッチも切れてたし―――」
カップを置いた女性は、火のついていない暖炉を面倒くさそうに眺める。
よく見れば、右手の人差し指を突き出していた。その指がなにやら怪しい動きを示し、
「―――ウス・フリエア」
その言葉とともに、暖炉に火が灯った。
レノは、―――――――、と思った。
つまり思考が停止した。
トロンを見れば、口をあけて、呆けたように固まっている。
間抜けな表情、という感想に、けれど自分もそんな顔をしているのだな、という自覚は追いついてきた。
思考再開。
「―――い、今、指、怪しく動いて、それで、火―――?」
「落ち着きな。全く、風邪さえ完全に治ってりゃ呪文も必要ないんだけどね」
女性は自分で持ってきたカップ、その中身の紅茶を啜る。
が、
「―――ぅあちぁっ!」
いきなりカップをひっくり返した。
そのカップは放物線を描いて、きれいに中身を眠っている少女の脳天にぶちまける。
あーーー、という内心の声をよそに、レノの視界で少女の体がビクリと震え、
「―――っは、はいっ! お、起きます先生あと5分とかいいませんおはようございますっ!」
一瞬で背筋を伸ばしきった少女の目には次の瞬間には困惑の二文字が刻まれていた。
それに反比例するように、レノとトロンには驚愕が張り付いている。
曰く、大人しいといわれた犬に噛み付かれたときのような表情に、
「………あ、あれ?」
「あー、まぁとりあえずホタル」
女性が頭を掻く。
「顔拭け」
女性は、自らをリリィと名乗った。
「ちなみに年は聞くなよ」
「先生こんななりでも100年は生きてますからねィタタタ」
レノは苦笑しながら少女―――ホタルと、その先生リリィのやり取りを眺める。リリィに乾かしてもらった服に着替えながら。
着替えるから、と告げたにもかかわらず呆けた顔のままだったトロンは、もちろんレノの足の下で床に同化している。
驚くべきは―――普通だったら小一時間はかかるはずなのに、リリィの手にかかった服が、一瞬で乾いたということだ。
にわかには信じられないことだが―――先程暖炉に火をつけたこともある。
つまり、
「リリィさんは―――魔法使い、なんですか?」
「そーだよ」
「せ、先生っ! 他の魔法使いに知られたら罰を架せられますっ!」
「はいあんたも他に魔法使いがいることを教えたから同罪」
言い返せなくなっているホタルを見るのはかなり新鮮な気分だ。もう、なんというか、クレイと取り替えたい。
しかし、
「この服、こんなふうに魔法で乾かせるなら脱ぐ必要なかったんじゃないですか?」
着終わったレノだが、多少非難がましくそう聞いてみる。
対して、ホタルが持ってきた熱さましの氷水を頭に当てているリリィは意地悪そうに笑う。
「じゃあんた、電子レンジに入りたいか?」
「?」
「いや、なんでもない。まぁあんたがその服を着たままで乾かせば―――脱水されたミイラが一つ出来上がり、ってね」
レノは自分の表情が固まるのを感じた。
力の抜けた足の下からトロンが這い出してきて、
「レノ、ちょっと酷いって。見られても減るものじゃないし、何より見世物にもならないっていうか―――」
再びトロンは床に同化する。
くぐもった声が聞こえた気がするけれど無視。
リリィは苦笑しながら、ホタルが買い、レノとトロンが運んできた荷物に目を通す。
「………ふむ、とりあえず全部そろってるな。あとは蛍白百合をつんでくればOKか」
「ちなみに、それって何に使うものなんですか?」
好奇心に突き動かされて、レノは尋ねる。
リリィは少しばかり意地が悪そうな笑みを見せて、
「何だと思う?」
「えーと…………風邪の治療?」
「残念でした。ホタル手伝って白百合をつんでくれば教えてあげるよ」
リリィは少女、ホタルに籠を渡す。
「これに一杯になるまでつんできな。いつもの場所からでいいから」
「わかりましたです」
ホタルはレノを連れて、玄関から出て行った。
それを見届けたリリィは、床から首を抜こうとしているトロンを、トロン以上の力で引き抜く。
バギィ、という木でできた床が割れる音と一緒にミシミシと骨が軋む音がした。
「………あの、結構殺す気ですか?」
「何を言ってるんだい。あんたもちょっと手伝ってくれるかな? 私の仕事を、さ」
レノがホタルに連れてこられたところは、リリィの家の後ろ側に位置する広場だった。
そこは、来るときは気付かなかったが、かなり広い場所で、
しかも一面に蛍白百合が咲き誇っていた。
雪で覆われた地面から、更なる雪が吹き出ているかのような幻想的な光景。街中で売られている蛍白百合などとは比べものにならないぐらい美しい。
「ここはですね、先生の花畑なんです」
ホタルは手近にあった蛍白百合を摘み取りながら言う。
「といっても、観賞用ではなく、お仕事で使うためのものなんですけれどね。始めはこのあたりにしか植えなかったらしいんですが、気がついたらこんなに広い花園になっていたんだそうです」
「お仕事って、魔法使いの?」
「はいです」
ホタルは振り返る。
「まぁ、先生があとは教えてくれるとおもいますので、詳しくは言わないです。だから、早くこの籠一杯にしちゃいましょうです」
籠一杯の蛍白百合を持ったレノたちが家に戻ると、そこには誰もいなかった。
「あれ……?」
レノがあたりを見回しながら首をかしげると、ホタルは心当たりがあるのか、
「ああ、多分あそこです。ついてきてくださいです」
レノの手を引っ張って、一度家の玄関をくぐり外に出た。
外壁に沿って移動する先には、先程裏の花畑に行ったときに見た、煙突つきの小さな石蔵のようなものがあった。どちらかといえばかまくらに近い形だ。
手を引かれるままに、その建物に入る。
そこでは、トロンがリリィにこき使われていた。
「………何やってるの?」
「手伝いさせられてるよ〜」
のんびりといいつつ、トロンはなにやらへんてこな機械のふたをしめる。
「よーし、これで準備はできた。ご苦労さま」
リリィはトロンに言うと、こちらに近づいてきた。
「よし。蛍白百合もある。これで今年もどうにかなるかな。……とはいえ、もう1週間近く遅れてるからなぁ。どうせ監視員が来るだろうなぁ」
やだやだ、と呟きながら、リリィは蛍白百合を真正面にある暖炉のような部分に投げ込んだ。
「リリィさん、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?」
「ん? そうだねぇ。じゃ、教える前にもう一回質問」
リリィは暖炉の中に向けて右手を複雑に振りながら、のんびりとした口調でレノに言う。
「さて、私はホタルに買わせた道具と蛍白百合、それとこの装置で一体なにをするつもりでしょう?」
レノは少しだけ自分で考えて、次にトロンを見る。トロンは首を軽く横に振っていた。
「………降参です」
「だめだなぁ、もっと若い者は考えないと」
リリィは笑いながら言う。その間も右手の指は動いたままだ。
「じゃ、答えあわせだ。ここをよーく見てな」
リリィが左手で指差したのは、先程蛍白百合を入れた場所。
右手の指先も、そこにむいている。
「いいかな。私はね―――」
右手の指が止まる。と同時に、トロンが弄っていた装置がいきなり動き出し、さらに蛍白百合が光を出す。
「―――雪を、作ってるんだ」
次の瞬間、蛍白百合が弾け、上の方―――煙突へと飛んでいった。
外で遊んでいたクレイは、ふと鼻の頭に冷たさを感じた。
右手でぬぐってみると、小さな水滴がついている。汗ではなかった。
「これって………」
クレイは空を見上げ、鼻の頭をぬらしたものの正体を見た。
それは、白い雪だった。
「蛍白百合はね、雪のもとなんだよ」
家の中で紅茶を飲みながら、リリィは言った。
「それ以外にも魔法使いにしてみればいろいろな用途があってね。ここいらでしか採れないものだから、行商人が魔法使いの小間走りがわりになってるのさ」
窓のそとでは、煙を上げ続けている煙突と、降り始めた白い固まりが見える。
「私の仕事は、その蛍白百合を使って、世界に雪を送ること。今年はちょっと風邪をひいちゃって、材料の買出しを弟子に任せたんだけど………失敗だったね」
「むにゅぅ………」
ホタルが不貞腐れた表情を作る。レノとトロンは顔を見合わせて笑った。
リリィも笑い、そしてレノとトロンに向き直る。
「今日のことはあんまり広めないでくれると嬉しい。ま、言っても信じてはくれないかもしれないけれどね」
「言いませんよ」
レノは言う。こんな体験、そう簡単に他の人に教えてなるものか。とくに生意気クレイには絶対に教えてなどやらない。
リリィは微笑み、紅茶を一気に飲み干す。
「……さ、もうこれからはコルナベルトは冬になるんだ。早く家に帰ったほうがいい」
言われて、レノとトロンは立ち上がる。
「それじゃ、お世話になりました」
「貴重な体験をどうも」
「気をつけて帰りなよ」
リリィに見送られ、レノとトロンは玄関の戸を開く。
「―――っまた!」
後ろから大きな声がした。
レノとトロンが振り向くと、ホタルが立ち上がってこちらを見ていた。
「また、会えますよね?」
レノは笑って言った。
「うん! ―――また、いつでも会えるよ!」
ホタルは途端に笑顔になった。
それは、蛍白百合が咲いたときのようだった。
その年、コルナベルトの冬の訪れは1週間ほど遅れた。
あわてて避難してきた旅人や行商人の話で、ある程度コルナベルト以外の街で広まったが、それでも大した噂にはならなかった。
それから数ヵ月後の冬の訪れが、ほんの少し例年より遅れたが、コルナベルトの話と結びつけて考える人はいなかった。
今でも、コルナベルトは1年の殆どを白い雪で覆われている。
その郊外で、真っ白な家に住む魔法使いが、雪を作っていることも知らずに。
雪を降らせる魔法使いは、今では白髪で赤眼の女性だ。
彼女は、1年に1度、街に雪の材料を買いに降りてくる。
そこで、とある男女と出会うのが楽しみなのだそうだ。
〜あとがき〜
いやはやもう始めに書こうとしたことから大分離れしまったような気がする………
まぁでも一応これでリク小説書きあがり、ということになりました。
時間かけすぎた………天山鷹さん本当に申し訳ないです。
まぁ、自分の分野ではないノホホン物語を目指そうとした私がそもそも間違っていたわけですが(何
やっぱりあれだね。
次のリクはお題が何であってもスプラッタにヘルシングることにしよう(笑
「お前は犬の餌だ」とか言いながら主人公が敵キャラを×××するような18禁のガンゲーになりそうな描写を織り交ぜよう。
まぁ結局問題は私の筆力になるわけだが(ふりだしに戻る
というわけで。今回はこのぐらいで〜
短編小説へ