第四十話「真実は残酷に」




あの事件―キャンプでの竜騒動から3日たった。俺が起きたのは昨日の夜だった。つまり、俺は2日間も眠り続けていたのだ。

あの事件で、俺は言具の技を初めて実践投入した上、身体強化を使ったり、封印を解除したりと、要するに無茶をしすぎたのだ。

起きた後、事件の後のことは大体宗治狼から聞いた。そして、俺は今事務所へと向かっていた。




「どちら様でしょうか・・・・って龍哉か」

中には沙理奈がいた。どうやら一人だけのようだ。

「そりゃそうと、大丈夫なの?体のほうは。昨日起きたばっかだって夏葉に聞いたけど」

「何とか」

昨日の夜に起きて、とりあえず夏葉の家や、卓弥のところに電話をしてみたのだ。夏葉はしつこく俺の体調のことを聞いてきた。卓弥にいたっては、「相変わらずの寝坊癖だな」などと、一方的に電話をきられてしまった。

俺は辺りを見回す。ふと、カレンダーが目に入った。

赤く丸がつけられた日付。キャンプの日、そして、俺が竜を殺した、その日だった。

俺は無理やりに顔を沙理奈のほうに向けなおす。ここに来たのは、後悔をするためじゃない。

「他のみんなは・・・?」

「ああ、夏葉たちは今日市民プールに行ってるわよ。あんたは誘われなかった?」

一応誘われた。キャンプに行った高一のメンバーでプールに行くらしい。断ったが。

「俺が聞きたいことはそんなことじゃ・・・」

「あっ、そうだ。拓実が今朝ケーキ買ってきてたのよ。どう?」

「沙理奈さんっ!!」

俺の怒鳴り声に、沙理奈も会話をはぐらかすのをやめた。

「・・・で?聞きたいことは何なの?」

沙理奈の視線から、俺は少し圧力に似たものを感じた。それでも俺は聞くことをやめなかった。

「あの時あの場にいた、言霊を知らない連中・・・・優哉や湘は別としても、樹と綾は・・・」

「・・あんたの考えどおり、記憶を消したわよ。もちろん、あんたがやったのより、ずっと確実な方法でね」

沙理奈はそういった。俺はだが、再び聞いた。

「優哉と湘は、言霊に関してはすでに知ってたんです。言霊に関する、すべての記憶を消したんですか?」

「まぁ、待ちなさい。これからやることを聞いてればわかるから」

途端に俺は言い知れぬ不安に駆られた。俺の言霊と、沙理奈の言霊が同時に響いた。

「“正輝”」

「“月読之龍神、わが命に従え。動くな”」
                                                                      まな
俺が呼び出した正輝は、俺の手の中で微動だにすることもなかった。忘れていたワケではないが、まさか、沙理奈が真名を使ってまで・・・・・

「くそっ、“正輝、円月・・」

「“喋るな”」

沙理奈の言霊で俺の言霊が強制停止させられる。

沙理奈は、何をする気なんだ・・・・

「ああ、怖がらなくていいわよ。ちょっと記憶を修正するだけだから」

俺の不安を読んだのか、沙理奈がそういってくる。

「言っとくけど本気よ。ついでに、しっかりした記憶の消し方を教えといてあげるから」

さっき言ってたことはこれだったのか。俺は喋れない喉で、必死に叫びを上げていた。

「まずは相手を拘束する。ま、当然だけどね」

沙理奈がまるで料理の仕方でも教えるように、俺に語りかけてくる。

「それで次は、こう。“我、佐藤沙理奈、ここに宣する。我、彼の者の記憶を変えんと望む者なり”」

とてつもなくやばい状況に追い込まれている。何か、何か打開策はないのか!

俺が必死に考えてるうちに、沙理奈の言霊が続く。

「“彼の者に起こりし事、彼の者が記憶せし事の内、我、その一部を変えんと望む”」

俺は目を閉じた。そうすれば何かが思いつくと思ったのだ。

だが、何も思いつかなかった。焦りが俺の頭を支配する。

『まったく、相変わらずだね。周りが見えなくなるところは』

聞こえたその声は、俺の脳裏にだけ響いたものだった。




「どうかしたのかよ、夏葉サンよ」

卓弥の声。夏葉は我に返った。

「・・・そうゆう呼び方やめてっていったでしょ?夏葉、でいいってば」

「はいはい」

夏葉は今の状況を確認する。市民プールのプールサイド。夏葉はそこにいた。

卓弥が提案し、キャンプに行ったメンバーでプールに来ていたのだった。

まず驚いたことは、みんながキャンプのときの記憶、正確には、竜の記憶を、完全に忘れている、ということだった。

それどころか、優哉と湘に至っては、言霊の記憶自体も失っていた。

沙理奈さんから聞かされてはいたのだが、心の中で驚かないわけにはいかなかった。

その4人は、今ボール遊びをしていた。ここにいるのは、休憩中の夏葉と、樹の全力スパイクを顔面に食らった卓弥だけである。

これは笑い事ではない。いくらゴムボールでも、中学時代、幾多の敵をコートに沈めてきた樹にかかれば、凶器と化しえるのだ。

「で?愛しの龍哉のことでも考えてたのか?」

とりあえず卓弥を睨んでおく夏葉。卓弥は氷点下の瞳、龍哉が言うには雪女の目で見られ、即座に目を逸らす。

「・・・龍哉、大丈夫なのかな・・・・・」

「あれは平気だろ。前のときも死ななかったんだし」

卓弥の返答。あまり気が入っていない返事だった。

夏葉は卓弥の視線をたどる。その先には、水着の女性たち・・・・・・

「最低」

「は?」

夏葉は呆けたような卓弥をおいて、プールに入った。

冷たい水は、一時の間、すべての悩みを消し去ってくれた。




俺ははじかれたように目を開ける。すると、俺の目には信じられないものが映った。

事務所のありとあらゆるものが、文字になっていた。いや、すべてのものが言霊になったのだ。それも違う。そのものに言霊がかかっていた。それも違う。ようやく理解できた。言霊が視えた≠フだ。

俺の体を取り巻くのは、沙理奈の使った言霊。体中に絡みつき、さらにそれが沙理奈につながっていた。

「“彼の者に起こりし、先年の秋の候、紅葉の頃より、今、この現在までの、言霊に関するすべての記憶を消さんと望む”」

沙理奈の言霊。目を凝らすと、沙理奈から新しい言霊の文字が伸びてきて、俺の頭に絡みつき、沙理奈の命令を実行しようとしていた。

俺の体から見える、月読之龍神≠フ文字も、沙理奈の言霊と交じり合い、命令を実行しようとする。

早くしないと、本当に記憶が消される。だが、だが!

『世話が焼けるなぁ』

再びの声。同時に手の中で違和感。

正輝が俺の意思に関係なく、沙理奈の言霊の内の、喉を絡めていたものを切り裂いた。

沙理奈が異変に気づき、記憶を消す言霊を不完全ながら仕上げようとする。だが、俺のほうが早かった。

「“円月覇断!!=h」

黒みがかった半透明の膜が、俺と沙理奈の間を隔てる。発生時に、沙理奈の言霊の文字が途中で分断され、俺の体が自由になる。

刹那の後、沙理奈の言霊の仕上げが俺に向けて放たれる。
           かんつい
「“我の命を受け、完遂せよ、月読之龍神”!!」

だが、その言霊は円月覇断の膜の外で虚しく散った。

「無駄です。この円月覇断は、すべての言霊を遮断します」

それは絶対の防御。言霊はもとより、言霊に操られし物体も、操りし言霊を消すことで封じる。

リスクは内側からの言霊も遮断する上に、俺の力を喰って発動するため、消耗が激しいことだ。

沙理奈は溜息をつき、そして微笑む。

「・・あんたがここまで成長してるとはね。出来ることなら、記憶を消して、無駄な危険を避けようと思ったんだけど・・・」

俺は円月覇断を解除した。休み明けで無理をしたくなかったというのが本音だが、沙理奈からさっきまでの殺気に似たものを感じなくなったのだ。

沙理奈が俺に問うてくる。

「・・・あんた、さっきの言具のやつ、どうやったの?しかも、あたしからの言霊を狙って切るなんて・・・・・」

「・・・言具の方は俺の意思じゃないです。言霊のほうは・・・・」

俺は少し言いよどんだが、決心して言った。

「視えたんです」

沙理奈が目を見開いた。そして目を閉じた。
   はんせつしゃ
「・・・反摂者、か・・・それに・・・」

それ以上、沙理奈は何も言わなかった。

俺は沈黙に耐えられず、かねてからの疑問を発した。

「何で俺の記憶を消そうと?・・・それに、さっきの無駄な危険っていうのは・・・・・」

「最初の質問については、後のほうを聞いてればわかるわ。それよりも・・・・」

沙理奈がこちらを向く。その目からは、また先ほどのような圧力が発せられていた。

「それを聞く覚悟はあるの・・・・?」

まるで心臓をつかまれたような感覚に陥る。だが、俺は何もしなかった。ただ、沙理奈の目を見返した。

やがて、沙理奈の圧力が消える。

「・・・そう。あるみたいね」

そうゆう沙理奈は、どこか悲しそうだった。

「あんたは少し他の言霊師とは違うのよ。正確にいえば、3つね」

沙理奈は椅子に腰を下ろした。

「ひとつ。あんたが反摂者―――つまり、禁忌系統の言霊を使ったことがあるということ。あんたの場合、もっと言うと・・・・・・」

沙理奈が言いよどんだ。

「・・・・滅びの言霊で、人を殺したことがある、ということ」

俺は固まった。頭の中が真っ白になる。沙理奈は、知っていたのだ。

「理由もろもろについては聞かないわ。そんなことをする必要も利益もないからね。あんたが言霊を視る≠アとができるのも、滅びの言霊の反動で死ぬことがないのもそのためよ」

沙理奈の言葉は俺の頭の中を通り抜けるだけだった。

「そして、その反摂者を、協会は生かしては置かない。危険因子だからね・・・・・・龍哉・・・?」

誰にも知られたくなかった、そして、誰も知るはずのないことを、他人に知られた。そのショックで、俺は放心状態だった。

だが、唐突にそういった感情が消えていった。

沙理奈が何らかの言霊をかけたことが、数秒考えてわかった。

「・・・だから覚悟があるかって聞いたのよ。・・・やめておく?」

俺は、首を振った。

「・・・知っておきたいんです」

沙理奈はなおも厳しい顔をしていた。だが、やがて続きを語り始めた。

「二つ目は、あんたが間接的にしろ、竜を殺してしまった、ということ」

3日前のことが、脳裏をよぎった。

「・・・生霊や言過霊が、二種類あるって知ってた?」
     めいもく
沙理奈が瞑目したまま言う。

「人間に呼び出された、あるいは言霊によって作り出されたものと、元来よりこの世界に存在しているものと」

俺は驚きで口をあけたまま固まった。

「もちろん、どちらも肉体的には違いはないわ。言霊によって、身体を維持してるって点ではね。違うのは、その言霊が外からのものか、中からのものかって事だけ」

「そして、天然の生霊たちは、その中で団体を作り、協会との密約で、不可侵条約も結んでいる」

「けど、自分の意思で暮らすところを決める生霊もいる。この前の竜がそのひとつよ。といっても、見つかることはほとんどないし、仮に言霊師が見つけたとしても、生霊だから襲うことはない」

「けど、だからこそ、あの竜を殺したことはまずかったのよ。生霊の団体がこのことを嗅ぎつければ、大変なことになる」

耐え切れず、俺は声を上げる。

「けど、戦わなければ、俺たちは死んでいたんだ!」

沙理奈の言葉が続く中、俺は反論せずにはいられなかった。理由ならわかる。俺が竜を殺したことを正当化したいのだ。

言った後で後悔したが、もう遅い。俺は何も進歩していない。

沙理奈は溜息をついた。

「・・・あの場合、しょうがなかった。けど、あの竜が操られていた証拠はもうないの。私が殺せていれば、それが最善だったんだけど、ね・・・」

沈黙。時計が時を刻む音だけが響いていた。
                                        つくよみ
「三つ目は、あんたがある血筋を引いている、ということ。そう・・・・・・月読、の一族の、ね」

俺は沈黙したままだった。

「過去、もっとも優れていたとされる言霊師の一族が4つあった。その内のひとつが月読」

「その4つの一族が言具を生み出し、そして一族で代々言具を受け継いでいった」
              つくよみ
「その言具の名前は、月夜霊。月の夜の霊」

「じゃあ、こいつは・・・正輝は・・・」

唐突過ぎて理解できなかった俺も、言具に関しては理解することが出来た。

沙理奈は頷く。

「おかしいのよ。言具っていうのは、一族で引き継がれるもので、新たに生まれることは少ないのよ。生み出したとしても、生み出した本人が使うことは出来ない・・・」

俺は黙って沙理奈の言葉を待った。

「言具は、言霊師の命と、真名によって生み出されるのよ。つまり、今言具を使える人は、先祖が命と引き換えに言具を作った、ということなの」

「そして代々、一人にのみ受け継がれてきた。当然、今日まで残っている言具は少ないわ」

俺は卓弥や隼のことを考えていた。

「そして、あんたの言具は・・・狙われてるのよ」

「・・・・・・だれから・・・?」

俺はなぜ俺の言具が狙われているのか、疑問に思った。狙われる理由があるはずがない。

「・・・・・・単刀直入にいうと、春先の言禍霊騒動を起こし、竜を操ったと考えられる人物、いや組織よ」

俺の脳は最早その役割を果たさなくなっていた。一度にたくさんのことを知りすぎたせいだ。

・・・・・・いや、俺の過去を知られたせいだろうな・・・・・・

事務所は葬式の会場のように静かだった。




どれくらい時間がたっただろう。

気がつくと俺は家にいた。

どうやら気づかないうちに家へと戻っていたらしい。

おそらく、今日は眠れないだろう。そして、これからもしばらくは。

俺の罪が、俺が犯した過ちが、頭の中を駆け巡るだろうから。




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