第四十六話「真意」
体が揺らされる感覚、頭が無重力状態だ。
いや違う、前後に、それもかなり理不尽に揺さぶられている。挙句の果てに痛みと横回転が加わった。
否が応でも意識が覚醒する。というか、しないと死にそうだったし。
「・・・やめろ・・・キモチワルイ・・・」
俺の口から出てきたのは死人のようなうめき声だった。それに気づいたのか、揺さぶってた人間が動きを止めたようだ。
ようだ、というのは、頭がいまだくらくらしているので、はっきりと状況をつかめないためだ。
「龍哉!?生きてる?」
女の声。誰だ?というか、俺は何で――
「龍哉!!」
再びの痛みと横回転。横っ面をはたかれたおかげで、急速に思考が戻る。
「お前のせいで危うく死ぬところだ」
何とか揺れる視界に夏葉を捉える。無事そうだったのでほっとした。
―――ほっとした?何でほっとするんだ?確か―――
「!そうだ、俺は――」
「起きたか?」
唐突に探していた人物の声が聞こえ、思わず身構える。戎璽は、言霊で作ったらしい、即席の土椅子に腰掛けていた。
身構える俺を見ても、戎璽の表情は穏やかなまま変わらない。さっきまで、というか、気絶するまで感じていた殺気がまったく感じられない。
拍子抜けして、そして次の瞬間にはひざをついていた。
夏葉が俺を支えようとする。ついでに、視界の端に卓弥を捉えることができた。バツが悪そうにあぐらをかいている。
「・・・あんた、何のつもりだ?俺を連れて行くんじゃなかったのか?」
抑えきれず、疑問が飛び出す。戎璽は背もたれがわりに使っていた言具を抜き、立ち上がると、言具を消した。
「まぁ、それが理想だったんじゃが、主はそうでなくても利用価値がありそうなんでのぉ」
意味不明な理由。俺は釈然としない気持ちで、さらに質問をしようと思ったが、それは乱入者によって阻まれた。
「戎璽様、そこまでです!龍哉たちから離れてください!」
正門から響いてきたのは沙理奈の声だった。
「・・・慶輔の奴は、何をしとったのか・・・ある程度予想はついていたが」
「すいませんね、戎璽様」
いつの間にか戎璽のそばに立っていた男。どうやら慶輔という名前の男らしい。
とにかく話がこんがらがり始めている。俺としてはいろいろこの老人に聞きたいことがあるのだが。
「・・・引き上げるぞ。フェリオと凌斗も、この様子では無事ではあるまい」
「わかりました」
戎璽はそのまま沙理奈のほうに向かっていく。俺はあとを追いたかったが、体が言うことを聞かない上、夏葉に押さえつけられているような格好なので、動くに動けない。
しかも、やばいぐらい眠気がする。体の痛みも戻ってきている。本気でやばい。意識が途切れそうだ。
と思ったのもつかの間、また、あの、スイッチが切れるような、そんな感覚が、俺の、意識を、もって、いって、そして――――
沙理奈の横を通り過ぎるとき、戎璽は立ち止まった。
「・・・あの子供、しっかり監視しておけ。まだ、滅びの言霊を使うようであったら、そのときは、協会員として、処断しに来る」
そしてまた歩き出した。沙理奈はその後ろを行く慶輔を、意識的に避けていた。慶輔は、その沙理奈を見、さらに後ろに控える拓実を見、すぐに目をそらした。
そうそう、と戎璽が後ろ向きのまま言う。
「この前の竜の一件、奴の仕業だ。さらに悪いことに、生霊側が察知し、秘密裏に動いておる。気をつけることだな」
「なぜ、こんなことを?」
沙理奈は問い返していた。後ろにいる男が、かつての恩師であり、恩人であり、そして、協会の最高権力者の一人であることを知っていても、問い返さずにはいられなかった。
「龍哉は自分がなぜ巻き込まれるかわかっていないというのに、力を試すためでしょうが、何も語らず、あんなになるまで戦わせることはないでしょう」
その声は、静かで冷静だったが、怒りが隠されていた。
「・・・厄介なのじゃよ」
戎璽が苦々しげに言う。
「数年前の事件をきっかけに、あの少年は月読家の血を引くものであると同時に、反摂者となり、奴にとらわれやすき存在となったのじゃ。わしとしては、彼が奴側に回るのは避けたい。そのためには」
そこで戎璽はいったん言葉を切って、おそらく沙理奈も予想しているであろう、その言葉を続ける。
「一度極限状態に追い込んで、滅びの言霊を使うかどうか、試しておく必要があった。月読家の力、彼自身の力以上に、な」
沈黙。おそらくこの4人以外は誰も聞いていない会話。聞かれてはならない会話。
「結果、かろうじて彼は使わなかった。かろうじて、な。そして、彼が滅びの言霊を使わないためには、ここにいさせるのが最善と判断した」
戎璽は歩みを再開させる。
「・・・わしはお前さんの判断を信じとるよ。今も、昔もな」
その歩みは、確固たるものだった。
戎璽たちが正門を抜けると、そこには壁に背をもたれかけさせた、隼の姿があった。
戎璽は隼に寂しげな笑みを送り、隼は無言で、口元にだけ笑みを浮かべて、答えた。
夏に似合わない、少し寒くも感じる風が、吹き抜けていった。
目覚めた俺は、例のごとく沙理奈事務所の寝室にいた。窓から差し込む光の色が、まだ真昼間であることを示していた。
身を起こす。あたりには人はいない。なるべく音を立てず、ドアまで向かい、気づかれないように、ほんの少しだけドアを開ける。
そこには、見慣れた女の顔が、合わせ鏡のように、あった。
「・・・夏葉・・・」
「・・・えと・・・おはよう・・・」
なんか気まずい。
「ああ、龍哉が起きたみたいね。それじゃあ、説明してあげましょーか」
沙理奈が、あの学校であげたのとはまったく違う、いつものような能天気な声で言う。今回ばかりは、この気まずい事態を図らずとも収拾してくれた沙理奈に感謝をしなければならない。
ドアを抜け、部屋に入ると、そこには沙理奈、拓実、そして隼、さらには俺から目をそらした卓弥がいた。
「じゃあ、時間とりたくないから、手短に言うわよ」
「・・・できるだけ詳しく言って欲しいんですけど」
「まずはあの集団について、正体と目的ね」
人の話を聞いてないな。俺の言葉を完全に無視してしゃべり始める沙理奈。
「あの人たちは、協会の、まぁ、独立した部隊みたいなものね。あんたが戦った、戎璽って人間個人の部隊ともいえるけど。目的は・・・」
そこで、一度沙理奈は言葉を切って、辺りを見回し、まあいいか、というような表情で続ける。
「龍哉の力を試して、滅びの言霊を使うかどうかを確かめたらしいわね」
言われて俺はバツが悪そうな表情をしただろう。何しろ、実際に使わなかったとはいえ、頭の中で常に誘惑が響いていたのだから。
夏葉の責めるような表情からさりげなく目をそらす。
「それで?あと質問は?」
それで、終わりなのか?たったそれだけのために、こんなことをしたのか?卓弥を、夏葉を巻き込んで、さらに、夏葉を手にかけようとして――――
――でも、結局は夏葉に傷ひとつだってつけていない。あれも、滅びの言霊を使うかどうかとかいう、いわゆるテストだったのか?
「・・・卓弥」
卓弥は、いつもと違って俺から目をそらす。無理矢理にこちらを向かせ、そしていう。
「お前、協会のメンバーだったんだってな」
「・・・ああ」
腑抜けた返事をする卓弥。けれど、なぜか怒りはわいてこなかった。
「目的はなんだったんだ?俺の監視か?」
「・・・ああ」
「情報をあいつらに流してたのか?」
「・・・ある程度は、な」
「もうひとつ」
深呼吸する。胸の奥の傷が痛む。
「俺が人殺しだってこと、知ってたのか?」
目を下に向け、唇をかむ卓弥。やがて、顔をあげ、俺の目を見た。
「・・・ああ」
「・・・そう、か・・・」
俺はため息をついた。しばらく、誰も動かなかった。
「・・・悪かった。黙っていて」
俺はその言葉を言いながら、卓弥、夏葉、隼、拓実、そして沙理奈の順に、一人一人の顔を見た。卓弥は今まで見たことのない表情を、夏葉は学校のときのような顔を、隼は、必死に何かに耐えるような顔を、拓実と沙理奈は、少し真剣な表情なだけで、あとはいつもと変わらなかった。
「・・・さよならだな。今まで、ありがとう」
俺は、卓弥をつかんでいた手を離し、これまでの思い出を思い返していた。足は、自然に事務所の扉へと向かう。
「・・・んで、だよ・・・・・・」
聞いたことのない卓弥の声。どこか遠い異国の言葉にも思える。
足音が近づいたと思ったら、肩をつかまれ、振り向かされていた。
「なんでお前は、そうやって全部自分で勝手に決めて、しかも他の奴の話を聞こうとしないんだよ!」
体を振られる。その勢いのまま、俺は開きかけのドアにたたきつけられ、ドアが閉まる音が響く。
「お前の、そうゆうところが、みんな嫌いなんだよ!わかってんのか!?」
卓弥の叫びにも似た声が空間を駆け抜ける。
「何で俺を責めない?俺がいなければ、今回みたいなことにならなかったかもしれないだろ!?お前はそうゆうことをかんがえられねぇのか!?」
響く鈍い音。慣れた感覚。
「・・・俺は・・・人殺しだから・・・」
殴られた左頬を手で押さえながら、俺の口は支離滅裂な言葉を発していた。ただの馬鹿のように、その言葉を繰り返しつぶやく。
もう一度の衝撃。そして胸倉をつかまれる。
「知るか!少なくとも、俺が知ってる深月龍哉はそんな奴じゃねぇ!お前は、馬鹿みたいに不器用で、ホントに馬鹿で、暗くて、でも、それがお前だろうが!人殺しのお前なんて、俺の目の前にはいないんだよ!!」
焦点の定まらない目で卓弥を見る。頬を伝うものが見えた。
「みんな、お前にいて欲しいと思ってる!人殺しなんかじゃない、おまえ自身に!ここにいろ!!もし償いがしたいなんていうんなら、ここにいろ!!」
子供のようなわめき声と言葉を浴びせる卓弥。少ししてから、再び慣れてしまった別の痛みが頬に走る。
「卓弥だけじゃない。私も、隼さんも、拓実さんも、沙理奈さんも、武も、宗ちゃんも、樹たちも、みんな龍哉にいて欲しいと思ってるよ。だから、お願い」
卓弥の手の感覚が離れ、別の感覚が体を包む。
「・・・ここにいて」
夏葉に抱擁されるのは、何度目だろう、と、わけのわからないことを考えていた。
「・・・俺が、人殺しだと知ったら・・・」
口がふさがれる。
「だから、そんな龍哉はいない。少なくとも、私たちの目の前には。だから―――それは、過去の出来事は、胸にしまっておいて。それは、ここだけの秘密にしておいて」
涙が、出てきた。悲しいんじゃなく、よくわからない涙が、とめどなく流れ出てきた。卓弥は、自分の顔を手で拭いて、笑みを浮かべていた。
肩に置かれる手。見上げると、隼だった。いつもと変わらない笑い顔だった。
沙理奈と拓実は、いつもと変わらない表情を、その顔にうかべて、どこか安堵したようだった。
「あ・・・りが・・・とう・・・・・・・・・すま・・・ない」
俺は、その言葉を、そのふたつの言葉を繰り返していた。
ただ、いつまでも、そのときの気持ちを忘れたくなかったから。
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言霊へモドル