第四十九話「嘘から出た真…なのか?」
港大祭の3日目。
目当ての花火大会は夜9時からなのだが、俺はそのはるか前に卓弥に呼び出されて、町の中にいる。
俺としては、夕方の6時あたりまで家でゆっくりしていたかった。
昨日のことで、精神的に参った。特に、武と香子の説得が。
一昨日の昨日で疲れきっている俺を、それでも朝6時から呼び出す卓弥は何なんだ。
…といっても、卓弥は昨日のことは最後までは知らないのだから、仕方がないといえば仕方がない。
それにしても遅い。あいつのほうから朝6時にこの、『グランド・レーテ』の前で待っていろと連絡がきたにもかかわらず、だ。
無視してもよかったのだが、さすがに諦めた。いかに俺といえど、朝っぱら(午前4時)から部屋中の電話をならされ(といっても携帯とあわせて2個だが。しかし問題は別にある。音量だ)、近所迷惑の烙印を押されたくはない。
…まてよ?お隣さんたちはこの、港大祭に参加してるんじゃなかったっけ?そうすると、俺の朝の行動はまったくの無意味、というわけか?
いまさらながらにそう考えて、狼狽する。
……………………遅い。
朝の行為が無駄だったことも含め、すべて卓弥が悪い。責任転嫁、ではない、と思う、多分。
「お、わりぃわりぃ、遅れた」
元凶がようやくやってきた。俺はこれ見よがしにため息をついてやる。
「…ん?一人、か?」
そこで、ようやく湘と優哉がいないことに気づく。
てっきりあの二人も一緒だと思っていた俺は、それに気をとられて一瞬怒りを忘れていた。
「ああ、俺が用あるのはお前だけだから、あの二人はまだ祭りだよ」
笑って答える卓弥。ため息をつくしかなかった。
「まあいい。それで、何のようだ?」
「ま、黙ってこの店に入れって」
そういうと、卓弥は俺の背中を押し、『グランド・レーテ』のドアを開けた。
まだ午前6時を回ったところだというのに、この店はやっている。夜間営業の、それも結構マニアックな店と見た。
根拠は、祭りの客の気配がこの周囲一帯にまったくないから。知る人ぞ知る、といった店だからだ。
だというのになぜ俺が場所を知っているかというと、卓弥が(迷惑にも)俺の携帯に地図をよこしたためだ。
そんなことを考えながら、ドアをくぐり抜ける。
…しばし言葉をなくした。
この、『グランド・レーテ』は、外面は洋風だ。誰がなんと言おうと、それを和風というものはいないだろう。
だが、その中は完全に和風だ。玄関で靴を脱ぎ、畳に上がるように指示する紙が張られている。
さらに驚くことに、外見よりも広い。少なくとも、そんな気がする。
「いらっしゃいま・・・。…なんだ、やっぱり卓弥か」
奥から出てきたのは、これまた室内との対比が激しい、サングラスをかけた完全洋風の男。日本人のようだ。あくまで、よう、だが。
「ルイス、ひさしぶりぃ!」
ルイス!?外人か?驚く俺をよそに、二人は親しそうに話を始める。
と、唐突に卓弥の影にいた俺の存在に気づいたそいつは、ひゅう、と口を鳴らし、そしてカウンターの奥に下がった。
やがて、いまどき時代劇でしか見れなそうなカウンター(銭湯の番台みたいなあれ)の奥から現れたそいつが持っていたのは、ペンと紙。
いきなり紙に何かを書き始め、それを俺に押し付ける。
「初めての客にはサインを!これぞ我が『グランド・レーテ』のしきたり!」
そこには『車矢留伊須』とミミズののたくったような字で書かれていた。
「…くるま…や、ルイス…?」
「そう!それがこの、和洋混合主義の孤高の虎、グランド・レーテの店長の名前さ!」
ビシッ、という音が似合いそうなポーズを決める留伊須、いや、ルイス(どっちでもいいが)。実際のところ、そのポーズはルイスには似合っていなかった。
「・・・それで、これは何屋だ?」
とりあえず、卓弥にだけ聞こえる声でそう聞いた。
「和、専門店だ!」
意外にも、返事をしてきたのはルイスだった。一瞬俺の思考回路が麻痺する。
…地獄耳だな。
「というか、ココの中を見ればわかるだろ?」
卓弥がさも当然というように言ってくる。ルイスも首を振って肯定。
確かに和風な内装で、うってるものも日本独特のものだ。だが、ルイスはわからなくしてるのが自分だということがわかっていないらしい。
…それにさっき和洋混合主義とか言ってたような気もしたんだが、空耳か?
「それで?何でこんな朝っぱらからこんな店につれてきたんだ?お前は」
卓弥に聞く。俺がこんな店に来るような心当たりはない。
しかも、港大祭のさなか、だ。卓弥が祭りより優先するなんて、何かあるのか?
卓弥は右手を突き出し、人差し指を立てる。
「まず理由その一。この店が完全夜型だから」
卓弥はルイスを左手の親指でさして言う。
「ルイスが基本的に夜型人間の上、夜のほうが人が来るという妄想に突き動かされてるんだよ。やってるのが夜11時から朝7時なんだ」
「卓弥、お前、それって結構俺ショックだぞ」
ルイスは苦笑いを浮かべる。というか旧セブンイレブンの逆型かよ。
卓弥は笑いながら中指を追加した。
「理由そのニ。今日の花火大会、だ」
「今日の花火大会になんでこの店が絡まってくるんだ?」
反射的に問い返していた俺に、卓弥は指を突きつけてくる。
「おまえな、花火大会だぞ、花火大会!浴衣に決まってんだろ!」
………
それだけの理由か…それだけで俺の安眠が妨害されたわけか…
「そんなもの買う金もないし、必要もない」
ため息ついでに言ってやった。
「心配すんな。金は俺が出す。これまでの罪滅ぼしというか、まぁ気にするな」
卓弥は無理矢理に俺の腕を引っ張る。金がどうということじゃなくて、その、俺が個人的に浴衣が嫌いなだけなのだが。
あの服は動きづらい。それに、俺には似合わないと思う。
さらに、罪滅ぼしをされる筋合いはない、と思ってる間に、俺は卓弥からルイスに渡される。
「ルイス、頼んだ!」
「任せろ!」
一瞬のうちに俺の寸法を測り、浴衣コーナーへ向かうルイス。体が動かなくなったと思ったら、後ろの卓弥がさりげなく言霊をかけていた。
動けない俺の服を剥ぎ取り、浴衣を着せていくルイス。
…どうしてこうなるんだろう…俺には不運の神でもついているのか?
何度も言うが、花火大会は9時からだ。今はその数分前。
あたりには、部活のメンバーがいた。全員浴衣を着用している。
「ねぇ、卓弥。まだこないの?」
湘がまたそんなことを聞いている。優哉はたったまま爆睡していた。そりゃあ3日間寝てなければそうなるかもしれないけれど。
卓弥は携帯をいじりつつ、あたりに目をやる。
「…もう少しだと思うんだがなぁ。樹にはさっきもメール入れといたし…ほら来たぞ!」
卓弥が指差した方向から、浴衣に身を包んだ3人組がやってきた。
「お〜す。遅れた〜!」
「遅いぞ!樹!」
自分が今朝人を待たせていたことをすっかり忘れて、樹に声をかける卓弥。
「みんなそろってるね」
夏葉が笑う。湘が隣で息をのんでいるのがわかった。
…確かに浴衣が似合っている、けれ、ど。可愛いといえば可愛いけれど。
そんな俺の視線に気づいたのか、夏葉が笑いかけてきた。あいまいに笑って返す。
夏葉の斜め後ろにいた綾が、少し眉をひそめたのが見えた。
「そんじゃあ埠頭のほうへ行くか!」
卓弥に従って、俺たちは花火のメインステージである埠頭へと向かった。
行きがけにさりげなく夏葉の隣に移動し、夏葉にだけ聞こえるようにたずねる。
「お前、両親は?」
昨日のこともあったので、とりあえず聞いてみた。夏葉は心もち笑みをこわばらせた。
「…知らない。無視してきちゃった」
心なしか語尾が強くなっていた。NGワードだな、夏葉に対して、両親のことを言うのは。
そうこうしているうちに、広場から目と鼻の先にある埠頭についた。人でいっぱいになっている。
それなのに、卓弥が先導し、向かった先には、無人のスペースがあった。
…なぜかいやな予感がした。
「遅いぞ!卓弥」
そこにはルイスがいた。ファンキーという表現が正しそうな浴衣を着て。
どうやら場所をとっていたらしい。だが、俺はこんな目立つ奴と一緒に花火を見たくはない。さりげなく他人のふりをする。
それなのに…
「お邪魔します〜〜♪」
「すごい服だなぁ、おい!俺様と張り合えるぜ!」
夏葉と綾を除くやつらは普通にそのビニールシートの上に上がりこんでいた。
馬鹿野郎共…
「ああ、そういや知ってるか?お前ら。今年の花火大会は、40年ぶりに、ある秘密のイベントが行なわれるん…」
ルイスが何かを話し始めたとき、ざわめきをかき消す大きな爆発音。
最初の花火が上がったのだ。
埠頭は一瞬音をなくし、直後に歓声が広がった。
「…きれい…」
隣にいた夏葉がつぶやく。俺の耳にはあまりその言葉は入り込んでいなかった。
俺は生まれてこの方花火を、こんな大掛かりなものは、一度も見たことがなかった。テレビでさえも。
だから、言葉を失っていた。
立て続けに上がる花火。歓声を上げる人間たち。
すると、突然水面で爆発が起こった。すさまじい音と光が発生する。
歓声が、悲鳴に変わった。人の波が押し寄せてくる。花火が暴発したらしい。
「あ〜〜、今年はこうゆう手法か。なかなか考えてるが…」
ルイスの呟きが聞こえたが、何のことかはわからなかった。
とにかく、逃げ惑う人たちに押され、俺たちも波に組み込まれてしまう。咄嗟に、俺は腕をつかんだ。
しばらくは人、人、人の景色が続いた。何とか波からはなれ、つかんでいた腕を引っ張り走り出す。
しばらくすると、埠頭のそばにある高台にやってきていた。暴発した花火は、もう消え去っていた。
後ろを向くと、俺と同じように息を切らせた夏葉がいた。引っ張ってきた腕は、夏葉のものだったのだ。
なぜだか、あの時夏葉の腕をつかんでいたのだ。
「…大丈夫、か?」
「…何とか…」
浴衣だったせいもあって、余計に疲れたのだ。夏葉は俺が引っ張った腕をさする。俺はあわてて駆け寄る。
「スマン、夏葉。腕…」
「あ、平気。大丈夫だよ…」
はっ、と気づいたときには、俺は夏葉の肩をつかんでいた。恥ずかしくなって腕をどかし、海のほうを見る。
「しかし、花火の暴発なんて…」
だいぶ離れたところまで来ていたので、様子はあまり詳しくは見えなかった。
と、あれだけの暴発があったにもかかわらず、また花火が上がり始めた。さっきより、埠頭でよりも、はるかにきれいに見えた。
「あれは暴発じゃないと思う」
夏葉が言った。そちらを振り向くと、何か迷っているような表情があった。
「港大祭には、昔は毎回恒例のイベントがあってね、花火大会のときに、決まってわざと事故を起こして、集まった人々をパニックにさせてたらしいの。危険はあったから、40年前から行なわれてなかったみたいだけど」
ルイスのつぶやきに一致する。まさか、ルイスは知ってたのだろうか。
…でも、そうすると…
「今年の、これは…」
「そう、みたい…」
一気に肩の力が抜けた。もしも今日あのパニックに巻き込まれた人がこれを知ったら、それはそれでまたパニックが起こるだろう。
それに、逃げる人々のせいで、けが人や、下手すると死者まで出たかもしれないのに…
とにかく、まぁ、終わったことはもういいだろう。この花火で、人々のパニックもとりあえずは収まるだろうし。
いろいろなことが頭を駆け巡る。
…卓弥たちは大丈夫なのだろうか。
「とにかく、あいつらと合流しよう。それからだ」
「あ…」
夏葉は動こうとしない。どうしたのだろうか。
「…夏葉?」
夏葉はうつむいている。さっきまでの元気が嘘のようだ。不安になって、近くへと移動する。
「…このイベントで…」
夏葉がつぶやく。俺は思わず足を止めていた。
「…パニックの中で、一緒にいられたら、カップルになれる、って、言い伝えがあるの」
…え?
俺の動揺をよそに、夏葉はなおもしゃべり続ける。
「…信じてなかったんだけど、もしも、その、一緒にいられたら、そのときは…」
夏葉は胸に手を当て、さらにうつむいた。俺の心臓は不思議なほどどきどきと鳴っていた。
夏葉が少しずつ近づいてくる。
俺と、目と鼻の先で止まり、夏葉が口を開く。
「昨日は、あんなこといったけど、あの後、後悔してたんだ」
俺の心臓がひときわ大きく脈打つ。口の中が乾いていた。
「…龍哉、本当は私…」
花火の音も、もう聞こえない。
夏葉の口から発せられた言葉が、耳を、頭を駆け巡った。
しばらくは動かなかった。
動けなかった。
やがて、俺は、夏葉の手をとった。夏葉がゆっくりと顔を上げる。
俺は何をどういったらいいかわからなくて、そんな自分を少し恨みながら、とても簡単な言葉を返した。
「…俺もだよ」
俺は夏葉を抱きしめる。夏葉も俺を抱きしめる。
俺たちは花火の光の中、見つめあった。お互いの心音が、体温が、感じ取れた。
夏葉の顔が近づいてくる。ピンク色に染まった頬が、きれいな目が、赤い唇が。
そしてほとんど同時に、俺と夏葉は目をつぶった。
動かなかった。二人ともが。
動きたくはなかった。きっと、夏葉も。
この瞬間を、永遠にしておきたかったから。
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言霊へモドル