第五十話「青春」
夏休みももう後一週間ほどで終わりになる。
俺は宿題を片付け、ぐうたら生活を送っていた。太らない程度に、だ。
もちろん修行はしている。主に夜間に、これまでよりもハードにだ。ただ、夏は夜が短いし、夜間で歩く人も増えるので難しいのだが。
一番の敵は暑さだ。夜間とはいえ、今年の夏はかなり暑い。そんなわけで修行時間は減っている。
宗治狼もさすがにこの暑さには参ると思ったが、あいつはあいつで精力的に動き回っているようだった。
メールを開く。卓弥からだった。
「明後日夏葉の誕生日だってよ!なんかプレゼントでもおくるのかぁ?(笑」
(笑、は余計だ。というか、一瞬驚き、そのすぐ後にまだ誰にも知られてはいないはずだということを思い出す。
あの夏祭りの夜からニ週間ほどたつが、一応俺と夏葉の関係は誰も知らない、はずだ。夏葉は別にいまさら、と言っていたのだが、俺がなるべく秘密にしようと言ったのだ。
なぜか?卓弥や優哉(まだ優哉はいいが)に知られたらヤバイからだ。さらに、湘に知られたあかつきには、…想像したくもない。
…でも、誕生日のプレゼント、か…
俺は財布を取り出す。ある程度のまとまった金はあった。
―――よし。
携帯を取り出し、夏葉の番号を出した。
「ね、どこに行くの?」
俺の隣の夏葉が聞いてくる。夏葉は、その名前のとおり夏が似合う。
…いや、その、つまり、夏服が似合う、というか、その、可愛い。浴衣も似合ったが、こうゆうのも似合う。
…あの夜のことを思い出すと、急激に顔の表面温度が上がってしまう。
……っぷ……
…ん?
「夏葉、何か言ったか?」
「え?聞いてなかったの?どこに行くか聞いてたのに」
夏葉は少し表情に険を寄せる。どうやらさっきのは俺の空耳だったようだ。
「いや、聞いてたよ」
出来る限り平静に対応。あまり怒らせたくはないし。
「じゃあ教えてよ。龍哉からの初めてのお誘いだし」
言いつつ夏葉は笑う。駄目だ、なんだか恥ずかしい。
実際、付き合い始めてから何度かこうして、デ、デート、は、したが、全部夏葉のリードによるものだったからな。
「まぁ、そのうちわかるさ」
ふーん、と、納得したのかわからない声をあげて、夏葉はそれ以上聞いてくるのをやめた。
と、俺の右手が夏葉につかまれる。驚いて向くと。笑顔の夏葉の表情があった。う…、その笑顔は強力だ。
俺は少し困ったような、笑ったような表情をして、夏葉の手をつかみ、手をつないでやった。
ワーオ、まさか女と手をつなぐ日が来るなんて思わなかったよ。
妙に気恥ずかしくなって、ふと道路の脇に目をやったところ、卓弥の姿が見えた。卓弥の狐につままれたような表情が――
まて、ありえない。ココは隣町だ。卓弥なんているはずない。頭を振ってもう一度見ると、卓弥はいなかった。
ほっとしてため息をつく。夏葉が不思議そうにこっちを見つめる。
「どうかしたの?」
「…いや、なんでもない。暑かったから幻覚が見えたのかもしれない」
「さっきのボーっとしてたのといい、龍哉、暑さに頭をやられちゃったんじゃ?」
「そんなわけあるか」
二人して笑いあう。そうこうしているうちに、目的地に着いたようだ。
「ほら、ついたぞ」
俺が指差したのは、港湾市の水族館だった。この地方では一番大きい水族館だ。
「…避暑にもいいし、たまには、と思って」
夏葉のほうを向きながらいったが、そこで夏葉が動かないのを見て、少し不安になる。
やっぱりこどもっぽすぎたかな…
「…夏葉…?」
「…懐かしいなぁ。子供のとき父さんと母さんに連れてきてもらって以来…」
夏葉は過去を懐かしむような、そしてなんだか悲しそうな表情をしてつぶやいた。
「…夏葉」
「えっ?…ああ、ごめん。それじゃ、いこ」
夏葉は表情を笑顔に切り替え、俺の手を引っ張った。俺は少し後悔したが、でも夏葉の心遣いに甘えることにした。
「で?ホントなのか?それ」
龍哉と夏葉が水族館に入ってから十数分後、その水族館の前にある一団が集まっていた。
「ホントだ。この目で見た。確かだ」
そういうのは、他の3人に注目されている卓弥だった。
優哉が困惑した顔を卓弥に向け、大きく息を吐く。
「…しかし、いつの間に…」
女性の二人の内、気の強そうな方、樹があごに手を当て考える。
「多分、あの夏祭りのときでしょう。あの時、あの二人とはぐれてしまったし、合流したとき微妙におかしかったですから」
樹の隣の綾が言う。卓弥もそれに賛同した。
「…そういえば、何で湘を呼んでないんだ?」
優哉の問いに、3人はえっ、という表情をする。思わずたじろぐ優哉。
「…そりゃ、お前、あいつが夏葉のことを好きだろうから、知らせたらショックを受けるってことで…」
なぁ、と樹に同意を求める卓弥。あいまいに、けれど首を縦に振る樹。
「…それで、私たちを呼んだ理由は何なんですか?」
綾が核心をつく。他の3人は、最初のように卓弥を見つめた。
卓弥はこれみよがしに咳払いをし、邪悪な笑みを浮かべる。
「当然だ。人様の恋路を邪魔するのが、俺たちの役目!」
「なるほど!俄然やる気出てきた!」
ガッツポーズで意思疎通する卓弥と優哉。
「…んなことしないで、自分も彼女作ればいいだろが」
樹のため息混じりの言葉は、二人には届かなかった。
隣で、同じく迷惑そうにため息をつく綾。
「よし!いいか?あいつらは今水族館の中にいる!これを邪魔するにはだな…」
「悪いけど、おれはパスな」
「私も参加しかねます」
樹と綾はそういって、二人から離れていった。
後に残された卓弥と優哉。季節はずれの風と木の葉が似合いそうな情景。
「くそぉ、まあいい!俺たちだけでも!」
「ああ!俺様たちなら出来る!」
腕を打ち合わせる二人。いい加減に気付け。自分たちの惨めさに。
「うわぁ、気持ちよさそうだね」
夏葉は周りの魚を見て、そう言った。俺は苦笑した。
おれ自身は水族館は初めての体験だったので、誘っておきながら、結局夏葉にリードされているのだが。
それにしても、一応水族館でもOKだったらしい。言霊の本はあながち当てになる。
たしか、自然に働きかける言霊は、術者の性格が出る、だったっけ?主に水を使う者なら、水が好き、とか。
…今考え直してみると、安易だな…
「ほら、龍哉。次はあの水中通路行こうよ!」
「ああ」
俺は夏葉に引っ張られるままに、ドーム上の巨大水槽の下にある通路に向かった。
「コードナンバーY、聞こえるか?」
「音声良好」
「こちらナンバーT。ターゲットたちは予想通り水中通路に向かった」
「了解。予定通りにトラップを発動させる」
「健闘を祈る」
「きれいだねぇ」
「そうだな」
海底から海を見上げているような光景は壮観だった。あの日の花火にも劣らない。
そういえば、結局あの隠しイベントはニュースでは事故として報じられていた。確かに、仕組んだことがばれたらやばいしな。
けが人は出なかったのでよかった。これは後で聞いた話だが、あの場にいた人間の7割近くは仕掛け人だったらしい。つまり、20歳代以下と、20代で恋人がいない人以外には情報が回っていたらしい。
これだけ回っていると、絶対ニュースキャスターも知っているはずだが、そのあたりは黙認の方向なのだろう。
「…ねぇ、龍哉。このガラス、割れないよね?」
夏葉が少し不安そうに聞いてくる。確かに不安にはなるが、そこまでは考えないだろう。
でも、不安がる夏葉も可愛い。
……駄目だ、この思考。
「そんなはずはないだろ。これまでに割れたとかいうニュースを聞いたことがないし」
「…そうだよね。あはは、馬鹿みたい、私」
笑顔になる夏葉。
…そろそろトンネルを抜ける。今日はあまり人がいなかったらしく、ゆっくりと見ることができた。
「…うわぁ!」
「…っ!?」
トンネルを抜けた途端、いきなり誰かがぶつかっていた。帽子をかぶった男と、私服の男性とが。
「…?、?……すいません…?」
帽子をかぶった男のほうがぶつかったらしく、そそくさと立ち去っていった。私服の男性もそのまま去っていく。
何なんだ、あれは?
それにしても、下手をすると夏葉にぶつかっていたかも知れない。
「龍哉?次はどこに行こうか?」
「あ、ああ…じゃあ次は…」
「ナンバーY!どうなっているんだ!?」
「俺にもわからん!なんか私服の男に邪魔されたんだ!」
「くそ…誰かは知らんが余計な真似を…」
「どうする?ナンバーT。『女にぶつかってココに来たことを後悔させよう作戦』最初から失敗だぞ」
「言うな!次に邪魔が入らなければ波に乗る!」
「了解!」
「しっかし綾、お前お嬢様っぽいとは思ってたけど、まさかこんなことまで出来るとはねぇ…」
「人の恋路を駄目にする人たちは許せません。アラカワ、ご苦労様。バンドウ、卓弥さんの監視を続けて。タチバナ、優哉さんが次に行動したらお願いね」
「「「了解しました、お嬢様」」」
「よろしく頼むわよ、みんな」
「「「はっ!」」」
「すげぇな、お前…」
「総勢10人なら、あの二人を気付かれないで止めるくらい造作もないでしょう」
「…は、はは…あの二人はご愁傷様だな…」
「きれいだったね」
「そうだな」
俺たちは水族館から出て、その近くの海岸のアスファルトを歩いていた。
日はだいぶ落ちてきている。
ふと夏葉が立ちどまってこちらを向く。
「そういえば、知ってた?明日私の誕生日なんだ」
「…知ってるよ」
俺がそういうと、夏葉は少し悲しそうに目を伏せ、道のへりに腰を下ろした。
「…やっぱり、内緒なままでいるんだよね…」
俺は予想していた言葉を受け止める。隣に座って、夕日を眺めた。
「夏葉、俺な…」
「くそぉ、なぜすべての作戦が失敗したのだ…」
「お、俺様のせいだけじゃないぞ!」
「ホンット、馬鹿だね」
「た、樹!?帰ったんじゃ!」
「人の恋路を邪魔しようなんて人を放ってはおけませんからね」
「!綾まで!」
「まさか、俺様を邪魔したのは…」
「うちの使用人たちです」
「「……くっそぉ!」」
「自業自得です」
「…はぁ、馬鹿だな…」
「…それで、今日お前を、その、誘ったんだよ」
夏葉がこっちにゆっくりと顔を向ける。俺は腰につけた小物入れの中から、小さな箱を取り出した。
昨日、買っておいたものだ。
「これ、お前に…一日早いけど…」
箱を開けて、出てきたネックレスを夏葉にかけてやる。
「…あ……」
「おめでとうは明日言うから」
照れくさくなって、それだけ言うと俺は顔を背けた。
肩に夏葉の手が添えられる。
耳元でささやく声。
「…いろいろ秘密にしとくとか、わがまま言ってるんだから……」
俺は思わず夏葉のほうを向く。
「…え…!?」
「だめ?」
夏葉の恥らう声。駄目だ。俺はもう夏葉に抵抗できないようになってしまったらしい。
夏葉の願いどおり、俺はもうひとつのプレゼントをあげた。
つまり、あの日のように、夏葉を抱きしめ、キスをしてやったのだ。
次の日、なぜか夏葉の誕生パーティで会ったメンバー(湘以外)が、少しぎこちなかった。多分、恐らく、9割方、気のせいだろう、と思う、が。
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