−白と黒の軌跡 後編−
「…隼、大丈夫?」
「は、はい、今のところは…」
雨の中、協会の施設から無音の警報が発せられていた。
所狭しとちりばめられた罠を、外して、かわして、逃れて、森から出ようとする隼たち。
それは、犯罪者が刑務所から脱獄するのにも似た光景。
「もう少しで、予定の地点です。そこまで行けば、谷口さんたちが車で待っているはずです」
隼の隣の女性の、さらに隣にいる男――杉村拓実がそう言う。
その言葉に誰も反応はしなかったが、少なくとも自分自身を鼓舞しようとはしていたのは間違いなかった。
きっかけは、諜報員たちの会話だった。
「なぁ、アレだろ?港市で言霊による殺人だって?」
「ああ、確か十数人、それぐらいの死傷者が出てるらしいぞ」
「犯人は見つかったのか?」
「さぁ……まだらしいが、どうやら言霊の暴走らしいぞ」
「じゃあ犯人も死者の中ってか」
「んで、犠牲者になんか関係者でもいたのか?協会内でも隠蔽工作なんて」
「それがさ、これ見ろよ…」
「…ええと、深月、深月、こりゃ親子かね……んで、津田…!これ、まさか…」
「ああ、“白牙”のだろ?」
「だから、か…」
後は、いても立ってもいられなくなった隼を、沙理奈がついでに連れ出してくれた、というわけだ。
隼の心ははやり、脚は限界以上の速度を生み出す。
ようやく、森の出口が見え始めてきた。
そこで、誰かに襟首をつかまれた。
考える間もなく、すぐに反転した拓実が、つかんだ相手に体当たりをする。衝撃で隼は沙理奈のほうへ飛ぶ。
「追手か…」
沙理奈は唇を噛み、決心したようにポケットに手をつっこむ。
そして隼をつかんで、そのポケットに取り出した何かを入れた。
「沙理奈、さん?」
「それ持って、先に行きなさい!私たちは後で行くから。谷口にはそういっておいて!」
「待って、くだ、俺も、言具で――」
問答無用でブン投げられる隼。その目には、沙理奈が言具を取り出して拓実に加勢に向かう光景が写り、
狙いたがわず、森の外へと吹き飛ぶ。
と、何も無く、地面につくはずの隼の体が宙に浮かぶ。否、それはクッションの感覚。
「隼君といったな、扉を閉めろ」
運転手、谷口英緒はそういった。どうやらこれは車の中らしい。
外から見えないらしく、森から出てきた追手も発見していない。
「で、でも、沙理奈さんたちが…」
「大丈夫だ。こうなったときの手はずも整えてある」
「けど…」
「いいから早くしやがれっ!」
その声に、中からは見えている車の扉を、隼は閉めた。
すぐに急発進する車。後ろ目に、発見したらしき追手を、沙理奈の言具が打ち倒しているのが見えた――
「それでさ、それでさ、りょーちゃんは、『そんなものは料理じゃない』ってさ。それであたしは久しぶりにキレちゃったのよ」
「まぁ、昔に比べれば可愛いものだったがな」
「うわ、りょーちゃんから可愛いとか言われちゃったぁ!これって告白?」
「高速で死ね」
「それ、もう飽きたよ」
「いいように扱われているな、凌斗」
「貴様も五月蝿いぞ、隼」
「そうか、なんか違和感あると思ったら、凌斗の二人称が貴様からお前に代わってたことだったのか。いや、納得」
「貴様ら、二人して俺をからかっているのか?」
「ん〜ん。ぼくちゃんは結構本気で楽しんでるよ」
「左に同じ」
「……」
「落ち着け、何で殺鬼刃を持ってるんだよ」
「冗談だ」
「冗談になってないよ〜!」
「――既に、死亡しております。死因は心臓発作で、突然死としか…」
港市の病院で、隼は立ち尽くしていた。
目の前には、成長した、かつての面影を残す洋介。
かつて背中に背負ったこともある洋介。
小学6年生の、まだ、12歳になったばかりのはずの、洋介。
隼は、涙を堪えることができず、
ただ、滂沱するだけ。
隣で、ここまで、日本まで付き添ってくれている、谷口が医師にもう一つの質問をしていた。
「それで、この子の母親のほうは…」
医師はわずかに顔を下げ、力なく言った。
「…214号室に行けば、わかります」
214号室では。
隼が片時も忘れたことの無い、母親の姿が。
動いて、いた。
弟が死んだことでショックを受けているとはいえ、それでもうれしさがあふれ出る隼。
駆け寄って、看護婦がいるのにもかかわらず、母を抱きしめた。
「母さん!!」
母さん、母さんと、何度も呼ぶ。涙が、悲しみと、再会の喜びの涙が、とめどなくあふれる。
けれど。
かつてのように、頭がなでられることは無かった。
「…ぼうや、どなた?」
隼は驚く。後ろのほうでは、谷口に、看護婦と医師が、状態を説明していた。
ショックによって記憶障害、そのほかの脳の機能にも著しく障害が発生している。
簡単に言えば、壊れた、のだと。
「え…ぼ、僕だ、よ……息子の、隼だよ…母さん、覚えて…ない、の…」
隼は信じられず、もつれる舌を動かしながら、必死に問いかける。
そのかいあってか、母親の瞳に、意思の光が宿る。
「…はや…と?」
その光は、憎しみの光だった。
突然の首の周りへの圧力に、隼は現状認識ができなかった。
「お前、お前がっ!勝手に消えてっ!勝手に、貴様!!」
母親にゆすられて、隼はさらに混乱し、首を絞める手を緩めることもできない。
ようやく医師と看護婦が気付いて、手を外そうとする。が、ちょっとやそっとでは外れない。
隼は母を、かつてのように、悲しい瞳で見てしまった。
「きさ、ま…それがっ!その目が!私を、哀れんでいるつもりか!!」
完全に壊れ、それでも、その憎しみが隼に当てられる、凄絶な、光景。
「お前が、私の苦労を、何を理解して、いた、のだっ!ふざけんじゃ、ないよ!哀れむなっ!何も知らないくせに!!」
隼はまったく抵抗しない。
「勝手に、抜け出して、アレから私たちがどれだけ苦労したかっ!金なんて問題じゃなかった!!いっそ、お前が、洋介の代わりにっ…」
ようやく、応援の看護婦が現れ、鎮静剤が投与される。
落ち着いて、腕からも力が抜け、隼はようやく開放される。
谷口がかけよって、しかし硬直した。
隼は、笑っていた。
どこまでも空虚な、笑いを浮かべていた。
「…それじゃぁ、帰るよ」
「え〜?もう帰るの?まだ5時じゃない」
不思議そうに時計を見る唯。凌斗はそれを横目で見ながら、わからない程度に小さくため息をして、小さく言った。
「…また、病院か?」
隼の足が止まる。
唯の声も止まる。
隼は、あれから毎日のように、母親の見舞いに行っている。
壊れていて、隼を認識できなくても。
隼の怪訝そうな表情を見て、凌斗は小さく、口だけで笑って続ける。
「…一応いろいろと、調べさせてもらったからな」
「人の生活を覗き見するのはいいことじゃないだろ」
「フン。……それより、いい加減無理するのは止めたらどうだ?」
隼は体を強張らせた。
唯は、話しについていけずに気まずそうに黙っているだけ。
「…お前に…」
俺の、何がわかる、といおうとして、隼は止めた。
母親の言葉を、使いたくなかったし、それにその問いには、意味は無かった。
誰も、自分以外のことなどわからない。
それどころか、隼のように、自分自身のことも、わからないかもしれない。
「…言っておくが、お前に何がわかる、とか言いたいのなら、それは意味の無い質問だ」
察しがいい凌斗。隼は黙っている。
「お前のことなど、8年の付き合いの間でしか知らん」
「そうだな」
「だがな、8年の間だけでも、お前を知るのは十分だったと思うぞ」
唯も頷いた。
「だから、無理するのは止めろ。辛いんだろう、自分の過ちと向き合うのが」
「………」
「そんなものは、人は折り合いを付けなければ生きてはいけないぞ。お前は、そのつけ方が下手だ」
「…なら、どうしろと?」
「…来い」
凌斗は立ち上がり、殺鬼刃を手に取る。
「勝負だ」
地下に設置されている闘技場で、唯にはなれたところで見守られ、隼と、凌斗が対峙していた。
「…さっさと言具を出せ」
「………」
隼は一瞬戸惑ってから、しかし、言具を出した。
凌斗はそれを確認すると、視界から消えた。
隼は急速に屈み、後方からの横薙ぎをかわす。さらに回転して如意丸をぶつけようとする。
が、凌斗はその如意丸の攻撃の線を読みきり、紙一重でかわして即座に攻撃。
殺鬼刃が地面に突き刺さり、危ういところで逃れた隼が後方回転して体勢を立て直す。
だが、殺鬼刃に凌斗がついていないことに気付くのが遅れた。
気付いたときには、あたまが揺れるような強烈なアッパーを受けて、後方に吹き飛ばされていた。
脳震盪で、体が動かない。
その隼を、凌斗が襟首をつかんで立たせる。
そして、
「!!りょーちゃん!?」
殴った。
一発、二発、三発。
四発、五発、六発。
全力で。
顔から、あたまから、腹まで。
「…どうだ?すっきりしたか?」
「………」
凌斗は、襟首を離す。隼は重力にしたがって地面に仰向けになる。
唯が近づいてくる足音が聞こえる。
「これで、たしか通算が1429勝1531敗569引き分けだな」
「………」
「連勝で言えば、お前の7が止まったところ、か」
「白と…黒……」
隼が口を開く。
「…対極…交わら、ない、色………か…」
それは凌斗に向けた言葉ではない。
独り言のつもりで、朝方の問いを思い出しただけの言葉。
「………」
唯が沈痛な表情でうつむく。
通称の、白牙と、黒爪の、由来。
すべて対照的な、決して交わることが無い、対極の存在。
「……大いに結構だな」
「………」
凌斗は吐き捨て、さらに続ける。
「知ってるか?白と黒を混ぜると、灰色になるってコトを。そして、この世は灰色で満ちている」
凌斗はコンクリート、刀身、それらを指差した。
「だとしたら、黒と白は交わらないものではなかろう。まあ、どうでもいいことだ」
そういうと、凌斗は会談へと向かい始めた。
隼は、しばらく考えて、階段を登り始めた音がしたときに、叫んだ。
「凌斗っ!!」
そばにいた唯が思わず身を引く。階段の音が止む。
隼は一呼吸置いて、決心して、言った。
「酒は置いてあるか?」
刹那の後。
「茶ほどではないが、好きだからな」
そういうと、凌斗は再び階段を上がり始める。
どこか、先程よりも軽い音のような気がした。
隼は、久しぶりにすがすがしい気持ちだった。
「……大丈夫?ハヤ君」
「ああ……お前、酒は大丈夫か?」
「うん!ぜんぜん平気!」
「そうか…っと」
体を起こす隼。すぐにふらつく。
だが、唯がすぐに支えてくれた。
「すまないな」
「ん〜ん、気にすること無いよ」
隼は、笑った。
心のそこからの、笑みだった。
そして、追った。
追われるはずだった相手を。
決して交わらない、だからこそ交わる。
そんな、最高の相手を。
雨音の記憶 前編 に続く
言霊へモドル