第五十三話「奮戦」




「…“円月、覇断=h!」

夏葉を抱き寄せ、牛頭の火炎を、何とか円月覇断で止める。

だが、俺は夏葉より上方にいたため背中を火炎が舐めていた。走る痛みをこらえ、円月覇断の維持に力を注ぐ。

「龍哉!…“治癒せよ”」

夏葉の言霊で背中の痛みが和らぐ。そして、火炎も終わりを告げた。

火炎に吹き飛ばされ、地面へとたどり着いていた。そこに襲い掛かる牛頭の右足。

夏葉を抱いたまま、まだ痛みの残る背中を無視し、横っ飛びに逃れる。

「…っ、はぁ…」

さすがに、あれだけの言禍霊を相手にした後では、かなり分が悪い。相手もダメージを受けているが、さっきの火炎で形勢は逆転した。

攻撃を避けつつ、俺は夏葉につぶやく。

「…あいつの気をそらしてくれるか?ほんの数秒でいい」

夏葉は一瞬驚いたような顔をした後、力強く頷いた。

その顔に、一抹の不安を覚えながらも、俺は夏葉を抱き寄せていた左手を離す。

夏葉と俺は別々の方向に逃れ、牛頭を刹那の間だけ混乱させる。

「“形成せ、水よ。我が銃となりて!”」

夏葉は槍を銃に変え、牛頭に狙いを定め、

「“凍てつく奔流よ!敵を撃ち抜け!”」

引き金を引いた。それで牛頭の頭は、夏葉に狙いを定めた。

夏葉は牛頭の攻撃を、避けるのを中心にし、時たま傷口に銃撃する。

その間、俺は必殺の一撃のために言葉をつむいでいた。

「 “月下に映えしもうひとつの閃光。暗き地を照らし、我らに命を与える力”」

牛頭の攻撃をことごとくかわす夏葉だが、遠目にも疲れてきているのが見て取れた。急がなければ。

「“悠久たる時を経て、現世において輝く命。遙かなる地を経て、我らに輝きを与える汝”」

牛頭の口があけられる。喉には、先程と同じように、言霊が具現化して見えた。

夏葉も動きによって気付いたようだが、止められないだろう。攻撃を避けるのに手一杯だ。

だが、あと少しでこっちの言霊も完成する。ギリギリで間に合うはずだ。

「“汝は光、されど汝は剣。そして汝は月。故に…”」

…次は…まずい!思い出せない!

その間にも牛頭の口内で言霊が形を成していく。夏葉は避けられない。俺は間に合わないのか!?

なんだったっけ…ええと、故に…くそっ!いつもは省略してるし…あせって逆に思い出せな…

故に汝をとどめる縛鎖はなし、でしょ

それだ!

「“故に汝をとどめる縛鎖はなし!正輝――」

俺は月歌福唱の効果が残っていることを祈り、牛頭の口に向けて飛び上がる。牛頭の口には、言霊が構成されたところだった。

刹那早く牛頭の口から炎が出される。次いで、俺の言霊が発動。

「“三日月光列旋!=h」

消耗した竜を屠ったときより強力な、全力の三日月形の閃光。相対する炎を構成する言霊を打ち払い、牛頭の瞳が驚愕に揺れる。

牛頭の瞳がそのままで固まったまま、閃光は牛頭を飲み込み、一瞬のうちに塵へとかえさせた。

俺は例のごとく力を使いすぎて、重力に逆らえないまま落下する。

このままおちたら頭蓋割れて死ぬな、と冷静に分析していた。

突如現れた巨大な氷の滑り台に俺は落下、背中を思い切り打ったが、頭は割れずに滑っていった。

終着駅には夏葉が待っていた。勢いのままに夏葉ごと滑り出す。

「きゃっ…」

地面に着地しそうだったので、俺は正輝を突き出して衝撃を軽減し、夏葉を抱きとめて地面を背にする。

…やけどした背中に、擦り傷が増えて、痛みの二重奏に思わず顔をしかめる。

派手な爆音がしたので、横目に様子を伺うと、馬頭が爆散した音だったらしい。卓弥も地面に膝をついていた。フェリオがそのそばにいる。

「…ん…」

夏葉が俺の腕の中で小さな声をあげる。一瞬、今が戦闘中だということを忘れそうになった。

「…龍哉…」

目をパチクリさせて、俺を見る夏葉。何かに気付いたように息をのむ。

「龍哉、大丈夫!?怪我してない?」

不安そうな顔で俺の様子を伺う夏葉に、同じ質問をしようとしていた俺は、質問しなくても答えをもらった。夏葉には怪我はないようだ。

「…よ、お二人さん。昼間っからお熱いね」

その声に俺たち二人は同時に「そんなんじゃない」とあわてていって、卓弥がフェリオに支えられているのを目にした。

フェリオは柄だけのサーベルを見せて、苦笑いする。

「また作ってもらわなくちゃ…戎璽様に怒られちゃうヨ」

俺も夏葉に支えてもらって立ち上がる。

そして、言霊の気配に振り返った。

夏葉の首に噛み付こうとする蛇を見つけ、考えるより先に体が行動し、咄嗟にかばっていた。

その蛇は、俺の右腕に噛み付いた。夏葉がそれを見て、夏葉だけでなく卓弥とフェリオも、だが、目を見開く。

『…狙いが逸れた、か。君を狙ったわけじゃないんだけどね』

例の声がしたと思ったら、蛇は消え、正確には言霊に戻り、俺の傷口から吸い込まれていった。

途端に足が震え、目の焦点が合わなくなり、体から力が抜け、世界が反転する。

地面の冷たさを頬に受け、俺は震えることしか出来ない。

声が聞こえる気もするが、上手く聞き取れない。

『ふふ、その毒は私をどうにかしない限り解けないよ』

例の声だけは、頭にしっかりと響いていた。

『まぁ結果オーライだけど、これで邪魔者は消せる。最後のプレゼントをどうぞ…』

結果オーライ…邪魔者を消す…さっきの蛇は、俺じゃなく、夏葉を…

危険信号を鳴らす脳の片隅に、言霊の反応が現れた。

震える体を動かし、その方向を見ると、地面から文字が、言霊の具現化したものが現れているのが見えた。

絶衛、と見えたその字は、空中に浮き上がり、形を成す。

文字を見えない卓弥たちが気付いたのは、具現化してからだった。

そいつは、竜だった。それも、この間の夏休みに、俺がこの手で斬った、あの。

瞳に色はない。言禍霊として強制的に蘇らせられたのだろう。

あの竜を言禍霊として使役できるなど、例の声の主は、沙理奈と同等、それ以上かもしれない…

絶望的だった。

俺は動けず、卓弥と夏葉も疲労し、フェリオは武器を失った。

そこに、あの竜。

俺の朦朧とした意識が、竜の口の中で言霊が渦巻いているのをかろうじて捉えていた。

…この、体が、どうにかなれば…言霊を口に出すのも、難しい…

「“伸びろ、如意丸”」

聞こえたその言霊とともに、竜の顔面が強制的に上を向かされていた。

赤くきらめく、ありえない長さの棒によって。

夏葉たちが校舎の方を向いたのがわかった。俺は急には首が動かせなかったので、竜のほうを見ているしかなかった。が、そこにはさらに驚愕の現象が起こっていた。

竜の右前肢から、血が吹き出る。続いて首、左前肢、胸、足先、体中のいたるところから、噴水のように鮮血をほとばしらせる。

「隼、やれ」

いつの間にか血をたぎらせた日本刀を持った凌斗が俺の目の前に来ていた。

竜は色のない無機質な瞳を、突然の出来事に対する驚きと恐怖に染め、呆然としていた。
               こてんじじゅうきえ
「はいよ。…“如意丸、弧天慈充帰慧=h」

隼が伸びたままの如意丸を抱え、それを振り上げる。混乱した脳ですら、その棒に宿る破砕の力が見て取れた。

上空を向いたままの竜は、痛みを感じる瞬間もないくらい刹那の間に、頭蓋から背骨、肋骨までを直線にたたき折られ、塵と化した。

俺はその光景に、無理矢理に自意識を取り戻し、半ば叫ぶように言霊を使った。

「“体内の毒、消えろ!”」

怒鳴ったつもりが、実際にはつぶやき程度の声しか出なかった。が、何とか体を起こせるまでには感覚が戻った。

すぐに体を起こし、自分の体や、さっきかまれた右腕を見る。毒のものらしき文字が見える。
     ひか
「…“痺禍¥チえろ”」

今度こそ本当に体の全感覚が元に戻る。ようやく落ち着いて息を出来た。

「…遅いぞ、隼」

「悪い悪い。学校を修理してから来たから…」

笑いながら隼は言う。実に普通に会話をしているとき並に緊張感がない。

「…俺たちがどれだけ苦労したか…」

「いや、だって結局大丈夫だったんだろ?」

「それにしても、凌斗をこっちによこすとか、方法はあったんじゃないのか?」

俺の言葉に鞘に日本刀を戻したばかりの凌斗と隼は顔を見合わせて、

「それもそうだな」

「気付かなかった」

とか言っている。俺はため息をつくしかなかった。

『…いくら私が召喚してるとはいえ、あの絶衛を倒すとは、意外だね』

再びの例の声。今度は先程までと違い、こちらには余裕があった。

隼と凌斗がいる上、俺も牛頭に使ったレベルの三日月光列旋を後1・2回はつかえる余裕がある。卓弥も動けるようだし、夏葉もまだ元気だ。フェリオは武器を作ってやれば戦える。

『それに、深月龍哉君。君が“視える”人間だということもね』

嘲笑が混じったその声は、なぜだか知らないが、俺を無性にいらだたせた。

隼と凌斗、それにフェリオがこちらを向いているような気もするが、かまうことなく俺は怒鳴る。

「…お前は何が目的なんだ!」

彼方からは、押し殺した笑いの気配が伝わってきた。

「…君の『調査』さ、深月龍哉。そして、次でその調査も終わる」

いやな予感がして俺は咄嗟に叫んでいた。

「“円月覇断!=h」

無数の細い矢のようなものが、防護膜の表面に突き刺さった。

狙いは夏葉と、卓弥と、フェリオ。

『…お開きにしよう。またいつか…』

その声は遠ざかりつつあるようだった。
                                          ・ ・ ・ ・ ・ ・
俺はその声の主が使った言霊が、本来言霊を消滅させる円月覇断に突き刺さったことを忘れ、思わず走り出していた。

「あ、オイ!龍哉!」

隼の声もおぼろげにしか聞こえない。広い校庭を、声の気配がいくほう、玄関のひとつである校庭口のほうへと走る。

だが、校庭口にたどり着く頃には、息が上がってしまっていた。それに、スピードが違う。

と、そこへエンジン音。道路のほうを向くと、卓弥がバイクに乗ってやってきていた。

「乗れ!」
   ためら
俺は躊躇うことなく後部座席に乗る。

バイクが急発進する頃には、霧は完全に晴れていた。




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