第五十四話「重ねられた罪」
「なぁ、卓弥。ひとつ聞いていいか?」
俺は卓弥の背中にそう問いかける。結構大きめに。
「ぁあ!?何だ!?」
運転しながら卓弥が怒鳴る。卓弥も例の声の主を感じるらしく、正確に追跡している。
このままいけば追いつけるだろう。相手は恐らくは自らの体ひとつで移動している。
俺の心配はそんなことではない。
「…うち、バイク禁止だったよな?お前、免許は?そのバイクは?」
風を切る音。気のせいでもなんでもなく、卓弥は沈黙した。
俺が再び同じことを聞こうとしたとき、卓弥は言った。
「よし!いってみよー!」
………………無免に窃盗、捕まったら終わりだな…
校庭に残された4人のうち、3人は霧が晴れたのを確認すると校舎に向かい歩き始めた。
残る一人、夏葉は隼の肩をつかみ引き止める。
「隼さん、龍哉と卓弥をほっとくんですか!?」
その顔には、心配と不安がほぼ等量に含まれていた。
「あいつらのことは沙理奈さんに任せる。それより…」
隼は校舎を見上げる。少しずつだが、動く気配が感じられた。
「…霧と一緒に言霊も解けたらしい。俺たちにいらない疑いをかけたくはない」
「でも!」
夏葉は肩をつかむ手に力を込める。隼は笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。今日は始業式だからもうじき学校も終わる。それにあいつらは多分追いつけはしないだろう」
凌斗のほうを隼が見ると、凌斗は重々しく首を縦に振る。
フェリオは何か考え事をしているようだった。
「…俺たちが行くより、沙理奈さんが行ったほうが確実で安全だ。わかるな?」
隼の最後の言葉に秘めた意味を、夏葉は感じ取ったのか、そうでないのか、とにかく何かをいおうとして、それを飲み込み頷いて見せた。
隼はそれを見ると校舎に向かって歩きつつ、携帯で沙理奈の番号を呼び出す。
……奴は、見つけたのか?
龍哉の弱点、龍哉を黒く染めるのに、一番染めやすい塗料を。
もうじき沙理奈が出るはずだ。学校の霧のことで質問をされるだろう。
その時間まで、隼は頭をフル回転させ、可能性を探っていた。
「!?卓弥…」
「わかってる。何のつもりなんだ…」
卓弥はハンドルを右に切り、旧工業地帯に入り込む。
この町に廃工場が多いのは、昔、ここが工業地帯であったからだ。
その工場群は、時の流れと共に必要とされなくなり、再開発にかける金を出す企業が出ないまま、今のように放置されているのだ。
工場の廃品が転がっている道路を、危なっかしくもなんともない卓弥の運転で通り抜ける。
卓弥は過去にバイクを運転したことがあるのだろうか?それとも初体験で…
…!
「た…」
俺が名前を呼ぶよりはやくに、卓弥は車体を急激に右に傾ける。
俺はその勢いに乗って車体から離れる。卓弥はそうもいかず、車体ごと転倒した。
だが、そのおかげで敵の攻撃を避けることができた。
先程円月覇断に刺さった矢。どうやら言霊自体がかなり濃縮されたものらしい。
それで円月覇断が無効化しきるよりはやく、膜表面に到達している、ということか。
俺はすぐに卓弥の下に駆け寄る。
「うぅ…ってて…」
頭を抑える卓弥。怪我はあるが無事なようだ。
「卓弥、お前はここで少し休んでいろ。どの道…」
俺は正輝を肩口に構えなおした。その刀身に、例の矢があたり、はじける。
卓弥の頭への直線コースだった。
「あっちは俺以外と話すつもりはないようだからな」
俺は卓弥が立ち上がり、双雛を構えるのを見届け、そして、一気に走り出した。
工場内は、光が届きづらい構造をしていた。電源は落ちているため、蛍光灯もただの邪魔な飾りにしかすぎない。
それでも、さびた天井から光がこぼれてくる。
そこに、そいつはいた。
「いや、いらっしゃい。君から来てくれるとはな。こうして顔を合わせるのははじめて、か」
声の印象と同じ、皮肉げな笑みを浮かべたそいつは、30ほどの男だった。
太ってはおらず、むしろいい体系だといえる。
「お前たちは、禁言と呼ばれているらしいな」
「おお御明答。一緒にいた協会の連中から聞いたのか」
いちいち俺の頭にくるしゃべり方だ。とにかく、まずは話からだ。引き出せる情報をみすみす逃すわけにはいかない。
「一応名乗っておこうか?まぁ、本名ではないが――リシャスとでも呼んでくれ」
「…目的はわかっている。俺が月読家であることに関係しているんだろう」
簡潔にそういうと、奴――リシャスは少し目を大きく開いた。
「…それは自分の考えかな?それとも、誰かに聞いたのかな?」
「答える義務はない」
俺の返答に、リシャスは目を細める。少し雰囲気が変わった。
「…まず、君には私たちの目的をちゃんと知ってもらう必要があるかな?」
「……」
「簡潔に言おう。私たちは、君自身が欲しい。君の力だけでは不十分なのだよ。だが、今の君が欲しいわけではない。君が我らと同じ思考を持った、そのときの君が欲しいのだ」
「…意味が、わからないな」
「違うな。わかろうとしないだけだね。君はあの竜――絶衛を殺したとき、どう思った?あの時、何も学ばなかったのか?」
「…!」
かいらい
「ふふ…私たちが、あの竜に傀儡の言霊をかけたことは知らなかったか…」
「…キサ…マ…」
俺の中をこらえられない何かが駆け抜ける。衝動のままに動き出そうとする体を、理性でとどめる。
「それだよ、深月龍哉。その君が欲しい」
そいつの言葉は、俺を硬直させた。
俺は―――俺は…
『闇に、呑まれるな。我のようにな・・・』
竜の言葉が蘇る。
戎璽のときの体験が蘇る。
リシャスは、大げさにため息をついて見せた。
「…やはり、君の大事なものを奪う、という方法のほうが、手っ取り早くていいかな?」
その言葉に俺は戦慄する。
リシャスは、だからこそ、蛇で夏葉を狙い、俺ではなく卓弥たちを射殺そうとしたのだ。
「…さて、では外にいるはずの彼に死んでもらうか」
「させるか!“正輝、切り裂け!”」
俺の手の中の偃月刀が牙を剥く。リシャスの顔に広がったのは、笑み。
せんてんげん
「“尖点言”」
突然左肩を押される感覚。前進を止め、横の機械の陰に逃れる。
肩は、例の矢で貫通されていた。感覚が消えている。
「…縮言、か…」
痛みをこらえつつ、呟く。
「今のは貫くことを重視した矢だ。君のバリアにさしたのもこれだよ」
余裕しゃくしゃくのリシャスの講釈。薄い笑みを浮かべている表情が容易に想像できた。
しょうばくげん
「そして、私の言霊はただ貫くだけが能じゃない―――“焼爆言”」
俺の隠れているところの横に、言葉の矢が突き刺さる。
と、次の瞬間――俺が縮言から効果を予測し、横に飛んだ瞬間――その矢を中心に、爆発が起こった。
機械という壁をなくした俺に、容赦なく矢が襲い掛かる。
「く…“円月覇断=h」
「無駄無駄」
俺が円月覇断を展開すると同時に、リシャスは矢を3本放つ。
円月覇断が、破られた。俺の肩口を切り裂いて鮮血を上げさせる。
だが、そのときには俺は次の機械を壁とし、息をついていた。
――尖点言で、時間差をおき同じところを、つまり、刺さった矢に後続の矢をさすことで、無効化した部位から矢を内部に届かせる。
俺が絶対防御として使っていた円月覇断が破られた。ショックは大きい。
「何度やっても同じだね。君には飛び道具はない。私には勝てないよ」
再び焼爆言が俺の隠れている機械のそばに突き刺さる。
俺は横に逃げると見せかけ、機械の上に飛んだ。
「俺にも飛び道具ぐらいある」
横に逃げると踏んでいたリシャスは、そちらに向けて尖点言を放っていたところだった。あけた口をそのままに、顔をこちらに向ける。
ひえんこうきゃく
「“飛燕洸却=h」
居合い斬りのように正輝を振りぬく。そこには、半円の弧のような、圧縮された言霊が発生した。
リシャスの顔が形容しがたい笑みに染まる。そして―――
直撃した。
俺が不審に思いながらも着地すると、右足の太ももに違和感。
目をやると、矢が刺さっていた。
じんそくげん
「…“迅速言”…」
ほこりの奥から、立て続けに軌道がまったく見えない矢が俺の体に突き刺さる。
「…っか……」
自然に、膝をついてしまう。
それでも、俺は正輝をつかんだままだった。
「…“飛燕洸却!=h」
正輝の起こした衝撃波が、ほこりを吹き飛ばし中の人物をきりさ――
かなかった。
こうじんげん
「“鋼靭言”…」
現れたのは、体の前に巨大な鋼の矢、むしろ棒、を掲げたリシャスだった。
「…油断したよ。調査不足だった。それにしても…」
リシャスは血に染まった自らの左腕を眺める。
「…やはり学校でやりすぎたか。消耗しているな」
「“青竜疾駆!=h」
隙を突いてリシャスに投擲した偃月刀は、造作もなくかわされ、むなしく奥の壁を破壊した。
次の瞬間、リシャスが目の前から消え、俺は腹を蹴り飛ばされ後ろの機械にたたきつけられていた。
…駄目だ…勝てない…
…滅びの、言霊を………
「さて…こいつを殺しては意味がない」
その言葉で俺は少しだけ落ち着きを取り戻す。奴らの目的が俺なら、殺しはしないはずだと、もっとはやくに気付くべきだった。
いや、まて。おかしい。それではなぜ俺がこいつと戦っているか説明がつかない。何か、大切な理由があったような…
「…やはり、まずは外の男を始末するか…」
――――…
外の男…卓弥…始末…
その言葉がやけに頭の奥深くを刺激する。
俺の思考は消えた。色であらわすと、緑や赤があったところに、その言葉が上から塗られたように。
そう。黒に。
リフレイン
奴の言葉の意味が、頭の中で繰り返しされる
タイセツナヒトタチヲ、コロス
……―――――
「…させない」
「んあ?」
俺の呟きにリシャスが反応する。今すぐにあの顔を踏みにじってやりたかった。
「…オイオイ、私は君を殺すようにいわれてないし、殺したらそれこそ私が殺される。おとなしくしていろ」
体中から響く悲鳴のような痛みも、もう聞こえない。
今頭を支配しているのは、あいつをどうやって…………かということだけだ。
俺は呟く。意味のある言葉の羅列を、ただ一つの目的のために。
「わかったか?オイ…」
「知っているか?」
「あん?」
口調が砕けてきたリシャスは、俺を見下すように見る。俺は笑みをかえしてやっていただろう。
「言具は、いつでも操れるってことを、さ」
リシャスが気付いたときには手遅れだった。
後ろの壁から迫る偃月刀の、柄の先端についている槍が、背中から体を貫通していた。
衝撃に仰け反る体。思考が一時的に停止しているだろう。
「…っはぁ!…ァ…ァァァァアアア!」
「ゲームセットだ」
リシャスが恐怖を浮かべ、俺を見る。俺は静かな笑みを返してやった。
血に染まる柄をつかみ、一気に引き出す。
リシャスの悲鳴も、体中のきしみも気にならない。
体を支配しているのは、ただひとつのこと。リシャスをどうやって殺すか、ということだ。
半ば切断されたリシャスの体を、せめてきれいにしてやろうと、我ながら優しい選択をしてやった。
体をためる俺に、リシャスは最後の言葉を残す。
「…そうか…これ、も…あの…お方の…考えの…うち…」
そしてリシャスは最後の最後で、皮肉以外の笑み、自嘲の笑みを浮かべた。
「“三十月蓮華=h」
リシャスの体は、正確に31個の肉片に変わっていった。
血だ。
ごみ…いや、肉。
油…人の、油。
人を作っていたもの。人だったもの。
ついさっきまで、生きて、そして…
俺が――――
俺は頭を抱えた。
違う!俺じゃない!あれをやったのは、俺じゃない!
俺は―――俺は…
あれは俺じゃない俺の中の違う何かじゃあこの血は?
違う――違う…違う違う違う違う違う!!!
俺の中の…もう一人の俺が…そいつは…俺じゃない!
俺は…俺はぁ…
肩をたたかれる。
すぐさま振り向くと、おとこが立っていた。
卓弥だった。
それでもおれは無反応だっただろう。多分、せいしんが、耐えられて、いない。
たくやは、みょうにきびしいしせんをしていた。
そしてすこししたあと、ちや、にくや、あぶらにむかっていった。
「…“血よ、肉よ、人間であったものよ、塵となりて消えるまで燃えよ”」
おれの、かおを、あかいほのおがてらす。
たくやはおれにたいしてもいった。
「“血よ、消え去れ”」
からだのひょうめんのいやなかんじがきえた。
うでをつかまれ、たたされる。
ひっぱられる。
あかるいそとへ。
からだがきえてしまうきがして、けれどきえてなくて、こうじょうのいりぐちから、ひとくみのだんじょがはしってきて。
それが、さりな、と、たくみ、だとわかるのに、またすこしじかんがかかって。
そらは、それでもはてなくあおくて―――
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言霊へモドル