第五十五話「狐二人」




何事もなく、新学期の二日目は終わりを告げた。

それだというのに、俺は気が重い。なぜかといえば、すべての原因は昨日にある。

第一に、学校を襲った奴を取り逃がした。正確には、戦って、負けて、逃がしてしまった。

俺自身は工場に入ったあたりから記憶が消えてるので、後で卓弥や沙理奈たちから事情を聞いたわけだが、最後に戦っていたのが俺だったので、かなり悔しい。

第二に、昨日の傷がまだ癒えきっていない。どうやら相手の言霊の影響で、こちらの言霊の効果が薄くなっているらしい。

それでも穴だらけの状態よりはよくなった。全身に包帯のオプションがつくのは仕方のないことだろうが。

それにしても、漫画の中じゃあるまいし、全身6箇所、急所は外れてはいたが、それだけ貫通されてよく生きていたな、と思う。

ついでにその傷のせいで、後で事務所に来た夏葉が、ベットで寝転ぶ俺に、親切にも水月(人体急所のひとつ)に正確に右直突きを入れてくれたので、今日の朝まで飯が食えなかった。

本人曰く、「馬鹿!死んだらどうするのよ!」だそうだ。だったら殴るな。

ついでになぜか隼が俺に対して謝ってきて(その視線が微妙に夏葉に向けられていたのは気のせいではなかったと思う)なんだか気まずかった。

とにかく、今日は部活をサボって帰宅中というわけだ。本当なら今日一日はゆっくりとしているつもりだったのだが。

自宅のあるマンションへ、川沿いの公園を通って近道をしようとしたとき、そのベンチの上に宗治狼を発見した。

宗治狼を街中で見かけることは珍しくはない。それに、狐としゃべっていると明らかに変質者なので普段は話しかけはしない。

だが、今回は少し状況が違った。

宗治狼の隣には、これまた狐がいたのだ。見つめ合っているということは、もしかして…

というか、こんな街中に、生霊である宗治狼はともかくとして、野生の狐はいるのか?そう思って言霊の反応を、一応探ろうとしたところ、

宗治狼がこちらに気付いた。

しかし、宗治狼は何も見なかったかのように振り向き、二匹そろって消えてしまった。

――ま、邪魔をされたくはない、か。

俺はそう考え、既に足はまっすぐに家へと向かっていた。

…それにしても、よくよく考えてみると、見つめ合ってたというより、睨みあってた、のほうが近いかもしれなかった。

なんというか、最近は俺も、そうゆう風に考えてしまうようになったというか…

自分で考えるだけで恥ずかしい。思考停止。とにかく、家に帰って寝よう。




龍哉が来るとは思っても見なかった。普段ならこの公園は通らないはずだからだ。

宗治狼は内心の驚きをよそに、努めて冷静に、龍哉を無視する。

そして、目の前にいる狐にしか聞こえない声をだす。

「人間が来た。ここではまずい。場所を変える」

それだけ言うと、宗治狼はベンチからとび、さっさと公園を後にした。

先程の狐が追ってきているのは、目で確認せずともわかる。問題は龍哉が怪しんで言霊の反応を探っていないか、だ。
        ふう
だが、恐らく、諷は言霊の反応を垂れ流しにするような馬鹿なまねはしないはずだ。何せ、生霊評議会の十二精の一人であるのだから。

いや、今は十一精か。

宗治狼は皮肉げに口元をゆがませ、ここ50年ほど浮かべていなかった厳しい表情をあげる。

川沿いに進み、誰もいなそうな空き地を見つける。

宗治狼がその中に入り歩みを止めると同時に、背後から人間の声がした。

「その姿よりもこちらのほうが話がしやすいのではありませんか?」

宗治狼が振り向くと、そこには狐の姿はなく、きらびやか、とまではいかないまでも、着物をまとった女性が立っていた。

町をゆく人が見れば、時代錯誤だと考える前に、まず目を奪われるかもしれない。宗治狼はそんな内面を隠し、自らに言霊をかける。

初秋の風が吹き抜ける頃には、空き地には男の子と女が立っていた。

「…なぜ、本来の姿を出さないのです」

女のほうがいぶかしげに、しかし何かを確認するように、男の子――宗治狼に問う。

少年はいつもあげるような笑みとはまったく別種の、どこかさめた笑みを浮かべる。

「私――いや、僕はこの姿が気に入っている。それだけだ」

女は悲しげな表情を浮かべ、それが見間違いかと思うほど、すぐさま厳しい表情に切り替える。

宗治狼はあたりを探っていた。他の生霊がいないか、探る。

そうする間にも、目の前にいる女性と話を始める。

「実に50年ぶりか?」

「いえ、52年と4月と13日ぶりです」

「細かいところは相変わらずだな。諷」

目の前の女性、諷は、自分の名前を呼ばれて体を若干震わせる。周囲には生霊の反応は感じられない。

「それで?お前はなぜ僕のところに来たんだ?」

宗治狼はいってから、どうも馬鹿にしているようだな、と思ったが、いまさらなおすことは出来ない。
ふう
諷のまゆがひそめられる。
 ぜつえい
「…絶衛の、事です。あなたなら、存じている、ことと、思っていましたが」

諷は唇をかむ。

もしかしたら反応を消しているだけかもしれない。宗治狼はそう思って、生霊の探索を再開する。

「あそこには、あなたの、爪跡が…痕跡が、残っていました」

張り詰めていたものが切れたように、諷は宗治狼に抱きついた。子供に抱きつく形だったので、必然的に膝をつく。

「なぜ…!本当に…あなたが…!……50年も…ようやく…見つけた…なのに…!」

宗治狼は遠い目をしていた。生霊の探索を打ち切り、諷の頭を、ただ、なでてやっていた。

ようやく震えがおさまってきた頃に、宗治狼は諷の顔をあげさせ、そしてその顔を見て、言った。

「…我らが友、古参の然霊、絶衛は…私が殺した」

愕然とする諷。宗治狼はつらそうな顔だった。

どれくらいそうしていただろうか、闇があたりを覆い始めた頃、諷がつぶやいた。

「…何?」

宗治狼は走り出す。空き地から出るときには狐の姿に戻って、まっすぐに、龍哉のいる、マンションへと走り始めた。




何かの、音がする。

それがチャイムの音だと気付くまでに、少なくとも4回は鳴らされていた。

俺は揺れる頭を無理矢理眠りから引き出し、玄関へとおぼつかない足で進む。

「……」

無言で扉を開けると、そこには和服を着た壮年の男性がいた。

その顔には柔和そうな笑みが浮かべられている。

俺は脳内で自分の知り合いを高速検索、当てはまる人物がいないことを一秒もたたないうちに確信する。

ならば、この目の前の和服の男は誰なんだ?




宗治狼の頭の中には、間に合え、という単語しか浮かんでいなかった。

先程の諷の言葉が宗治狼の体を動かす。

「…本当は、知っていたんです」

宗治狼はそれをかろうじて聞き取っていた。

「…あなたが、止めを刺したのでは、ない、ということ」

「…何?」
いたちまる
「鼬丸が、見つけたんです。あなたの痕跡の下に埋もれた、彼に、致命傷を与えた、言霊を」

宗治狼は一瞬平衡感覚を失いそうになった。まさか、あの鼬丸…余計なことを…

「…私は勝手に動くことは出来ず、それで…」

宗治狼は諷の肩をつかんでいた。その口が、取り乱した表情と共に、何かを言おうとするのを諷はさえぎる。

そして、その無言の問いへの答えを返す。
  からすま
「…烏丸です。あの、公園の少年でしょう?」

聞くが早いか宗治狼は走り出す。後に残った諷は、つぶやいていた。

「…私も、鼬丸も……それでも、あなたは…」




「どちらさまで?」

俺はとりあえず男に聞いた。普通はあちらから話しかけてくるものだと思うのだが。

男はそれでようやく口を開く。

「…深月、龍哉君、だね?」

「…そうですが?」

俺は咄嗟に背後に飛び退っていた。

「…客としての礼儀が、なってないんじゃないのか?」

男は立ち上がる。伸ばした右手をそのままに、柔和そうな笑みもそのままで。

そこで俺の目がうずいた。瞬間的に視界が暗転し、光が戻ったときにはあたりが言霊で見えるようになっていた。

この力は便利だが、自分で使いたいときに使えないのが不便だ。

だが、こうして丁度いいときに発動してくれる。

目の前の男は、人間と違う言霊で形作られていた。正確には、言霊そのものだった。

つまり、言禍霊、あるいは生霊。

「…正輝」

俺の右手に現れた言具を見ても、そいつは驚きもしない。

「…やはり、な。一致した」

わけのわからないことをつぶやいて、両手を掲げる。

ヤル気満々、みたいだな。こっちは病み上がりで、しかも回復しきっていないっていうのに…

「油断は死を招く」

その言葉は俺のすぐ目の前、鼻先から聞こえていた。

後方に飛びのくと共に叫ぶ。

「“円月覇だ…=h」

完成する前に、男の拳によって窓に叩きつけられ、ガラスが割れる。

あたったところが枠だったからよかったものの、そうでなければ4階下に落下していた。

「そして思考の停止も同じく」

再び俺の眼前に迫っていた男。俺は反応する暇がない。

俺の目は、奇妙な光景を捉えた。

男の右手が、進行方向から貫かれたように裂けていき、肩ごと吹き飛ばされる。反動で男も居間の壁に打ち据えられた。

唖然とする俺の前に着地したのは、狐。

「…宗治狼…?」

宗治狼は何も答えず、たたずむだけ。

そういえば、血がない。吹き飛んだ右腕からも、男の肩からも。

「…ふ、ふふ…貴様が…出てくるとは…」

男の姿は消えうせ、後方にそれとわかる言霊の反応。

振り向くと、窓べりにからすがとまっていた。

「…今回はここまでだ。だが、貴様ならこれからどうしたらいいかわかっているはずだな?さらばだ…」

カラスはそういうと、飛び去っていった。

宗治狼は、厳しい表情で見送るだけだった。




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