第五十六話「咎人の心」




俺は絶句するしかなかった。

宗治狼にいわれて、状況を把握できないまま沙理奈事務所まで来たのはつい先程。

それからの数分の間に、俺は絶句させられた。

わかったのは、あの生霊が生霊評議会というところの、いわゆる刺客であったということ。

そして、かつて沙理奈に警告されたように、あの竜、絶衛を殺したがため、俺に対して敵意を持っていたということ。

絶衛――あの、学校に来ていた禁言とやらの一人が、最後に蘇えらせた竜。俺が、殺した竜。

その事実が、心を打ち砕こうとして、それに耐えるのに精一杯で、何もしゃべれなかった。

「…宗治狼、アンタ、何で生霊評議会のことを?」

沙理奈が椅子に腰掛けたまま、深いため息と共に質問する。

対する宗治狼は、机の上にのって、厳しい表情で何か悩んでいるような表情だった。

しばしの静寂。

そういえば、俺は宗治狼についてほとんど知らない。

なぜ壺に封じられていたのか、その前は何をしていたのか。

なぜこの世に存在していて、なぜそんなに強大な言霊を持っているのか。

宗治狼が口を開く。

「……前の主人に会う前の、さらに前、今からは50年ほど前…」

嘆息。そして机から降りて、人間の姿になる。

見慣れたはずのその少年の姿に、しかし浮かんでいる表情を見て、違和感を感じてしまう。

「…僕は、生霊評議会に入っていました」

椅子が倒れる音に顔を向けると、沙理奈が驚愕の表情で立ち上がっていた。

俺は何も思わない、というより、思えない。宗治狼が、現存する天然の生霊たちの中で、最高権力を持つといっても過言でない、代表の組織、生霊評議会にいたと知っても、それを驚く感覚が麻痺しているのかもしれない。恐らくそうだろう。

時を重ねるごとに、犯した罪は身を蝕む。竜のこと、そして、そして――

「…まさか、空席の第4席は…」

沙理奈の声で強制的に現実に引き戻される。俺の精神は相当ガタがきているようだ。

これでまた、誰かを、意思を持つ相手、言禍霊以外の相手、人間、を、殺したなら――俺は、その時、俺は――

俺は軽くため息をついて思考を振り払い、目の前の宗治狼を注視する。目を瞑ってから、宗治狼は、ゆっくりと答えた。

「…そうです。僕は――生霊評議会、最高賢者、十二精が第4席、“瞬爪”の名を冠す狐です」

沙理奈がゆっくりと、息を吐くのが感じられた。まるで、怒りを堪えて、押し殺すように。

またしばらくの静寂。

「…まったく…何をいったらいいのやら…」

沙理奈はいろいろ悩んでいるようだった。今年――俺が高校に入ってから、特に悩むことが多くなっている気がする。

沙理奈に申し訳ない。それだけじゃなく、多分、他のみんなにも迷惑をかけているのだろう、俺は。

特に卓弥にはこの間はひどい目にあわせてしまった。相手の狙いは俺だったというのに、巻き込んで――――?

…相手の狙いは、俺だったのか?そういえば、俺の名前をよんでいた気もするが…

もっと、重要な、何かを…忘れている気が、する。

何か、ドアの鍵が見つからないような、それでいて、どこか安心しているような、そんな感覚。

「…あちらは」

宗治狼が再び口を開く。沙理奈は思考しながら、それでも耳は宗治狼に傾けられているのがわかった。

「僕には簡単には手は出してはこないでしょう。目的は――龍哉」

俺は不運の星の下にでも生まれているのか?言霊を使えると思ったら事務所に入れられ、高校入学初日に死に掛け、竜という常識の範疇を超えた存在と戦い、協会に襲われ、禁言におそわれ、今度は生霊評議会か。

まったく、ついている男だな。

皮肉で精神を落ち着かせようと思ったのだが、それ以前に、最早驚くという感情が驚くほど消えかけているのが感じられた。

一時的な麻痺、だろう、か。

「龍哉を、どうするつもりなの?殺すわけ?」

沙理奈が身も蓋もなく聞く。俺にとって、死の恐怖というものを一度経験している俺にとっては、その言葉に重みを感じる。

だが、回りくどい言い方――たとえばがん告知をする医者のような――をされるよりは、よっぽどましだった。

宗治狼は何度目かのため息をつき、淡々と語る。

「…あちらはそのつもりでしょう。ですが…」

一息吸う。吐く。また吸う。生霊も呼吸をしているということを、今、初めて、実感した気がした。

「僕と、それに龍哉が自ら出向いて、理由を語れば、あるいは」

「馬鹿げてるわね」

沙理奈が宗治狼の意見を一蹴する。

「第一に、確率が低い。アンタだって、絶対はないだろうケド、それでも5分以上の賭けではないって事、わかってるでしょう?」

宗治狼はうつむく。つまりは肯定なのだ。

「第二に、奴らのところに行くまでに龍哉が殺される可能性がなくはない。それに、奴らの居場所自体わかっていない…」

「それについては」

宗治狼が遮った。

「…僕の仲間がいます。彼らなら…」

「信用できないわね」

再び、沙理奈は一蹴。

「第三に、仮にたどり着けたとして――奴らがおとなしく、状況を説明し、納得した後でも、龍哉を生かしておくとは考えにくい。その場合――」

一呼吸置き、沙理奈は俺と、そして宗治狼を見て、いった。

「あんたたち二人だけは言語道断、仮にあたしがついていっても無理ね」

結局。

俺は、その刺客とやらが諦めるまで、ちぢこまっていなければならない、か?

断固、拒否する。

何より、巻き込みたくないのだ。これ以上、俺自身のことで、誰かを。たとえ、沙理奈だとしても。

俺は決心し、息を吸い込んで、

「それでもいきます」

その台詞は、宗治狼から出されていた。
                ・ ・
「それに、実力の面では、今の沙理奈さんより、僕の本気のほうが上です。逃げることぐらい、“瞬爪”と呼ばれた身、造作もない」

後半から、宗治狼の口調、さらに、目つきが変わってきた。

俺は呆然としたまま口を閉じるのも忘れ、宗治狼に見入る。

「…仲間のことは、信用してもらうしかない。ですが、必ず、大丈夫です。そして、この身にかけて、龍哉は守る」

宗治狼の、過剰なまでの反応に戸惑いを隠せない俺に対して、沙理奈は、まるでこうなることを予想していたかのように、冷静だった。

「…元はといえば、あの場所に痕跡を残してしまった、私の責任です。すべての責めは、私が負うべきなんだ」

「信用できない」

三度、沙理奈の宣告。しかし、その口元は緩やかな曲線型に曲がっていた。

「…なんて、信用しなければ、この世のすべては信用できないものね」

沙理奈は軽く笑う。宗治狼の表情が硬いものから幾分か和らいだ表情になる。

「…アンタは、どうなの?」

数秒を経て、俺に問われていると理解して、即答した。

「いきます」

「…そうね。そうよね。アンタなら、そうゆうでしょ……『回り始めた風車は、簡単には止まらない。風がなくても、止まりはしない』…か」

沙理奈はそうつぶやいて、フェリオが持っていた本に載っていた、一小節を口ずさんで、

何か諦めたように、何か決心したように、

笑った。

「…いいわ。出来るだけ近日中に、龍哉の怪我が完全に治ったら、即刻行きましょう。ただし、あたしもついていくけどね」

俺の心の中では、既に覚悟は決まっていたのだ。

きっと、宗治狼にすべてを言われる前に。

だから、

沙理奈の言葉を聞いて、それでも、

何も変わりはしなかったのだ。

『回り始めた風車は、簡単には止まらない。風がなくても、止まりはしない』

その続きは、確か、『回すための風は強くて、止まるときは、折れるときだけ』だ。そういえば、昨日見たばかりだった。

…折れるとき、だけ。

俺が歩き始めたのは、かつての約束があったから。

俺が立ち止まるのは、立ち止まっていいのは、かつての約束が、折れたときだけ。

そのときまで、

立ち止まることなど、許されないのだ。

たとえ、

その約束を、破っていたとしても、

折れるまでは、

決して、

決して。




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