第五十七話「異郷の地の始まり」




結局、俺の傷の治療に言霊を使って1日、その消耗の回復のために2日を使い、俺たち三人は空港へと向かった。

宗治狼の話では、「評議会は今現在は外国にある」のだそうだ。そのためには海を越えなければならないのだが、

「評議会は無関係な人間には極力手を出す真似はしない」

ということで、普通の人間がそうするように、飛行機を使うことにしたのだ。

3日の間、俺にとっては少し驚きもあったが、襲われるようなことはなかった。

おかげで十分に回復することが出来たのでよかったのではあるが、少し拍子抜けした反面、不安も生まれた。

心残りとしてはもうひとつ。夏葉に何も言わずに来てしまった事だ。

言ったら言ったでとんでもないことになるのは火を見るより明らかなのだが、それでも罪悪感は残る。

きっと今頃、金曜なのに学校に来ない俺を不思議に思っていることだろう。それを想像すると、いやがおうにも胸に痛みが走る。

何の変哲もないエコノミークラスの座席に座る。傍目には母親と(沙理奈はそんな年でも風貌でもないはずだが)子供二人というように見えるだろう。

瞬間。

感じた鋭い視線。

さりげなく後ろを振り向いたときには、もうそんな感じは消えていた。

アナウンスでシートベルトを締めるよう、また携帯やタバコについての放送がされる。

左ポケットの中に入っていた携帯電話を取り出し――国外では使えないに等しいと思ったのだが持って来てしまった――

画面に新着メールありの表示があるのをみて、ボタンをおす。

夏葉だった。

俺は返事を出そうか、中身を見ようか迷い、迷ったかわからないほど一瞬で携帯の電源を落とした。

いま、夏葉のことを考えていても意味がないことぐらいわかっている。そんなことは。

最早先程の視線も頭から消えようとしていた。

これから目指すのは――中国。



「ありがとう」

という趣旨らしき言葉を運転手にかけ、お金を払う沙理奈。

基本的に、俺は外国で暮らしたことはあるからこうゆう旅行じみたものには慣れている。

だが、俺が住んでいたのはあくまでもユナイテッドステイツ、アメリカだ。よって中国語など理解の範疇外だ。

「…さて、宗治狼、後はどう行けばいいの?」

沙理奈は左手に中国原産と銘打ってある非常に高かった茶葉や、キムチの入った手提げ袋を抱え、どこかうれしそうに宗治狼に問う。

既に中国に来てから12時間が経過している。移動時間を差し引いて、残りの時間は何に当てられたかといえば、

沙理奈の観光+買い物、である。

これでは留守番をさせられて、出発前に何度も「気をつけてください」といっていた拓実がうかばれないと思う。

宗治狼の「評議会の現本部は外国」という言葉に、一瞬目を輝かせたのはなんと言うことはない。

観光のためか。

さすがに、呆れた。

あとキムチはむしろ韓国が原産ではなかったか、と曖昧な知識に疑問を立てている俺にも。

「少し、歩きます」

宗治狼は多少疲れた表情で言った。

「いくら山の中とはいえ、普通の人間が迷ってもたどり着けるようなところには作らないはず」

「だったらあたしたちにはわからないんじゃないの?」

沙理奈が目くじらを立てる。

俺はむしろ、宗治狼の言葉遣いに違和感を感じていた。

無邪気にはしゃぐ子供のような狐、それが宗治狼に対する俺の印象だ。だから、こんなふうに慇懃な言葉遣いをする宗治狼を見ていると、何か気持ちの悪いような気がするのだ。

宗治狼は俺の思考など知るよしもなく、子供の姿で、似合わない口調でしゃべり続ける。

「だからこその仲間です。そこまでは徒歩しか手段がないんですがね。それに…」

宗治狼の表情に厳しさが増す。

「ここから先はまず評議会に気付かれないようにしなければなりません。評議員の誰かと遭遇して、無事に中まで辿り着ける可能性は限りなくゼロに近い」

沙理奈が、いつの間にか真剣な表情に変わっていた。

「わかっているわよ。あんただけが頼りなんだからね」

「わかってます。もし遭遇した場合は…」

「当初の予定通りアンタが足止め、あたしは龍哉を連れて日本へ戻る、でいいんでしょ?」

「そうです。ではここからは本当に警戒してください。僕――私も」

宗治狼の体が光に包まれ、

「――この姿で行かざるをえないでしょう」

そこには幾重もの布を重ねた服を身にまとった、整った顔立ちの青年が立っていた。身なりは立派な人間だった――尾が、生えている以外は。

「龍哉」

変貌した宗治狼からは、先程までの口調と外見の不一致はまったく感じられなかった。むしろ、別人のような感じがする。

俺の知らない、宗治狼だった。

呼びかけられても、反応できない。

そんな俺に対して、宗治狼は口元をゆがめ、目を細める。

「驚いた?これが私の真の姿さ。こんな大人の頭をなでて、油揚げをやっていた感想はどうだい?」

あっけらかんとした、緊張などまったく含みもしないその口調に、俺はようやく息をつくことが出来た。

「…まぁ、基本的に俺は年齢差別をしないからな。お前こそ、俺に油揚げをねだった感想はどうなんだ?」

「アレは楽だったね……子供のままに成長して、ここまで生きてきたから、いい過去の回想になったかな」

「ホントの所はどうなんだ?」

「言っとくけど、恥ずかしくはなかった。けど、今思うと少しは、ね」

俺たちは笑う。

こいつは、宗治狼だ。どんな姿でも、これが本当の姿だとしても、俺と過ごしていたあの宗治狼は、目の前にいる宗治狼なのだ。

「あんたら、そろそろ行くわよ」

沙理奈が陽気な声を出す。

俺と宗治狼も、山の入り口へと入り込む。

と、早速。

感じた、言霊の反応。

「…これは」

「……龍哉、逃げるわよ」

「待ってください、違います」

警戒を解かない俺たちを制し、まっすぐ言霊反応のするほうを向く宗治狼。

「でて来い、鼬丸」

宗治狼の声で、言霊のほかに感じていた殺気が消え、威圧するような言霊反応も消失する。

そして、でてきたのは頭に布を巻いて、髪の毛を立てて、顔に刺青をしている少年。

くたびれたシャツに布のズボンという、ラフな服装をし、静かにこちらを見ている。

「…久しぶりだな。お前は相変わらずのようだが」

宗治狼のその言葉に、鼬丸は苦笑いに似た表情を浮かべた。

「宗治狼さん、50年ぶりの言葉がそれですか……諷さんが泣いて帰ってきたのもわからないでもないですよ」

刺青から勝手に不良っぽい口調を想像していたのだが、かなり普通なしゃべり方だった。

それにしても……諷、ねぇ…

宗治狼の表情を見ると、まゆがピクリと動いているのが確認できた。

今度から油揚げの交渉にこれを使うとしよう。

「…そうだ、忘れていた」

というと宗治狼は鼬丸を手招きする。「なんスか?」と何も警戒せずに近寄っていく鼬丸。可愛そうに。

予想通り、といおうか、当然、といおうか、

宗治狼は鼬丸の脳天に空手チョップを浴びせた。

のた打ち回る鼬丸を横目に、俺のほうを向く宗治狼。その目を見て、先程の考えをシュレッダーで切り刻んで永久廃棄した。

これまでの印象で、怒り方が可愛いといえるものだったのに対して、先ほどのはそれとのギャップが激しく、恐ろしすぎた。

しかし、さすがに沙理奈には向けられないようで、恐らくこれからも宗治狼は沙理奈には逆らえないだろう。

「…っ!何するんですかっ!宗治狼さん!」

「この間現場検証で余計なことをしてくれた礼だ」

その宗治狼の言葉に、反論は吐き出されず、鼬丸はまずいことを言われたように、目を伏せた。

いぶかる宗治狼に、

「…っすいません!」

と謝る鼬丸。

「…何を、謝るんだ?」

「いや、だって…俺のせいで、こんな面倒なことに……」

「……この間というのは、50年前のことだ。1000年も生きていれば50年などついこの前だ。最後にお前と会ったのもその頃だしな」

「………え?」

鼬丸はうれしさ半分、申し訳なさ半分の、奇妙な表情を見せる。

それを見て、何を思ったか、宗治狼はニヤニヤという擬態語が似合いそうな笑みを浮かべた。

「そうだ。まったく、お前は青二才だったな。初めての死体に驚いて、そのまま膝をついて小べ…」

「宗治狼さん!それ以上は!!」

あわてて止めにかかる鼬丸。もうその表情からは申し訳なさや不安は消えていた。

ゴホン、という咳払いと共に、その喧騒はやむ。

咳の主、沙理奈は少し不機嫌な表情で二人を見る。

宗治狼はもちろん、鼬丸も察したようで、沙理奈に抵抗するそぶりは見せなかった。

それにしても、大人状態の宗治狼が沙理奈にビビッているのは、なかなか面白いものがある。

「…それで、いくの?いかないの?」

「…鼬丸、案内してくれ」

「はーい……」

そそくさと俺たちの前に出て、先導する鼬丸。その後ろに沙理奈、俺、宗治狼の順で続き、進み始めた。

そのときだった。

再び、言霊の反応。しかし、この反応は…

「……鼬丸、全速で何分だ?」

「………10分、いや、7分ですね…」

「宗治狼、私としては当初の予定通り引きたいんだけど?まだ間に合うでしょ」

「いえ、あいつの性格からして、連絡はしません。それに…」

宗治狼はさりげなく、俺にささやきかけ、そして、

「…中に入りさえすれば、この先にいる人物と合流しさえすれば、安全です。行ってください」

消えたかのように、高速で移動した。

木の上から金属音。

「いきますよ、二人とも!」

俺と沙理奈は鼬丸の後を追って、全力で走り始めた。




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