第五十八話「狐と鴉と狙撃と」
「もう少しスピード出ませんか!?他にもいたら間に合いませんよ!」
「黙りなさい、これが私たちの出せる限界速度なの。それくらい計算しておきなさい」
「けど――」
「黙るか死ぬかって言われたら、アンタどっちをとるの?」
「………」
沙理奈の凶悪な一言と、殺気を受けて黙ることを選んだ鼬丸。可愛そうになってくる。
実際のところ、沙理奈は実力云々にかかわらず、怖い。逆らう気になれないし、実力が仮に数値化され、100%の勝率があったとしても、戦う気にはなれないだろう。
ともかく、今は宗治狼の言葉を信じるしかない。
俺の目は、言霊の反応を受けて、既に“視える”状態になっていた。視界の範囲なら接近には気付く。
鼬丸の限界速度で7分なら、俺たちだと少なくとも1.5倍はかかるだろう。
つまり、約10分、それまで、交戦がなければいいが…
宗治狼は木の上で、別の木の上にいる一人の和服の男と対峙していた。
和服の男は、名を烏丸という。真名ではなく、“宗治狼”のように、“深月龍哉”のように、後からつけられた名前だが。
宗治狼とは、500年来の付き合いで、憎むべき敵であった。
相手からすれば、だが。
「…待ちわびたぞ……待ちわびた……50年だ……」
烏丸はその顔を醜悪な笑みにゆがませ、背中にカラスの羽を生やした半原体になっていた。
対する宗治狼は人間体。より生来の姿、原体に近い烏丸のほうがより力を発揮できることは明らかである。
それでも宗治狼は、あえて人間体のままで相手をするつもりらしかった。
「…今日、この状態では、貴様は離反者で、しかも評議会の位置をもらした……犯罪者だ。処罰する理由がある」
烏丸は心底うれしそうに言う。
「…前回は実は殺す指令は受けていないが、今回は個人行動中だから、関係ない…誰にも教えはしない。俺が殺してから、それから伝えてやろう」
烏丸は腕を変形させ、本来カラスには存在していない前足――凶悪な鉤爪をはやす。
「貴様は気に食わん…本来ならば、この俺こそが、4番の席――“瞬”の席を手に入れるはずだったのだ。それだというのに、50年前貴様が消えた後も、その席は空席のままだった……気に食わん」
宗治狼は一息つく。
「…言いたいことはそれだけか?」
「…やけに、強気だな?人間体で半原体の俺の速さについてこれるわけなかろう?ほら――――」
烏丸の姿が掻き消え、宗治狼の背後に現れる。宗治狼を中心として、斜めに足元の木がせん断されていた。
「こんなふうに、な?」
血が吹き上がる。宗治狼の体から。
しかし当の宗治狼は気にした様子もない。彼が肩に手を置くと、その傷はすぐさま消滅した。
だが、それは烏丸には大きな疑問を二つ与えた。
(…血、だと?)
本来、生霊から血がでることはない。斬られても、言霊そのものである肉体は、血を流さないのだ。
だが、宗治狼は流している。そして、あの竜、絶衛も。
その共通点を、ただ烏丸は知らないだけ。ただ天然の生霊として生まれただけの烏丸が知らないだけ。
さらにもうひとつ。
先程、烏丸は宗治狼を右肩から心臓を通し、左わきの下まで切り裂いた。そのはずであったし、実際にそうであった。
けれど、宗治狼が傷ついたのは右肩のみ。明らかにおかしい。
「……烏丸、お前は重大な勘違いをしている」
烏丸は何となく手元に目をやる。驚愕が走った。
「お前ごときが“瞬”の称号を手に入れることは出来ない。なぜなら――」
烏丸にはその言葉に激昂する余裕すらない。なぜなら――
「お前は現存の12評議員の誰より遅いからだ」
烏丸の右の鉤爪が、なかったからだ。それは、宗治狼の手の中で、灰になっていた。
「ここで引けば、何もしない。だが引かないのなら、こちらの事情もあるのでな。いまさら罪状が一つ増えたところで気にはならない」
戦慄、していた。
烏丸は、その行動を、思考を、停止せざるを得なかった。
宗治狼は、
50年のブランクを感じさせるどころか、
50年前以上に、烏丸に圧倒的な差を見せ付けていた。
「…引くか、それとも…」
宗治狼の物的圧力も伴う言霊の含まれた言葉。
烏丸は――烏丸の中で、何かが弾けとんだ。
肉体を変換、原体へと、カラスの妖怪のような姿へと変化する。
烏丸の、理性が働いていない烏丸の中で、唯一持っている目的、
宗治狼を、倒す。
それは、烏丸の悔しさからなのか、宗治狼が追い立てたからなのか、それとも――
宗治狼は予期していたかのように、表情をまったく変えず、微動だにせず、
ため息をついた。
「鼬丸サン」
「何だよ、少年?」
「右斜め前方、言霊が近づいてきてる」
俺はそうゆうと、視えていた言霊の、予定コースから、一足飛びに離れる。
その直後、地面がえぐれた。
そのまま進んでいたら直撃だっただろう。
先頭の鼬丸は驚愕に足を止め、俺の後ろの沙理奈は俺のそばに近づく。
スコープ
「…こりゃぁ…“望遠眼”の野郎だ……」
「スコープ?」
「さっき宗治狼さんが向かっていった奴の相棒、というか、首輪みたいな奴だ!まずいぜ……このままじゃ狙い撃ちだ!」
鼬丸は頭を手で押さえ、次の瞬間には俺たちを抱え、近くの岩場の影に隠れる。
その岩が連続でえぐられる。
「…にしても、少年、何で野郎のタマが来るのがわかったんだ?あいつの言霊の圧縮弾は反応が探れないようにコーティングしてるって聞いたが」
「…いろいろあるんだ、こっちにもな」
「というか、鼬丸、アンタ最初っからさっきみたいにあたしたちを抱えて走ればよかったんじゃないの?」
沙理奈のトゲのある口調に、背筋を硬直させる鼬丸。
「…いや、その、あの…二人抱えて全力疾走なんて、かなりきついかなー……って」
「出来たけどやらなかったってワケ。ふぅん」
墓穴を掘った鼬丸。こいつの未来は決まった。
「……後でちょっと、用が出来ちゃったわね」
魂の抜け殻になった鼬丸をほっておいて、次々と削られていく岩の影で、俺と沙理奈は向き合う。
「こう、狙い撃ちされたんじゃ、進めやしないわね…」
「かといって、ここまで来て後退、というわけにも…」
最早俺たちを隠す岩は、岩の体を成していなかった。
「仕方ない……鼬丸?」
「は…え…あ、はい!?」
「龍哉を連れて行きなさい。あたしが一瞬隙を作るから。龍哉を死なせたらアンタはあたしの残りの寿命をかけて殺すからそのつもりで」
「…………」
「返事!」
「はいっっ!!」
涙目になりかけている蒼白な鼬丸。同情心がわいてくる。
「…沙理奈さん」
「なに?」
「奴の攻撃のことなんですが……」
俺の言葉に、沙理奈の顔にひとつの表情が浮かんだ。
勝利の確信の表情が。
奴の攻撃の弱点、それは――
俺は鼬丸の腕に抱えられながら、スコープの射線を凝視する。
言霊の反応が視界に入る。
「今だっ!!」
俺の叫びに鼬丸が飛び出し、同時に上空に飛び出した沙理奈が叫ぶ!
「“汝が御身は疾風の化身、出でよ“辻風”、疾走せよ!”」
召喚した何かが、スコープのタマの辿った道を正確に逆戻りで高速移動する。
先程見ていて気付いたこと、スコープの初弾発射から二発目を打つまでの時間は、最速で約1秒。
明らかに連射も出来るのに、一発ごとに、何かを確認するように不自然なまでのタイムロスがあるのだ。
そしてその1秒は沙理奈にとっては十分以上の時間だった。
辻風の介入で、スコープの次弾はあらぬ方向へとんでいった。
その頃には、俺と鼬丸は完全にスコープの視界から消えていた。
「アンタがさっきまで私たちを狙ってたの?」
沙理奈の視線の先には、辻風の断片――すぐに消滅したが――と、巨大な銃を支えにかろうじて立っている男の姿があった。
男の表面には、傷らしき傷がないように見える。
それは、傷が出来れば血が流れるという考えから生まれたもの。
血を流さない生霊にとって、その考えは通用しない。実質、スコープの体には辻風が残した切断面がいくつもあった。
沙理奈はそれでも油断はしない。確かに、遠距離タイプの戦闘家、俗に言う後衛は接近戦には弱いという常識があり、この男はそれにもれていない。むしろ、異常なまでに接近戦に弱い。
速さでは沙理奈の呼び出せる中で最速に近い部類だが、戦闘力ではあまりに頼りない辻風に、ここまでの手傷を追わせられているのだから。
だがしかし、この男は人間体なのだ。
半原体、あるいは原体となったとき、それでも必ず勝てるか、といわれて、そうといえる証拠はない。
「……私も、ヤキが回ったようだ」
そこで初めて、
沙理奈は男の目が見えていないことに気付いた。
「…成程。アンタはコウモリの生霊。音で判断しているってワケ。
つまり、銃弾は超音波の代わりで、衝突点から音波が発生し、私たちに反射して戻ってくる。それを聞き取るための1秒のロスってわけね。
それゆえに、高速の辻風によって、音を伝える空気を乱されて、ここまでの手傷を負わされたって事、か」
沙理奈の宣告に、盲目の男は自嘲の笑みを浮かべる。
「…勝手な行動をする烏丸を抑えるだけのつもりが、侵入者の排除という功をも狙ったせいで、こうまで、とは…」
「それで?これ以上やるの?やらないの?」
相変わらずの沙理奈。赤の他人のことなんかアウト・オブ・眼中。
スコープは呆れたのか、驚いたのか、息を漏らす。
「…殺さない……のですか?」
「殺してもいいけど、面倒だし、あまり殺すのは好きじゃないし」
沙理奈の返事にポカンとするスコープ。
「…あなた、最近有名な、『霊狩り人』の一団ではないのですか?」
今度は沙理奈がポカンとする番だった。
だがそれも一瞬。すぐさま表情は険悪なものに変わる。
「…霊…狩り…人…?」
第五十九話へ
言霊へモドル