第五十九話「語られる痛み」
「まだなのか?」
「もうすぐ……ほら、見えたっ!」
鼬丸に担がれ(あまりいい気分ではないが)風を切る俺の体。涼しくて気持ちいーなー。嘘だが。
鼬丸が指した方向にあったのは、人一人がようやく通れそうなほどの狭い隙間だった。
俺をおろして、中に入るように指示する鼬丸。
「……本当にここなのか?」
「間違いないって。俺は嘘はつかないんだよ」
ため息をついて、それでもとにかく侵入することにした。
体に汚れがつくのは仕方のないことだし、別に気にもならない。
ふと見ると、そばに鼬がいた。
鼬丸だとすぐにわかったのは目のおかげだろう。
「ここを抜ければ、諷さんがいるはずだ。諷さんのところにいければ、後は評議会まで直進だ」
「…思ったんだが」
俺の疑問提起に、鼬丸は不思議そうな顔をする。鼬の姿だったので、全国の可愛い物好きの人間は即刻落ちること間違いない仕草だった。
「ここまでの打ち合わせ、いつの間にしていたんだ?」
「ああ、簡単なことだ」
鼬は得意げな顔をする。
「宗治狼さんと諷さん、ひいては俺は以心伝心だからな。それに――」
なんだ、自慢話か、と思ったのは一瞬だけ。鼬丸の表情は、どこか懐かしむような、郷愁するような、そんな表情になっていた。
「…似たようなケースが、昔にもあったから」
鼬丸の表情は読み取れなかったが、はっきりとわかることがあった。
鼬丸は、過去にあったことに、悲しみと、そして、憎しみとを、強く、強く持っているということ。
「そろそろだな。天井から落ちる形になるから、着地には気をつけ――」
「鼬丸、もうひとついいか?」
「んあ?」
明るい表情に戻った鼬丸に、俺は声を落として、垂直に近くなってきた穴をおりながら言う。
「お前の仲間、何人だ?」
「俺と、諷さんと、それだけだけど?」
「妙だな」
「何が」
「下に6人いるんだが」
その一瞬後には、足を滑らせてトンネルから半分以上足が出てしまった。。
俺は鼬丸に上に残るように小さく言い、驚きのあまり停止する鼬丸を残して降りた。
結構な高さがあったので、着地したときに足が少しばかり痺れた。足から落ちなきゃしばらく動けなかったかもしれない。
だが、どちらにしろ結果は同じだったろう。
着地した俺は、首筋にいくつもの剣先を突きつけられ、動きを止める。
「立ちなさい」
その言葉に素直に従い、立ち上がる。目の前には、平安時代に出てくるような着物――十二単といったか――を身に着けた女性がいた。
「予定通りですね。さすがはあの御方です」
目の前の人物が誰であるか、おおかた予想はついていた。宗治狼は驚くだろうな、と思った。
言具を出して抵抗してもよかったが、宗治狼にささやかれたことを思い出す。
「決して戦おうとするな」
宗治狼はこの結果を予想していただろうか。まずないだろう。宗治狼が俺で、そして目の前の女が夏葉だったら、同じだったろう。
だがこの場合、俺は――覚悟が出来ていた、といえばうそになるが、こうゆう結果もある程度予想はついていたのかもしれない。
自分で言うのもなんだが、俺はかなり冷静だった。
「はじめまして。諷さんですね?」
女性の眉がそれとわからないほど、本当に少しだけ、動いた。
「……評議会に連れていきなさい。それから、“瞬爪”のほうに使者をお出しなさい」
「評議会に、ですか!?」
俺を取り囲んでいたばらばらの服装――日本のものから、旧ヨーロッパらしきものまで――の人間の姿をした生霊の内、一人が尋ねる。
「そうです」
「し…しかし…我々のすべきことは、侵入者を排除することであって……」
「『霊狩り人』であるなら、評議会で審問を行なうと決めたはずです」
「ですが、こやつが『霊狩り人』であるとは……」
「2度はいいません。それとも、評議会に直訴しますか?」
諷の言葉で、俺を取り囲む精霊たちに迷いが生じ始める。今なら容易に逃げ出せる、が……
れいび
「…わかりました。評議会にお連れします。“麗尾”様」
その言葉を聞いてか、それとも聞かずとも答えがわかっていたのか、麗尾と呼ばれた諷は道を去っていった。
俺は目を閉じる。ここは見えすぎて辛い。目が疲れる――
その目に、布らしきものがつけられた。
成程。評議会の場所はあくまで教えない、か。見上げた精神だ。
「……さっさと歩け」
背中を押されて、歩き始めることにする。
いつの間にか、天井に感じていたはずの鼬丸の気配が、消えていた。
沙理奈はスコープの説明に、厳しい表情を浮かべていた。
頭の中でいくつかのピースがつなぎあわされ、また新たなピースや疑問が浮かび上がってくる、そんな感覚。
「…それで、あなたは何者なんですか?」
説明を終えたスコープが問う。もう戦意はないらしく、全快した体を起こしても、銃を構えはしなかった。
「ただの普通のどこにでもいる言霊師よ」
「嘘ですね」
スコープが目を閉じたままに笑いかける。
「盲目だと、たとえば耳とか、他にもいろいろなところが鋭くなるんですよ」
スコープはほとんど、確信を持っているというような口調で、沙理奈に自分の推測を語った。
「…参ったわね」
沙理奈も笑う。苦笑い、というよりは、どこか自嘲の笑みのような笑いだった。
「…けど、言うわけにはいかないのよ。それに、今は忙しいから…いろんな意味で、見逃してくれない?」
「……私は…烏丸を止めるために後を追った。しかし途中で…」
一拍おいて、スコープは続ける。
「…見失った。行ってください。他に2人いるんでしょう?」
「恩に着るわ」
「いえ、命を奪わないでいてくれただけ、ありがたいです」
そういうと、スコープは木々の合間に消えていった。
沙理奈も、思考を切り替えて龍哉の反応を探ることにする。
口を突いて出てきた言葉。
「…鼬丸、本当に殺されたいみたいね…」
龍哉の反応は、山の内部で、巨大な9つの力に取り囲まれていた。
飛び散ったカラスの羽、ところどころに付着した血痕。
勝負は決していた。
左腕から血を流し、立っている宗治狼。
右の翼を完全に失い、前後足を折られ、体に裂傷を走らせた烏丸。
圧倒的な、差。
人間体と原体での、ここまでの差。
烏丸には意識が戻っていた。
「…止めを、刺せ」
宗治狼は左腕に右手を当てる。傷は修復されていく。
「…止めを、刺してくれ」
烏丸の声に、痛みが含まれていく。それでも宗治狼は振り向かない。
「頼むっ!生きていてもしょうがない!殺してくれ!お前が…お前に…!」
烏丸は絶望していた。
自分に。
世界に。
自分の小ささに。
世界の大きさに。
「殺せ殺せ頼む殺してくれお前が頼むお前に殺されてこそ殺せ殺してくれ殺せコロセコロセコロ――」
「五月蝿いぞ」
宗治狼は、近寄ってきた蚊を殺すかのように、そう言った。
「貴様は殺さない。殺すに値しない」
烏丸の痛みは、絶望は、恐怖は、
「二度と目の前に現れるな。目障りだ」
その程度で諦めるような奴はな、という言葉は、烏丸には届いていなかった。
宗治狼が背を向け、去っていく。そこに、手ぬぐいをまいた男がやってくる。宗治狼の表情が変わる。二人は消える。
烏丸の目は、それをただ風景として捉えただけだった。
最後まで、死ですらも、宗治狼から与えられなかった。
俺は結局、宗治狼に、敵としてさえ――認められなかったのか。
「…良い目をしている」
烏丸の聴覚を刺激した声。
誰だ、という言葉は、言葉にならなかった。
「私たちの元へくるか?そうすれば力を与えよう」
チカラ…ちから…力
「力を得れば、あの狐を超えられるかも知れんぞ?」
烏丸は、そのささやきに覚醒した。
「…超える…それだけの力…か?」
「ああ。欲すだけの力を与えてやろう」
烏丸は、男に折れた前足を差し出した。男はそれをつかんだ。折れたはずの足は、元通りになっていた。
「深月龍哉…お前は絶衛を殺害したことを認めるか?」
ある程度の広さを持った広間に、俺は通された。
目隠しを外され、また言霊だけの世界を見ることになるのを陰鬱に思っていたら、目は元通りになっていた。
このあたりが、俺がこの力がオートで発動するのを嫌う点だ。長時間使用すると目が疲れるし、何より勝手気ままに発動、そして消えるのはいい気分ではない。
その後すぐになされた最初の質問。
あたりには、九つの反応があった。
それは、間違いなく、円卓に座っている9人から発せられるものだった。
質問は正面の、外見上一番年上の老人からなされた。老人から見て右のほう、時計でいうと、老人を12として、9の席に諷がいた。
「答えよ。認めるか?」
再び、老人が問いかけてくる。座っているほかの8人から、無言の圧力がかけられる。
俺は胸の痛みを確かに感じながら、答えた。
「…認める」
途端に1の席にいた青年が立ち上がり、俺の視界から消える。
次の瞬間、俺の目の前で、青年の振り下ろした日本刀と、横から差し出された槍が衝突していた。
えんき
「…っ、12番風情で、俺に敵対するのかっ、猿黄っ!!」
こよう
「落ち着け、虚鷹。殺しては意味がない。それに、いかに末席と2番といえ、俺と貴殿では実力差は左程ないはずだが?」
ゆっくりと左斜め前を見ると、老人からみて右隣にいた、無骨な男がいた。
成程。あの老人が12評議員の長たる1番席で、そこから左へ順に席次が決まっているというわけか。
つまり、時計でいうと3時の部分、あいている4番の席が宗治狼のもので、そのほかに5時の席と10時の席、つまり第6席と第11席が空席というわけか。
「落ち着くがよい、虚鷹。既に決は取ってあろう?剣を引け」
4時、第5席の女性が言う。この女性はしとやかな諷とはまた違い、すらりとして冷たそうな印象を受ける女性だった。
ようやく、俺の首筋から剣が引かれる。
忌々しそうに舌打ちをして戻る虚鷹。第12席の猿黄が「すまぬな」と声をかけてきた。
「…さて、それでは事実確認も終わった…」
「少しお待ちを」
老人の言葉を諷がさえぎる。
「まだすべての事実がわかったわけではありません」
「…どうゆう意味だ?“麗尾”、諷」
先程の第5席の女性が言う。何の感情も込められていない、きわめて事務的な口調だった。
あいこう
「いくつか不可解な点があるのです、藍鮫」
びしゅういんふうれい
「その名で呼ぶなといったはずだが?媚愁胤諷零」
かすかに、かすかにだが、その口調に険が混じった。
いくさみずち
「“戦鮫”と呼べ」
「……失礼しました。では続けさせていただきます」
物怖じした様子もなく、諷は立ち上がる。全員の目が集まった。
「…まず、第一に、あの山には結界が張ってあったようです。痕跡が残っていました」
「それは前回の調査で発見されているだろうが」
虚鷹が明らかに不満げな声をあげる。
「……ではわかっていらっしゃると思いますが、アレは絶衛自身が、自らの住み場の周囲に、しかも内部から張ったものです」
「……それは、自らの身を守るため…」
「殺害の痕跡よりも1ヶ月近く前に張られたというのにですか?それにこの者は殺害したその日にしかあの山に行っていません」
黙り込む評議員。俺は、何か、矛盾に似たものを覚える。
「第二に、痕跡から言って、仕掛けたのは絶衛と見て取れないこともない」
「貴様!誇り高き絶衛を愚弄するかっ!」
「あくまで可能性の話です。第三に…」
おかしい。諷は、俺をここに連れてきた張本人だ。裏切るつもりだったに違いない。なのに…
「調査に日本へ出た、その初日に、この者の言霊の反応を感じた。近づくと、それとほぼ同位置からさらに大きな言霊の反応を感じた。それが、絶衛のものと酷似、いえ、一致していました」
俺を、弁護している、のか?
ざわめく評議会。「そんなバカな」という声があがる。
「証拠は…証拠はあるのかっ!?」
虚鷹が叫ぶ。短気な男らしい。肌の表面が羽毛化しかけてきている。怒りで、原体に近づいているのだ。
「私と、そして共に行った烏丸と“望遠眼”たるスコープの3人です。何なら呼び寄せて聞いてもかまいません」
スコープの名が出た途端、沈みかえる評議会。それなり以上の信頼があるようだ。
不味い。俺にとっては不味い展開、かも知れない。沙理奈が殺していなければ良いが。
「…それがお主の、作り話でない、という証明は?」
第1席の老人の問いに、諷は俺に目を向け、
「この者に言霊をかけ、証言してもらいましょう」
反論はなかった。あるいは、あまり突飛な意見だったので、一瞬、反論する機会を失したのかも知れない。
とにかく、その間に、諷は俺に言霊をかけた。
話して不利になることもないし、ウソをついても価値はない。そう思って、抵抗もせずにかけられる。評議員には、それだけで俺が諷の言霊の支配下に入ったとわかっただろう。
「さあ、証言しなさい。絶衛を殺害したときのこと、そして、4日前――長月の初めの日のことを」
俺は言われるままに語りだす。絶衛を見つけたこと。殺すように頼まれたこと。殺して、そして絶衛が山に還ったこと。
胸の傷が開いていくのがわかる。だが、今の俺からは血は流れず、ただ、胸に空虚が生まれただけ。
ほんの4日前の――もうすぐ5日前だが――学校での出来事を話す。突然みんなが眠りこけたこと。協会員が転校してきたこと。そして、あまたの言禍霊の出現。
「…牛頭と馬頭を倒した後、謎の声は絶衛、と、確かに言った。そうしたら、目の前に――あの竜が、生気をまとわない、操り人形のような、
その竜が現れた。協会員の奴らは、声の主を禁言だと断定した。声の主は、自分がこの竜に『傀儡の言霊』をかけたことを語った――」
抑えきれず虚鷹が叫ぶのがわかる。隣の男に抑えられる。
俺は絶衛が――隼に倒され、粒子に戻っていったことを語った。声の主が逃げ、それを追ったことも。
「――工場跡まで追いかけた。俺だけが対峙した。奴はリシャスと名乗り、そして――」
再び。
あの、鍵のかかったドアにあたった。
俺は、正直に答えた。
「――思い出せない」
評議員たちは静まり返った。
俺は、半分安心を得ていた。ふさいだままにしておきたいような、そんな気が、そのドアに対してはしていたから。
「…嘘だ…」
虚鷹のつぶやき声。
「…嘘に決まっている!そんなはずがない!禁言だと!?奴らは我々とは不可侵条約を結んでいるはずだ!」
成る程。禁言の可能性を、生霊評議会が失念していた裏には、そういう事実があったのか。
一体、禁言とは何なんだ?協会とは敵対し、生霊評議会とは条約を結び、そのくせ絶衛を実験でも行なうかのように――
――実験?
「その小僧の言っていることは出鱈目だ!言霊にかかっている不振りをしているだけだ!」
俺が驚いたのは、虚鷹が、諷に対して疑いを向けなかったことだ。他の評議員たちは、老人を除いて、少なからず諷の言霊の効果に疑問を抱いているようだったからだ。
「それに――たとえ、それが本当だったとしても、こいつは絶衛を殺したんだ!我らがもっとも古き友の一人を!こいつに与えるのは他でもない、絶対に死を持って償わせ――」
「それは――」
突如として響いた声。あまりに静かな、それでいて物的質量を伴ったその声は、虚鷹どころか、その場にいたすべてのものを硬直させた。
「困るわね」
俺の背後にあったらしい壁が――否、壁のようだった扉が、噴煙を上げて砕け飛んだ。
そこから現れたのは、沙理奈だった。
第六十話へ
言霊へモドル