第六十話「判決」




全員が黙った。

黙らざるをえなかった。

「…ふぅん。生霊評議会は正当防衛という言葉を知らないのかしら?」

沙理奈が冗談めかして、顔に笑みを浮かべながら言う。

地獄の鬼も裸足で逃げ出す、凶悪な笑みを。

沙理奈は大穴が穿たれた扉から俺のほうへと歩み寄り、評議員の中抜きの円卓を飛び越え、俺の横に着地する。

「…ふむ。お主は戎璽の差し金かな?佐藤沙理奈」

老人が食後の会話でもするように軽い口調で言う。他の評議員たちに驚愕が走る。

「残念ながら違います、今回は。この子の弁護というか、護衛というか――まぁ、殺させないために来たんです」

沙理奈が敬語を使う相手。これまでに一人しか見たコトがなかった。これが、二人目。
                          えいびゃく ひょうおう
「――15年ぶり、ですか。お久しぶりです。“叡白”、彪翁様」

「そうかしこまらんでよい。今は主とは対等な関係であろう。沙理奈よ」

ありがとうございます、と沙理奈。この二人、知り合いだったのか。しかも、結構親しいらしい。

しかし、これは最大のコネクションだろう。生霊評議会で、恐らくもっとも発言権を持ち、信頼を得ているのは、この第1席の老人だ。

なぜ宗治狼の提案にあれほどまでに反対したのだろう。

「それにしても、あのほんの小さな子供が、ここまで立派なおなごになるとはの」

沙理奈の頬が、少し、引きつったように見えた。

「15年前は、それこそ周りに反抗してばかりの悪ガキで――」

「彪翁さま、過去の話はいませずともよいでしょう。またゆっくりとできるときにでも」

「おお、そうであるな」

沙理奈はさりげなくため息をついていた。

…確かに、自分の子や孫の小さいころを惜しげもなくばらして、それでいてのうのうとしている老人はいるが――

俺の命と自分の過去の暴露の危険を、天秤にかけるか?普通。

改めて思う。沙理奈は唯我独尊街道を突っ走っている、と。

「…っ、誰だ!貴様はぁ!!見張りのものはどうした!!」

ようやく硬直から解き放たれた評議員の内、虚鷹が至極当然な怒鳴り声を上げる。

が、沙理奈の鋭利な視線に射すくめられ、気おされる。

「話聞いてなかったのかしら?私は佐藤沙理奈。見張りは…そうね。死んじゃいないわよ。多分だけど」

「…それで、お主は何故にここに侵入したのだ?本来、処刑されても文句は言えないほどの行為であることはわかっているであろう」

元協会員ならば、と、戦鮫こと藍鮫が言い放つ。どうやら沙理奈と同種の性格らしい。

「さっきも言ったけれど、この子を死なせないため、つまりは弁護のため――」

「それに関しては」

彪翁が老体を椅子から持ち上げ、背筋を伸ばし立ち上がる。

「既に先程終わっておる。事実確認はな。よって、この件に関して、そこの少年に殺害の意思がなかったということはわかっておる」

評議員の数名が息をのんだ。

「…馬鹿…な!そんな馬鹿な話があるかっ!大体、さっきの事実確認にしろ――」

「諷の言霊は完璧であった。なんなら主も試してみるとよい」

反論した虚鷹に、彪翁はやんわりと返す。

一瞬絶句し、また口を開こうとする虚鷹に、彪翁は言った。

「主がそれだけの力を持っていながら、なぜ“豪”の席たる第2席にいるのか、わからんではあるまい。もっと広く、大局を見据えよ」

虚鷹は、あいた口を無理矢理、意志の力でかろうじてそうしているかのように、閉じて、俺を一瞥すると、沙理奈の空けた入り口から一瞬のうちに去っていった。

さして、驚いた様子も見受けられない評議会から、虚鷹はいつもそうであるのだろう、と俺は勝手に考えていた。

「すまぬな。アレは絶衛と親友でな。真実がわかっても、感情が、ということなのだ」

俺は自分の思考を後悔した。

虚鷹の、アレだけの激昂は、友人を殺された怒りだったのだ。俺も、いや、ほとんどの人間は、仲間を殺されて、それで尚平然としているということは出来ない。

虚鷹は、本来はとてもいい奴なのだろうか。だからこその、あの激昂なのだろうか。

つまりは、結局、絶衛を殺した俺が、虚鷹の怒りを作り出し、それが評議会を揺らしているのだろうか。

「…諷、他に言いたいことは?」

彪翁の投げかけに、諷は「ありません」と答える。

諷は…もしかして、というか、裏切りではなく――

「それでは」

彪翁のその言葉に、沙理奈が安堵したように息を吐く。

「…過失致死に対する、判決をとりたいと思う」

評議会は、凍結した。

ただの評議員たち――その意味を理解した評議員たちは、すぐに冷静に戻った。だが、俺を含めて、そこにいた3人は、少なくとも、意味を理解できなかった。

「…ど…どうゆう…意味…ですか?」

諷が、無理矢理に言葉を搾り出す。

「そのままの意味じゃ」

彪翁はただ平坦に続ける。

「動機を持った殺害、ではなくとも、結果としては殺していることには変わりはなかろう?」

「彪翁様!ですが、絶衛は傀儡の言霊で――」

「それが殺したという事実を、なかったことにしてくれるのか?」

あくまで淡々とした彪翁に、沙理奈は唇をかみ締める。

その口がつぶやいた、「賭けに…負けたわね…」という言葉が、最後まで宗治狼に反対した理由を、俺に教えた。

彪翁は、恐らく、たかだか幼いときから親しかった、あるいは身内であるとか、そういったことで、判断を偏らせないのだ。

それゆえの、統括たる第1席。

沙理奈は――いくら戎璽とのつながりもあり、個人的なつながりがあっても、こうなることを予測していたのだ。

つまり、そのコネクションを使って、状況を説明することが出来たとしても、それによって彪翁が俺を――殺したという事実を見逃してまで――無罪にしないだろうという、その可能性。

そして、それは分が悪かった賭けなのだろう、見事に負けたのだ。

「…さて、それでは今ここにいる8人で、過失致死の罪の是非をとろうぞ。是ならば黙せ。非ならば抗え」

沈黙する評議会。沙理奈は舌打ちをしていた。

その口が、宗治狼、という言葉をつむいでいたことに、俺は気づかなかった。

「…反対は、ないようだな。それではこれで――」

「待て」

声のしたほうに皆が顔を向けると、沙理奈があけた大穴に、一人の男が立っていた。

「…俺も混ぜてもらおうか」

それは、宗治狼ではなく、先程去ったと思われていた、虚鷹だった。

沙理奈の目が伏せられる。諷は下を向いて何かを考えているようであった。

「…では、主は是か、非か」

彪翁の問いに、間をおかず虚鷹は答えた。

「是だ」

反論は、ついになかった。

「…では、そこの少年の過失致死の責任を是とし、その罪を抗わせる事とする」

非情の、結論が出された。

いや、必然、か。

「待ってください、彪翁様!この子は――」

「評議会の決定に異議を出せるのは、評議員のみだ。故に、先程まで主は黙していたのだろう?」

藍鮫に言われて、沙理奈は言葉を止める。

「ならば私が異を唱えよう」

静かに響いた声。

乾いた足音に目を向けると、そこには幾重もの布を巻いた男、

宗治狼が、立っていた。

その背後には、小さく鼬丸が立っていて、沙理奈と目が合うと、亜音速で目をそらしていた。それだけで俺は鼬丸の心情を理解できた。せめて死後の永遠の安息を祈ろう。

藍鮫がいらだたしげに宗治狼を見据える。

「…主は、既に我らと決別したはずだが?ここで評議員としての権限を使うということは、評議会に戻る、ということを言っているのか?」

「駄目です!宗助さ――」

叫ぼうとする諷を左手を上げて制し、宗治狼は、頷いた。

「認められぬな」

その声は、彪翁のものだった。

「主は評議会を去ってから50年の間姿を見せなかった。評議会の掟により、既に復員の権利は剥奪されておる」

「……」

宗治狼は、熱のこもっていない目で、彪翁を睨んだ。

微かな動揺が、評議員たちの中で広がる。それは、彪翁の態度によるものらしかった。

「…では話を戻そう。過失致死に対する咎であるが――」

「彪翁っ!」

宗治狼は、沙理奈でも、他の評議員でも、一目以上置いていた、彪翁を、呼び捨てに怒鳴った。

彪翁は、それを完全に無視し、一瞬静まり返った評議会で、言葉をつむいだ。

「…わしに考えがある」

停止、そして注目。彪翁の言葉は、そこにいた全員を注目させるのに十分だった。

しかし、その言葉がなかったとしても、その次の言葉さえあれば事足りただろう。

「過失を事実上黙認する代わりに、禁言についてや、協会についての情報を知っている限り話してもらう、というのはどうか」

静寂。

そして、当然響く反論の叫び。

「そんな馬鹿な話があるか!彪翁様、ついに御老身がたたったか!?禁言は我らと条約を結んでいるのだぞ!」

敵意すら含んだその言葉に、彪翁はただやわらかい表情を崩さない。

「先程語られた真実より、禁言はその不可侵を破り、我らが友に傀儡の言霊をかけたのだ」

虚鷹は言葉を失う。その表情は、「そんな事実は出鱈目だ」といいたそうだったが、それでは先程の言霊を疑っていることになり、つまりは自らがただの木偶――自分の感情を優先し、事実を受け入れない子供に似た存在――と変わらないという、その間の葛藤。

その虚鷹の迷いに追い討ちをかけるように放たれた次の言葉は、評議員たちを戦慄させた。

「さらに禁言は、最近出没しておる、『霊狩り人』と同一の可能性が高い」

沙理奈が厳しい表情で、「やっぱり」と頷いているのがわかった。

ざわめく評議会に、その意を決させたのは、意外にも第12席、猿黄の言葉だった。

「…絶衛はなりたくてこうなったわけではない。すべては解けぬ呪いである傀儡の言霊をかけられたのが始まりだ。そして、ある意味ではそこの少年の行為は、絶衛を救ったことにもなる」

評議会に静寂が訪れ、そして何度目かわからない反論。

「殺すことが、救うことになったとでも言うのか!」

「ある意味では、だ。それも事実ではあるのだ。そして、これは絶衛だけの問題ではない」

猿黄は立ち上がる。

「仮に、『霊狩り人』と禁言が同一であれば、これは重大な裏切りというだけでなく、我らの命への冒涜となる。そして、絶衛のことも、突き詰めれば奴らが原因だ」

評議会は、静まり返っていた。

「根源を潰さぬ限り、絶衛を殺した存在を潰したとしても、他の仲間たちは死なぬのか?違う。我らが真に敵すべきは『霊狩り人』――禁言であるはずだ」



『龍哉っ?まったく、どこ行ってたの?学校は無断で休むし、携帯に連絡は取れないし、自宅もいないし、拓実さんに聞いたら――』

本当に。

久しぶりだ、と思った。

実際には、中国に行って帰ってきて、2日の間話していないだけだが、俺にとっては、その前の3日間も似たような状態だったので、とても懐かしいもののように聞こえる。

日本に戻って、帰りのタクシーの中で、俺は夏葉に電話をしている。

夏葉は、いつもと変わらずに明るかった。俺の胸のつかえが取れた今、その明るさは、とても、心地よいものだった。

『…それでね、今日の練習試合だったけど、もう私すごかったんだよ。サービスエースで相手の3年生倒したし…』

夏葉は金曜のことや、土曜、つまり今が夜6時であるから、今日の午前のことを生き生きと話していた。

沙理奈はどこから手に入れたのか行きには持っていなかったポータブルプレーヤーを耳につけ、足でリズムを刻んでいた。

ここに足りないのは、一人。

『…あ、そうそう。明日樹の誕生日なんだけど、覚えてる?龍哉はこれるよね?それで、綾と相談して、宗ちゃんにも来てもらおうと思ってるんだけど…』

「ああ、宗治狼は…」

言えなかった。あいつが、評議会に戻ったなんて。

夏葉に伝えることは出来なかった。

宗治狼は、最初からこうゆう展開を覚悟して――自分が評議会に戻るのと引き換えに、俺を無罪にする、つまり、助けるために別れるという選択を、覚悟していたのだ。

結果的には、まったく違う展開を辿ったが。

そして、それでも、あいつは宗治狼として、瞬迅九尾宗助として、諷の元に残ることを選んだ。

「なぜ龍哉を確保させたんだ!」

宗治狼は、鼬丸から細部しか伝えられていない宗治狼は、諷に怒鳴った。

本当に辛そうに、胸が痛そうに。

諷も、ただ痛みに耐える表情をするだけだった。

俺は――俺は、見ていられなかった。

だから、諷が、果たして――俺の言ったことに対して、驚いていたことからの推測だが――本当に、俺を裏切るつもりで、あるいは、最後まで迷っていたのかもしれないが、それでも俺は諷のしてくれたことを、俺をかばったと、そう表現した。

諷の気持ちは、少しわかる。

愛しい人と長い間離れている辛さ。

そして、その愛しい人が自分を投げ打ってまで助けようとする相手への嫉妬。

後者は単に諷の勘違いだろう。なぜなら、宗治狼は恐らく、自分の責任ゆえに、俺が窮地に立たされたと思って、行動していたのだから。

そして、宗治狼も然り。宗治狼は、それをおくびに出さないだけ。ただ、強がっていただけだったのだ。

だから、俺は言った。

俺が言った。

「評議会に戻れ」

と。

後悔はしていない。

あの時の宗治狼の顔は、面白かった。

まるで、油揚げを食べて、その中にわさびを見つけたような――実際にあったから、かなり適切な表現だが。

俺は目を閉じて、上を向いた。

悟られないように、『え?宗ちゃんどうかしたの?』という夏葉に、平静に言った。

「あいつは、ちょっと家出していて。明日は残念だが、いけないだろう」

『そっか…でも龍哉はこれるんだよね?』

「…ああ」

夏葉の笑顔が、脳裏に浮かんだ。

あまりに唐突で、実感がわかないだけ。

きっと、俺は一人の夜を、寂しいものと感じるだろう。

そして、また一人で生きるだけの生活に、小さな痛みを抱えて、戻るだけなのだろう。

それが、俺の選択。

それが、宗治狼の――否、俺自身のための、最良の選択。

「……夏葉、今日、これから、暇か?」

『え?どうしたの?』

俺は、少しだけ迷って、言った。

「実は誕生日のことを忘れて、何も買っていない。買い物に付き合ってくれるか?」

少しのため息。そして、こまったような笑い声。

『しょうがないなぁ。わかったわよ。それじゃあ、何時に、どこで?」

「悪いな。夕飯をおごるから、一緒に食べよう」

何も変わらず。

何も起こらない。

そんな日常。

それが、

平和だと感じた。

そう、感じた。



微かな明るさと、

けだるい眠気の先。

朝日をさえぎる影。

「やっぱりまだ早かったんじゃないですか?」

「そうですね……私たちのように、睡眠をとらないわけにはいかないのですし」

「ん〜〜…」

「あ〜あ。せっかく言霊を使って窓を開けたのに、これじゃあ…」

「鼬丸。文句は言わない」

「はーい。諷さん」

「…ふぅ…龍哉…龍哉?」

「起きませんねぇ…」

「…!宗助様、何を?」

朝なのに、夜。

息ができない感覚。

顔の上に乗る、慣れた感覚。

慣れた、感覚。

「龍哉ぁ!おきろぉ〜〜!!」

顔の上のものを、持ち上げる。

体を起こす。

手の中、

床にいる、新らしい者たちに見上げられ、

快活な笑みを浮かべる、金色の尻尾。

「おはよう、龍哉!」




〜第五章 完 間章 閑話休題へ〜




金色の疾風 へ




言霊へモドル