第六章プロローグ




廃屋のなか、うごめく影があった。

それは月明かりさえ照らすことができない影。

部屋の中を占めるのは、その影だけだった。

「……あとどれくらいかな」

深淵のその奥から響く声。答えるのは入り口に立つ影だった。

「2ヶ月、いえ、3ヶ月ほどです」

「そうか。ようやくだな」

深淵は満足げに言う。舌なめずりをする魔獣のように。

「いよいよ、いよいよだ。さぁ、宴を始めよう。準備を怠るな。足りない要素は0にしろ」

深淵の周りで、蠢くいくつかの影が体を震わす。

歓喜に。戦慄に。畏れに。喜悦に。

「さあ、やり残したことがあるものはすぐに赴け。僕の機嫌は変わりやすいからな」

影が。

空間を占める影が。

四散する。散開する。放散する。

残ったのは、入り口に立つ闇と、廃屋の奥の深淵。

「……?…どこへ…」

入り口の男が、深淵に尋ねる。

立ち上がった深淵は。

「…そろそろ彼を本格的につれてきたほうがいいからな。なくてもいけないわけではないが」

その深淵は。

深い、餡い、笑みを浮かべて。

凄惨な、凄絶な、笑みを浮かべて。

「リシャスはもったいなかったがな……まさか、殺せるとは」

心底愉快そうに。

暗闇の男は畏怖する。

自らの主の欲望と思考とシナリオに畏怖する。

リシャスも、自らも単なる駒。

けれど、駒であるからこそ、使われる価値があるからこそ、主と共にいることができる。

不安と安心の入り混じった暗黒を、深淵は暗く包み込む。

それは、絶対的な自信なのか。

観測者に似た、余裕なのか。

「さぁ、君もそろそろ舞台に本格的に上がってもらおう……月の化身の王子様」

深淵は。

月をも飲み込まんと。

広がった。

「深月、龍哉君……最後の“鍵”」





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