第六十一話「前兆」
11月になった。
最近はこれといって問題もないし、文化祭も終わったし、総合体育大会も終わったし、残す2学期の2ヶ月を悠々自適に生きることができる。
なのに。
それなのに。
俺が憂鬱な理由?そんなものは簡単だ。3者面談とかいうものがあるためだ。
いや、3者面談が嫌いなわけでは決してない。そうではなく、俺がいやなのは……
「おら、何不服そうな顔してやがる、龍哉。せぇっかくあたしが3者面談だからきてやったっつーのに。もっと喜べ。へりくだれ。ついでに足の裏を舐めろ」
廊下の椅子に座りながら、俺は隣に座っている女性に、あからさまに不満げな顔をしてみせる。
「表情がさらに悪化するっつーのはどういう理屈だボケ。2年近くほっといたらもうこんなかよ……ん?3年だったか?まぁいいか」
「というか、俺としては成人するまで二度とは会いたくはなかったわけですが」
俺の険のある返答にも、まるで興味がないかのように薄笑ってみせる女性。
それもそのはず。俺がこの性格になった原因の一端どころかすべてを担っているといっても過言ではないのが、この隣にいる女なのだから。
家系図では数世代前にさかのぼるが、ウチ、つまり深月家の血を分けた親戚である、新月家の一人。
数年前、家族をなくした俺を、アメリカに連れて行って養ってくれた、いわば叔母にあたる女性。
その新月瑠奈は、禁煙の校内でタバコを吸おうとしていた。
とりあえず、速攻でタバコとライターを取り上げる。下から睨む視線が痛い。
「…ッチ。言動だけじゃなく行動も生意気になりやがったな」
「法律を軽々犯すようなアンタが言わないでくれ…」
溜め息がどうしようもなく漏れる。瑠奈さんは額にしわを寄せて俺と反対方向を向いた。
これで40のばぁさんとかなら口うるさいですむような、まぁ微妙なところだが、多分それで済むだろう。
だが、この人はいまだ20代だと言い張るし、しかも前調べてみたらマジで20後半だったのだから、救いようがない。
一人称あたしで連想するのは沙理奈だが、あれでもここまで女らしくなく、傍若無人さも及ばない。つまりかなり直接的な意味での悪女であるのがこの女性。
だというのに、その美貌は全国共通だというのだからたちがわるい。
…………………………かなりやるせない。
「次、深月〜〜〜」
谷口の間の抜けた声。溜め息が出るのは止めようがなかった。
11月になると、部活が終わる時間も早くなる。女子の部になればそれは特に顕著だ。
そういった理由で、部活を終えてやることがなくなった夏葉は、しばらく部室の前でぼんやりしていた。
太陽が傾くのがかなり早くなっている。とはいっても、この終了時間は早すぎるのではないか、という疑問が出てこないわけではない。
なんとなく、運動不足というか、燃焼不足というか。そんな感じだった。
ふと玄関のほうに目をやると、そこには見慣れた姿があった。
声をかけようと立ち上がる夏葉。その動きが一瞬硬直、さらに石化。
玄関とテニスコートは目と鼻の先にあるため、見間違うことはない。その見間違うことがない夏葉の視界では、龍哉が女性と歩いていた。
もちろん、夏葉が冷静で考えられるわけがなく、しばらく息をすることも忘れていた。
その間にも、龍哉と女性は玄関を出てくる。と、女性が何事かを言ったらしく、龍哉が止まる。風のせいでよくは聞き取れなかった。
しかし、続く事態がさらに夏葉を混乱させる。
龍哉が女性につかみかかったのだ。しかも、その表情はいつもの無表情ではなく。
しかし、事態を整理するまでもなく。龍哉は何をされたのか、空中を一回転して地面に着地――――叩きつけられた。
瞬間、夏葉の石化が解ける。荷物も忘れて、龍哉の下に駆け寄った。
「……〜〜〜〜っっ、…………」
何とか上半身を起こす龍哉を、夏葉は滑り込むように支える。
「ちょ、ちょっと、大丈夫!?龍哉」
「あ、な、夏葉?」
混乱しているのか、そうでないのか、ともかく龍哉は夏葉が現れたことに少なからず驚いていた。
夏葉は一通り龍哉を眺めると、その視線を女性のほうに向ける。
女性は、目の前で珍獣が火の輪くぐりを見事成功させて、しかもそのまま一回転して着地したのを見たような、いや以前テレビで見たことがあったからかなり正確な表現なのだが、ともかくそんな表情をしていた。口からは音を立てて息が吐かれる。
「……だれですか?あなたは」
夏葉は5割の敵意と、3割の不信感、そして2割の、得体の知れない恐怖を感じながら、女性に聞いた。
女性は、心底面白いかのように顔を笑みにゆがめる。押し殺していた笑いが大きなものとして出される。
それは、本当に愉快な、まったく他意のない笑いだった。
いくらか毒気の抜かれた夏葉に、ようやく笑いをおさえた女性が話しかける。
「い、いや、ごめんごめん。ちーとばかし驚いちまって。ま〜ぁさかそのケツの青いがきんちょに友達が、しかも女友達ができてるとは……」
女性の言葉に、夏葉の腕に支えられた龍哉が顔をゆがめる。これまで夏葉が見たことがないような、不機嫌を率直にあらわした表情に。
女性は、そんな龍哉を完全に無視して、夏葉に手を差し出す。
反射的に伸ばした右手を強引につかまれ、上下に振られる夏葉。
あっけにとられるうちに、女性は言葉を続けた。
「あたしは、そこの餓鬼の親戚で、保護者ってところだ。まぁ育ての親っつった方がわかりやすいか。とにかくよろしくな、プリティーなお嬢さん?」
まぶしいほどの、きれいな笑顔に、夏葉は曖昧な返事しか出来なかった。
「聞いてないよ、龍哉。保護者だなんて」
「それはそうだ。言ってないからな」
「言ってくれてもよかったのに……驚いちゃったじゃない」
「そうか。それは悪かった」
「………………」
「………………」
「……なんか機嫌悪くない?」
「……別に」
実際、機嫌は最悪だ。
正直瑠奈さんのことを他人に知られたくはない。普通、あんなトンデモ人間(性格的に)が育ての親だとか、保護者だとか、俺の人格自体を疑われかねない。
しかも、あの人性格がまったく変わってない。俺を弄って、もてあそんで、からかって、いじめて………………
3者面談こそそこそこの応対をしてくれたからいいものを。それでも谷口の顔がこわばったのを見逃さなかったわけではない。多分、この人放ってるオーラみたいなのからしてやばいんだろうなぁ……
「でも、あんな人だからなんだねぇ…」
含みのある言い方をする夏葉に、俺は溜め息混じりに顔を向けて問う。
「何がだ?」
「龍哉が今みたいになったのは、ってことだよ」
うれしそうに俺に笑いかける夏葉。
意味がわからん。
普通、逆の反応をされるのではないのか?それとも夏葉がコアな性格なのか?
…………いや後者は推測の域を出ないでほしい推測だけど。
「それにしても、夕食までご馳走してもらえるなんて…」
夏葉は台所に向き直る。そこではなぜかは知らないが炎が上がっていたり、ウチには存在しないはずの調味料を振り回して芸術的ともいえる動きをしている瑠奈さんがいた。
学校から、なぜか夏葉ごと瑠奈さんの車(外車)に入れられて、自宅のあるアパートに直行したわけだが、どこであんなものを買っておいたのか、トランクの中から食料やら備品やら服やらなにやらいろいろ出現したのには驚いた。
「あんまり期待しないほうがいいと思う、とは一応言っておく」
俺は出来るだけそっけなく聞こえるように、かつ夏葉にしか聞こえないように言った。
しかし、一瞬後には軽くそむけた顔の横をナイフが通り過ぎていった。壁に突き刺さる。
あ〜あ、後で言霊で修理しとかないと。
夏葉がすごいものでも見たかのようにこちらを凝視する。俺としては、瑠奈さんいじょうのすごいものは正直いないと思うので、あえてノーコメント。
「……龍哉」
「何?」
「アメリカでどのくらい死に掛けた?」
「覚えてないな」
「うっし、できたぞ〜!オラ龍哉ぁ、運ぶの手伝え!」
後頭部を蹴られる。逆らわずに前転してその勢いのまま立ち上がる。
溜め息が漏れるのは、本当に仕方がないと思う。
「……こ、これって……一般の家庭で作ったものですよね…?」
「ん〜、調味料の一部を知り合いからパク……じゃなくて譲ってもらったりはしたけど?」
「……すっごい、おいしい……」
「だろぉ?あたしは和洋中何でもいけるぜ?」
「すごいですねぇ……」
驚嘆する夏葉。
確かに当然といえる反応だろう。瑠奈さんの料理の腕はそこいらのレストランのシェフと比べても遜色がないどころか、一流料理店で働いているといっても通じるかもしれないものなのだ。
俺も手料理を食べるのは3年ぶりほどになるが、表情には出さないものの、舌を巻く思いだ。
「これ、ホントにおいしいねぇ」
「そうですね、宗治狼様」
先ほど帰宅した宗治狼と諷(もちろん子供の姿)も舌鼓を打っている。
この二人に関しては、一般の保護者だったらかなり問い詰めてきてもおかしくないのだが、瑠奈さんは問い詰めなかった。
問い詰める必要もないだろうし。
「夏葉ちゃん、なんならレシピをいくつか教えてやろうか?」
瑠奈さんはフォークで夏葉を指しながら言う。
「本当ですか!?」
心底うれしそうな夏葉。だが、すぐに怪訝そうな表情に変わる。
「……でも、瑠奈さんって、もうアメリカにお戻りになられるんじゃ…」
「あー、別に戻んないよ、しばらくここで住むことにしてる」
かちゃん。
フォークを取り落とす、音が聞こえた。
全員がそちらを向く。
必然的に、俺は見つめられることになった。
「……い、今…今……なん、て……?」
しどろもどろになるのが抑えられない。かろうじて、そう聞いた。
「聞こえなかったのかお前は。アタシはしばらくコノ部屋で住むことにしたって言ってんだよ」
頭を左手で軽く叩かれる。
「それって、この食事がこれからも食べられるってこと!?」
「ああ、そうなるな。まぁ毎食となるとランクは下がるけどな」
「〜〜〜〜〜〜!」
宗治狼の顔が喜悦にゆがんでいる。諷も表情がややほころんでいた。
「と、いうわけだから。明日からでも来いよ。1ヶ月ぐらいは少なくともいる予定だからさ」
「ありがとうございますっ!」
夏葉は瑠奈の右手を両手で握っていた。
「…ちょ、ちょっと…瑠奈さん」
「あんだお前は。着替えとか生活用品なら持ってきてある」
瑠奈さんの言葉に多少納得。車のアレはこのためだったのか。
「じゃなくて、そんな急に…」
「あんだよ、別に部屋は一つぐらいは余ってんだろ?そっちの子らにお前、んであたし、それぞれ一つずつでぴったりじゃねぇか」
「いや、それは、その……俺の了解無しに…」
「ここ、誰名義だ?」
「うっ」
「誰の金だ?」
「うっ」
「つーワケで決定。反論無し。以上。さぁさぁ食後はデザートが待ってるぜー!」
「「「やったー!!」」」
深月龍哉のマンションでの夜は、このようにして明るく楽しくすぎていった。
というナレーションが入ってたまるか!
「はぁ…………」
俺はリビングで溜め息をつく。
いきなりのことだったし、それに瑠奈さんに絡まれると正直疲労するのだ。
それが2年もの間を空けてたとなれば、抵抗力も落ちるのは自明の理であって。
宗治狼は満腹で一足早い眠りに落ちているし、諷は風呂に入っている。ちなみに風呂に入るときとか、プライベートのときは大人の姿になっているらしい、と宗治狼から聞いた。
大人の姿と子供の姿ではやはり勝手が違うのだろうかと愚考。
つまらないし疲れるのでやめる。
「なーにヘタレてんだ、お前は」
洗いものを済ませたらしく、エプロン姿で俺を覗き込む瑠奈さん。
瑠奈さんは容姿端麗であるがゆえに、基本的にはどんな服も似合う。が、問題は顔だ。
いくらエプロン姿ですばらしい美しさを誇っていても、その表情の奥に俺をいたぶりたいという嗜虐心が隠れていては心は冷える。
「……なんでいきなり日本へ?しかもこんな町に」
俺は身を起こしながら聞く。夏葉も帰って静かになった部屋に、シャワーの音が小さく響く。
「おー穴あいてら。お前結構派手な生活してるな」
瑠奈さんは自分で開けた壁の穴を見ていた。わかってて言うのだからたちが悪い。
まぁ、放置しておいたのは確かなのだが。
「しゃーねー。直すか」
そういって、壁の穴に手を当てる。
「“欠けたるものよ、一つに集え。再び一を形なせ”」
瑠奈さんの言葉に応じて、砕けた壁の破片が穴に集まる。見る見るうちに、壁はもとの姿を取り戻していた。
「よっし、と」
瑠奈さんは手を腰に当てる。
久しぶりに見たからかもしれないが、やはりこの人はすごいと思う。
その力もさることながら、言霊を操るための言い回し、とでも言おうか、がとても上手い。
言い回しが上手ければ、それだけ言霊も自分の意図したとおりに働くということなので、必然的に効果も上がる。
ボキャブラリーが広い、と言い換えることもできる。国語が得意だと言霊に便利だという証明だろう。
「…一応聞いときますけど、俺以外の奴にはそれ、秘密にするんですか?」
窓の外の暗闇を見つつ、俺は問う。
エプロンを外しながら瑠奈さんは答える。
「んー、別に知ってる奴ならいいが、進んでは教えたくはねぇからな。今日会ったお前の彼女と、あと同居狐2匹ぐらいならべつにいいけど」
「いや、彼女って…」
「違うのか?」
「……………」
兎に角、やはり瑠奈さんはすごい。
流石は俺に言霊の制御方法を、体を使って教え込んでくれた人だ。いまでもトラウマになってるのは意図的に記憶から排除。
「で?どこまでいってるんだ?お前ら」
女性特有のニヤニヤ笑いで聞いてくる瑠奈さん。溜め息をついてノーコメントを決め込む。
こちらの意図が伝わったのか、瑠奈さんは諦める、はずもなく瞳が光る。
「そうかそうか。いえないところまで進んでるのか。いやぁ、昨今の若者は早いねぇ。もうオ・ア・ツ・イ・夜を共に過ごしちゃったか。まいったな、こりゃ」
「そんなわけあるかっ!」
久しぶりに大声を出してつっこんでしまった。瑠奈さん相手だとこちらのペースが乱される。
勝ち誇ったような笑みを浮かべる瑠奈さん。俺にはその残虐な考えがイヤというほど理解できた。
俺がこれからもノーコメントならばさっきみたいにあらぬ妄想を働かせて俺に精神的にダメージを蓄積させる。
逆に俺が真実を話せばそれはそれで弄れるし、なによりその決定だけで俺に多大な羞恥を与える。
どちらも、俺が開き直れないと踏んで、否、理解しての考え。2年という年月は悪女に思考の鈍りを与えるには短すぎたようだ。
とにかく、どちらにも決められずに黙り込むしかない俺を、瑠奈さんは勝者の笑みで見ているという構図が出来上がってしまったわけだ。
ガッデム、シット、ダム!!とアメリカ風(?)に心の中でののしって平静を取り戻そうとするが効果なし。
しかし、どうにか内心の動揺とか怒りとかを押し込めて、無表情を必死に取り繕う。
そしてようやく瑠奈さんの顔をまっすぐに見たとき、
得体の知れない恐怖を、感じた。
「…………っ」
瑠奈さんの顔に、浮かんでいたのは、それまでとは違う表情。
どこか遠くを、俺のずっと向こう側を見ているような、よくわからない表情。
息が、止まる。
瑠奈さんは、俺をみていないのに。
俺は、単にその視線の間にいるだけなのに。
これは、
これは――
「お風呂上りました。お二人ともどうぞ」
浴室のほうから諷の声が聞こえてくる。
「お?お、おう」
瑠奈さんははっとしたように答える。先ほどまでの表情は消え、いつもの表情が戻っていた。
「龍哉、まさかレディーファーストじゃないなんてことはないよな。ないだろ。だからアタシが先に入るぞ」
居間においてあった荷物から着替えを取り出そうとする瑠奈さん。俺は、反応できずにいた。
浴室からは諷が歩いてくる。しかも、大人の姿だった。
瑠奈さんと目が合うが、どちらも軽く微笑んだだけで言葉は交わさない。
そのまま瑠奈さんは浴室へ向かう。
と、途中で立ちどまってこちらに視線を向けてくる。
「龍哉」
「は、はい?」
「覗いたらマジに殺すからな」
「誰が覗きなんか…」
「聞き捨てならんな、その台詞。気が変わった、やっぱり今死ぬか?」
「いや、滅相もない」
俺の返答に薄ら笑いを浮かべると、瑠奈さんは浴室へ消えていった。
それから数秒たってから、ようやく俺はソファーに腰を下ろす。冷や汗が背中を流れていた。
「あの方、なかなかすごい力をお持ちですね」
諷が浴室のほうを向いたままで言う。
「…気付いてたのか」
「いえ、先ほどです。感じた言霊の波長が、貴方のものでも、宗治狼様のものでもありませんでしたから」
諷のその言葉は、
それほどの力を持っているから、
それほどの力を隠せていたから、
瑠奈は、すごいと。
そういう意味のように、俺には感じた。
「ではお先に」
諷は宗治狼の眠る部屋に向かう。実質部屋は4つあるのだが、諷と宗治狼が兼用なので3つしか使わないことになる。
けれど、今はもうそんなこともどうでもよかった。
あの時見せた瑠奈さんの目。
あの目が語っていたのは、
一体、何だったのだろうか。
六十二話へ
言霊へモドル