第六十二話「邂逅」
秋も中ほどをすぎて、いよいよ冬になろうというのか、制服だけでは薄寒い。
学校の紅葉を美化委員たちが箒で集めているのを横目に、校門をくぐる。あのもみじは美化委員の焼き芋に利用されるともっぱらの噂だ。
ほほえましい光景、とまではいかないが、少なくとも普段どおり、穏やかな光景であることには間違いはない。
ならば俺のこの気分の悪さはどこからやってくる、と自問。
脳に伝わるまでもなく脊髄反射で悪寒が返ってくる。あの人のことだから、思考まで読まれている気がしないでもない。
たった一晩瑠奈さんと過ごしただけなのにかつて体に言霊で負荷をかけて修行をしていたときの一週間分ぐらい疲れた。
あの後積もる話があるとかいいつつ酒を飲み始めるし、俺に勧めてくるし、断ったら言霊使ってくるし。
しかも多少酔ったところでからみ方が激しくなるし、深夜2時をまわっても寝かせてくれないし、挙句の果てには俺の首をホールドしたまま寝ちゃうし。
とにかくあの人は普通の人間がおよそ考えうる最悪の形容詞を全て冠してもなおその悪辣さを表現しきれない悪魔だ、鬼だ、魔王だ。
沙理奈が可愛く見えてくるほどだ。
「おはよっ、龍哉」
「ん?…ああ、夏葉か…」
後ろから肩を叩かれて振り返る。
制服の上にかわいらしい上着を羽織っている夏葉。髪留めをして前髪を分けていた。顔がよく見える。
「…?どうかした?龍哉」
夏葉の言葉にはっとする。
「……いや、なんでも、ない」
昨日瑠奈さんに変にからかわれたせいか、妙に意識してしまう。
とりあえず明後日の方向を向くと、卓弥と樹が自転車に二人乗りをしていた。
後ろに腰掛けていた樹がこちらに気付く。すぐさま自転車から飛び降りた。
「わ、わたっ!?」
こいでいた卓弥がバランスを崩す。いつか見た気がする光景だなぁ、と思いながら卓弥が倒れるのを見守っていた。
「おーす、お二人さん。朝から仲がいいねぇ」
樹が片手をあげながら笑いかけてくる。
俺は呆れながらも笑みで返す。夏葉は樹に近寄っていった。
一人無視されかけて、しかし登校中の生徒たちからは注目をあびていた卓弥が、自転車を立ててこちらにやってくる。
「お前何してくれんだ!せっかく乗せてやったのに、恩を仇で返すのかよ!」
樹に怒鳴っている卓弥。朝から元気な奴だ、と思った。
ついでにさっきの光景がいつのものだったか思い出す。確か学校に言禍霊が集団で襲ってきた日、2学期の始業式の日だ。
逃げた敵をバイクで追っているときに、攻撃を受けて転倒した………たしか、そんな感じだったはず。
……あの日のことはあまり思い出せない。なんというか、記憶にもやがかかったような、そんな感じだ。
俺が考えている横では、卓弥と樹の痴話げんかというか、そのようなものが展開していた。
「あのぐらいでバランス崩すなんて…そんなんじゃ格闘技でもダメダメじゃんか」
「なっ!アレはお前みたいなオトコ女がいきなり反動をつけて降りたから…」
「誰がオトコ女だ!!」
「お前だお前!っていうか乗せてやったことに対する礼はなしか!」
「俺は別に頼んでないだろ。お前が「乗るか?」って誘ってきたんだろ」
「ぐっ………と、とにかく、それでも乗せてやったんだから例ぐらいいうのが基本だろが!」
「言ったぞ、のるとき。サンキュって」
「む……俺に聞こえてなきゃ意味ないだろ!」
いつしか登校する生徒の波の中で、そこだけが台風の目のように空いていた。
苦笑いの夏葉がこちらにやってくる。
「まったく……あの二人ってどうしてこうなのかな」
「仲がいいんだろ。ほら、ケンカするほど――ってな」
クスリと笑う夏葉。
「あ、そうだ。瑠奈さんに今日料理教えてもらいに行ってもいいかな?」
「別にいいんじゃないか。俺はかまわない」
「うん、じゃそうする。ありがと」
俺たちは玄関に向かいながら話していた。
後ろからは卓弥と樹の怒鳴りあい、罵りあいが聞こえる。
やれやれ……溜め息がでるな。
まぁ。こんなのもいいだろう。
いつしか俺の気分の悪さも吹っ飛んでいた。
「――では、今日はここまで。今日やったところは12月の期末テストに出す予定だから、しっかり復習しろよ。特に深月!寝てんじゃねー!!」
耳元で爆発音。寝ぼけ眼をあげると、谷口の呆れた表情があった。
クラスからは笑い声が聞こえる。どうやら寝てたらしい。
しかし……仕方ないだろ。実質俺の睡眠時間は2時間程度だったし。
あくびをかみ殺して起立の号令と共に立ち上がる。
5時間目あたりから記憶がない。ずっと寝てたんだろうか……
ま、いいか。後で夏葉にでもノートを見せてもらおう。
赤点さえ取らなければ……進級はできるし。
瑠奈さんはテストの点にはあまりこだわらない人だし、いざとなったら隠せばいい。
「お〜い、龍哉。こっちこーい!」
優哉が俺を呼んでいた。荷物をまとめて廊下に出る。
湘と卓弥もいた。どうやら部活についての話らしい。
「何だ?」
俺が再びあくびをかみ殺しながら聞くと、卓弥が話し出す。
「文化祭で総合格闘技研究部として発表、というかなんというか、まあしたろ?」
「は?……もしかして、あのデスマッチか?」
俺の問いかけに頷く卓弥。
「……というかあれってウチの部活主催だったか?」
「細かいことは気にしな〜い。まーとにかく、あれで俺たちの知名度が学校レベルを飛び越えて地域レベルに広まったわけだ」
「お前と卓弥だけで地域だったんだ。俺様がやってれば県、いや国レベルにまでいっただろうな!」
優哉が笑う。だったら代わってくれればよかったのに………ああそういえば別の仕事があったんだったか。
あの仕事はお似合い、というか、みていて楽しかったな。
「まぁとにかく、その知名度によって、なんと俺たち他校から招待試合のお誘いを受けまくってるわけだ!」
「そういうわけだ!」
「……はぁ…」
とりあえずテキトーに相づちをうつ。
「けどそれなら部室で話せばいいだろう」
「そう、そこなの問題は」
卓弥が顔を近づけてくる。俺は左手で卓弥の額を抑えて接近を拒む。
「…あの、俺と優哉は、とりあえず事前調整ってことで、これからすぐ相手高校に行かなきゃならんわけだ」
「ふ〜ん……」
なら昼休みにでも話しておいてくれればよかったのに、と思った。卓弥はようやく俺の左手から逃れて言う。
「で、お前と湘は付いてこなくてOKなんだが、今日は久しぶりに隼さんたちが来るらしいのでよろしく」
「…………」
卓弥はそれだけ言うと優哉とスタコラと立ち去っていった。
残されたのは俺と湘。
「………ハァ…」
「………ふぅ…」
ほぼ同時に溜め息をついた。
俺としては、優哉の代わりについていきたかった。
なんというか、最近湘との関係がギクシャクしているような気がするのだ。
まぁ、とにかくもしかしたらもとのような関係に戻れるいいチャンスかもしれない。隼たちも来るらしいし。
「…それじゃあ行くか、湘」
「あ、うん」
「よくやるな………」
「ホントだよね…」
俺たちは道場の戦闘エリア外で仰向けにされていた。
エリア中央では隼と風太郎による高速戦闘が繰り広げられていた。
被害者となった俺と湘はこうして仲良くダウン中。
それにしても、隼はまだしも、竜と戦い、協会の刺客と戦い、100匹以上の言禍霊を相手にした俺が、風ちゃんに勝てないって言うのは結構納得いかない。
風ちゃん、言霊師じゃないんだよな……一般人最強?
「にしても、龍哉、強くなってるよね」
湘の方から語りかけてくる。俺の感じていた雰囲気は気のせいだったのかもしれないな。
「なに言ってる。お前だって……」
「やっぱり、言霊の力、なのかな…」
湘のつぶやき。
少しの間を生み出す。
「…そう、いうわけじゃ……」
「まぁ、だよね!じゃなきゃ多分龍哉、優哉に勝ててるよね!」
湘の声。
やけに、無理に大きくしてるように聞こえなくもなかった。
でも………多分、気のせいだよな。
「…あいつには、言霊使っても勝てる気がしないな」
「あははは…」
しばらく、隼と風ちゃんがぶつかり合う音しか聞こえなかった。
やがて、どちらもが武器を手にし始めたころ、湘が口を開く。
「龍哉は、さ…」
「…なんだ?」
俺たちは上半身を起こしていた。
湘は眼鏡をかけなおしてから続ける。
「言霊を便利だと、思う?」
金属同士の甲高い衝突音が響く。
「……便利、か…そうかもしれない……でも……」
俺は、言霊でなにをしている?
言禍霊を倒し、竜を殺し、人と戦って……
戦いのためにしか、言霊を使ってない、のか……?
瑠奈さんに聞かされた話だと、NGOとして活動する言霊師もいるし、紛争を止めるために活動する言霊師もいるという。
また、言禍霊から一般の人々を守るために戦ったり、凶悪犯を逮捕する手助けをする言霊師もいるという。
俺は、なにをしている?
一般の人を守るために、言禍霊を倒していたのか?
多分、そうだろう。いや、ごまかすのは止めろ。
俺は言われるままに、ただ言禍霊を倒していただけだった。
目的もなく。
沙理奈は、なるほど金のためもあっただろうが、それでも自分たちがやらなければならないことだと理解していたはずだ。
俺は――俺は、戦っていただけ。
言霊の力を持っていて、俺が使ったのは戦いのためだけ。
「……でも…なかったほうがよかったかも知れない、と思うときもある」
俺が、月読家だから。
特別な血筋を引く、言霊師だから。
その宿命を、受け継いでいるから。
争いがやってきたんじゃないのか?
そして、夏葉や、沙理奈、卓弥、みんなを巻き込んだんだろう?
呪われた、力なのか?
言霊は。
俺の、言霊は。
「……そっか、大変なこともあるみたいだね」
俺の表情を読んだのか、湘がつぶやく。
いまだ、3年同士の格闘は続いていた。
けれど、今の俺には見る気はなかった。
「…けどさ。それは持たないものからみれば、傲慢だよ」
湘の、小さく、冷静な言葉。
「僕は、今の龍哉がうらやましいよ」
湘は、俺のほうを向いていなかった。
「言霊があれば、いろんなことが便利になる。例えば、運動能力を引き上げることもできるし、人を誘導することだってできるだろ?」
人を誘導する………
それは――それは、犯罪だ。
今から1年ほど前、新藤卓真が言霊に目覚めたとき、同じ考えを持った。
それは、やってはいけないことだ。
多分、言霊で戦う以上に。
そういえば、俺が夏葉たちと知り合って――本格的に言霊師の世界で生きることになって、丁度1年ほどだ。
そして――目覚めてからは、5年か。
湘は俺の返答を期待していないかのように続ける。
「言霊の存在を知っていても、その力がない。あるかないか、その違いは結構大きいんだよ。龍哉は、ある方。だから恵まれてるんだよ」
俺は、恵まれている方。
そうか。そうなのか?
だとしたら――
なんで俺には、辛い思い出しか、残っていないのだろう。
血みどろの道しか、しるされていないのだろう。
「…ん、ごめん。なんか愚痴になっちゃって。やっぱ、ホラ、いくら学年1位のこの僕でさえ、人間だし?嫉妬心もあるっていうか…ね?」
湘の冗談に、俺は口をゆっくりとゆがめる。
できるだけ自然な笑みに見えるように整えて、湘のほうを向いた。
「馬鹿言え。学年1位なんか取れる時点で、お前のほうがうらやましいよ」
「そうかなぁ〜〜。じゃあ、いっそのこと立場を入れ替えられたらいいのにね」
「未来のロボットつれて来い」
「またまた〜〜……あれ?終わったみたいだよ」
湘につられて道場の中央に目をやると、お互いの武器が砕けていた。
隼が槍を後ろに放り投げ、風太郎は折れた大剣をつなげようと必死になっていた。
「あ〜あ〜……壊れちゃったぁ〜」
「直すからいいって、風太郎…………ああ、龍哉、湘、サンキューな。俺たちが後始末するから、帰っていいぞ」
「ん〜〜♪久しぶりに体動かせて楽しかった〜〜」
「ま、たまにはいいよな」
隼は言霊で砕けた武器を修復する。常々思っていたが、あの武器はどうやって手に入れたのだろう。
もしかして、隼が言霊で造ったのだろうか…
横を見ると、湘はもう階段に向かうところだった。
俺も湘にならい帰ることにした。
6時をすぎると、11月ともなればもう十分以上に暗い。
暗いイコール怖いとなるのが普通の人間の思考だが、俺の場合暗いイコール奇襲の危険があるから警戒しようという思考が働いてしまう。
これまでの1年だけで何度奇襲にあったことか……
………ダメだ、やっぱりネガティブ思考になってしまう。
それにしても、なんでいきなり湘はあんなことを言い出したのだろう。
もしかして、しばらく俺が感じていた雰囲気は、そのことで悩んでいたものだったのか?
うーーん………
ふと、前の街灯が点滅しているのに気付く。
壊れかけているのだろうか、点いたり消えたり、せわしない。
なんとなく、立ち止まってそれをみていた。
気がつくと、それまでになかった影が街灯の光で映し出されていた。
あわててそちらを向く。
壊れかけの街灯の下に、誰かが立っていた。
「……深月、龍哉君、だね?」
その誰かは、ゆっくりと歩みを進める。
点滅と共に、シルエットが少しずつ浮かび上がる。
「…誰、ですか?」
俺はいつでも動けるようにしながら、その人間と向かい合う。
点滅が終わる。
街灯の明かりが、その人間――男を背後から照らす。
「僕?僕はね……」
男の口元は、半月型にゆがんでいた。
「君を迎えに来た人間さ」
六十三話へ
言霊へモドル