六十三話「呼び起こされる記憶」




男は、俺に臨戦体制をとらせるには十分すぎる言葉を吐いた。

身構える俺をみて、笑う男。

「…おやおや。その調子だとこれまでにもこういうことがあったようだね」

フードに隠れた男の口が禍々しくゆがむ。

心底可笑しそうに。

こいつは――こいつは、ヤバイ。

言霊の力も、反応も感じないけど、人間としての本能がそういってる。

小動物が、ライオンなどの強力な捕食者を前にして畏怖するような。

そんな感覚が俺の遺伝子から掘り起こされている。

臨戦態勢をとったものの、言具を出したところで勝てる気がしない。

結局、そのままで待機させられる格好になる。背中を嫌な汗が流れる。

「……お前は、何だ?」

粘つく舌を動かして問う。

男は心外だといわんばかりに諸手を振り上げて嘆く真似をする。

その動作があまりにおどけていたのに、怒りよりも恐怖を感じた。

「何だ。何だ、ね……いきなりの相手に失礼じゃないか。それに君を迎えに来る相手はいくつかに限られるだろう?」

それは――男のまなざしは、そうであると確信しているように。

俺がそれを知っていることを確信しているように。

「協会は既に突破しているね。あの老いぼれの力もあったのだろうが……」

考えるように腕を組み、しかし絶対的存在であるかのように、確信を持って話す。

「生霊評議会も大丈夫だったようだね。いや、まさかああも簡単にくぐり抜けてくれるとは……不可侵を結んだとはいえ、やはり彪翁も警戒しているか」

じじい同士、仲がいいのだろう、と男は笑う。

含みを持たせた言い方が癇に障る。けれど怒りすら、遠い望郷の地においてきてしまったかのような感覚が俺を支配している。

「…とくれば、君を諦めていない組織は、たった一つ。そうだろう?」

男に言われるまでもなく、俺は理解していた。

こんな閻さを持つ人間が、あの協会や、生霊たちの中にいるはずもない。

「…禁言………」

そう。

あの竜――絶衛に“傀儡の言霊”をかけ、2学期の始業式に学校を襲った連中。

俺を、月読家としての力を、欲しているらしい組織。

深淵から出ているような声で笑う男。

「ご名答、といいたいところだけど、少しヒントが多すぎる。まぁ、これもシナリオどおりだがね」

その部分だけ夜の闇が凝縮されたかのような、閻さ。

「ならば、僕がなにをしにきたかわかるだろう?深月龍哉」

深淵が、俺のほうへと這い寄ってくる。

伸ばされた右手。俺の目が暗転、言霊を“視る”。

「……ッ!!“正輝”!」

躊躇なく正輝を呼び出し、俺の前に突き立てる。

「“円月覇断=h!」

俺を中心とする球体が出現。淡い光が闇を照らす。

刹那。

その膜に雷がはしる。

「ぐァッ…」

雷の衝撃は、円月覇断を突破して俺にも伝わる。

男がうれしそうに笑う。

「おお…なかなかだね。不意打ちにも関わらずの反応に、ある程度使いこなせている言具…」

男が伸ばした右手を顎に当てる。俺はその一挙一動に注意を働かせる。

「しかし……どうしてかな。それは月読家の力にして、月読の言具でない。目覚めてないのか…?」

「なにをごちゃごちゃ言っている…」

首を傾げる男に俺は精一杯の虚勢を見せる。

「いきなり襲い掛かってくるとはな…禁言というのもたかが知れているな」

円月覇断を一旦解く。力をあまり消費したくはない。

「9月のもそうだな。お前たちは無差別に破壊をしているだけだ」

男は渇いた笑い声を上げる。

愉快そうに。

「だから………リシャスを殺したのかい?深月龍哉」

時間が、止まる。

「…なにを、いって、いる?」

リシャス…リシャスとは、ダレだ?

9月の事件の、首謀者…

逃げられた、はず…

「おやおや。自分に都合の悪いことは忘れる、か。人間の頭はよくできているね」

男の言葉が脳にダイレクトに届く。

頭の中を駆け巡る。

かかっていた鍵を、こじ開ける。

――腹から突き出た正輝。

その柄を握っている。

リシャスの顔が驚きにゆがむ。

力任せに引き抜かれる正輝。

リシャスの体が痙攣したように撥ねる。

その絶望の瞳に映っていたのは。

自嘲の笑みを浮かべた、最後の表情に映っていたのは。

血にまみれ、正輝を振り下ろす、俺。

――セカイガ、チニソマル――

「うわぁぁあああぁあぁああぁ!??」

俺は、

俺は、

俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は

「わかったかい?君はリシャスを殺したんだ。そうか…道理でいつまでたっても変化がないと思ったら、忘れていたわけか…成程、これはシナリオ外だ」

男の声。

俺の脳を勝手に駆け巡る。

「…君はその血に染まった力を持ちながら、仲間と過ごしていけると思っているのかい?」

手元の正輝が、血に染まっている。

赤く、鈍く、輝いている。

あの日、リシャスを殺した日のままに。

「仲間を戦いに巻き込む、呪いの力を持ちながら?」

湘の言葉が蘇える。

――龍哉は、ある方。だから恵まれてるんだよ――

恵まれてなんか、いない。

ノロワレテ、イルンダ――

「さぁ、君を受け入れられるのは、君と同じ過ちを犯している、僕たちだけだ」

男の声が、俺の心の奥底まで忍び寄る。

「僕のところへ、禁言へ、入ってくれるかい?」

男の声は、甘い響きを持っていて。

けど、けれど。

それは、多分禁断の果実。

頷いては、いけない。

「…ゃだ…」

「ん?」

熱を失ったかのような俺の体を奮い立たせる。

全精力を、その言葉につぎ込む。

「いやだ!」

たとえそれがばかげた道でも。

あいつらから拒絶されても。

こいつらの仲間になれば、きっといつかあいつらを傷つける。

なら、同じなら、守れる道を選びたい。

男は溜め息をつく。しかしその顔は笑っていた。

「…そういうと思ってね。いや、言ってくれなくてはいけないんだよ。そうでなくては、僕が用意したものが無駄になってしまう」

俺は正輝を支えに立ち上がる。正輝はいつものように、銀色の輝きを宿していた。

「…これ、何かわかるかな?」

男が右手を俺に向ける。

何かを持っている。

それは。

それは――

夏葉の、髪留め。

「彼女を預からせてもらっているよ。君の事はいろいろと調べさせてもらっているからね」

頭が、真っ白になる。

「こうすれば……君がどうすればいいか、わかるかな?」

考えるよりも先に、走り出していた。

「貴様ァァアアアアア!!!!」

月歌福唱、と俺は怒鳴る。

男は笑ったままの体勢で動かない。

「“青竜疾駆ゥゥゥゥウ=h!!」

俺の突進を、男は軽々とかわす。

それも、衝撃波が襲わない上空まで、一瞬で。

「ゥウゥゥウウウ!!」

左足を軸にして運動エネルギーを直進から回転にうつす。

そのエネルギーに言霊を乗せる。

「“飛燕洸却ッ=h」

圧縮された言霊と破壊のエネルギーが寸分たがわず男を襲う。

「“反射しろ”」

男の静かな声が響く。

飛燕洸却が、何かに衝突したようにはじける。

間をおかず、はじけた言霊が無差別に飛散。道路や街灯を砕く。

そのうちのいくつかが俺を襲う。

「“円月覇断=h!」

一瞬にして展開した防御壁がエネルギーを消滅せしめる。

身体強化によって普通の人間ではありえない跳躍力で空中の男のところへ向かう。

慣性にしたがって落下する男に、俺が斜め下方から突撃。

「“風よ、正輝に宿り、力となれ!―――風龍刹那<@!”」

風を渦を宿した偃月刀を力任せに振りぬく。

アスファルトでさえ削りぬくその渦を、右腕で受け止める男。

右腕表面に淡い光が走り、火花を散らす。

これは――言霊の防御壁。

わき腹に衝撃。

重力に捕まるよりも先に与えられた運動エネルギーのみで落下。右半身からアスファルトに衝突。

身体強化をしていなければ骨が折れていたであろう衝撃。

「かはっ……!」

言霊の波動を感じて即座に身を起こす。

横に飛んだときに、割れたアスファルトに矢が衝突。

いつか見たものだと感じたときには、矢が爆発を起こしていた。

「っっっ…!!」

爆風にあおられ吹き飛ばされる。

アレは……そう。リシャスの……

「なかなかいいことを考えるな、リシャスも。この焼爆言とやらは使えなくもない」

男が着地する。

よく視れば、体中を言霊の防御壁が何重にも覆っていた。周りが見えなくなっていて、気付かなかったのだ。

「しかし…弱すぎる。月読の力、片鱗しか出せていないではないか」

男がいささか肩を落とす。

「…やはり、覚醒にはもっと感情が高ぶったほうが……?いっそ、あのお嬢さんには死んでもらって…」

「ふざけるなっ!!」

俺は叫ぶ。声と同時に血も吐き出されたが、気にしてなどいられない。

「 “月下に映えしもうひとつの閃光。暗き地を照らし、我らに命を与える力”」

俺は走る。男は愉悦を浮かべて右腕を突き出す。受け止めるつもりなのだろう。

「“悠久たる時を経て、現世において輝く命。遙かなる地を経て、我らに輝きを与える汝”」

正輝から光が溢れる。

今、俺の中で渦巻く感情を具現したのか、その色はいつもの月明かりのような光ではなかった。

「“汝は光、されど汝は剣。そして汝は月。故に汝をとどめる縛鎖はなし!正輝――”」

その光は、赤。

赤い月。

殺意の具現。

男の表情が、驚きに変わる。

俺は、正輝を振り下ろす。

「“三日月光列旋!=h」




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