六十四話「乖離」




赤い光が夜の闇を染める。

怒りが暴君となって解き放たれる。

男が驚きの表情を浮かべ、必死に衝撃を受け止める。

死神の鎌のごとき剣閃を残した正輝の光が、鮮血色を伴って爆光と化す。

その空間は、もはや夜とはいえなかった。

一面が、血のような赤。

一面が、鮮血を塗られたような赤。

一面が、血の海のような赤。

リシャスの記憶が蘇える。

俺は、

俺は――

笑っていた。



光が静まる。

あたりには、再び夜の闇が戻る。

そこにあるのは、対峙する二つの影。

かたや、血のような色を放つ偃月刀を構えた青年。

かたや、右腕を失い、フードもはがされた男。

「…フフフ…ハハハ…アハハハハハハハハ、アッハハハハハハハ、アッハハハハッハハハハハハハハ!!」

片腕の男が嗤う。

喜悦にまみれて。

喜色を溢れされて。

「そうだ、その力だ!その力こそ僕が欲するもの!!」

男は右腕の出血をものともせず叫ぶ。

歓喜に。

狂喜に。

「もっと、もっとだ!!覚醒して見せろ、全ての力を!赤く染まる月を、僕に見せろ!!」

男が動く。

男が、青年に突進する。

左腕を光らせ、何かを叫ぶ。

青年が動く。

青年が、男に突進する。

偃月刀を光らせ、何かを叫ぶ。

男の左手からいくつもの矢が現れる。

青年の偃月刀が30の軌跡を生む。

全てを貫く密度を持った矢――尖点言が、鮮血色の軌跡――三十月蓮華に切り落とされる。

男の左腕が地面に叩きつけられる。

アスファルトを破って土の槍が跳ね上がる。

青年は空中に飛んでそれを避ける。

間髪いれずに男の叫び。リシャスのものと同じ矢――焼爆言がいくつも襲い掛かる。

青年がつぶやくと同時に偃月刀を風の渦が取り巻く。

一振り。

それだけで全ての矢が風の渦の外で爆裂。

青年は反動で飛ばされるも、着地を早めただけ。

男が連続して叫ぶ。

青年の肩口から鮮血が飛ぶ。と同時に着地地点を取り巻くように土の槍が飛び出す。

カマイタチと土の槍を言霊によって起こした男は、しかし疲弊した様子もなく、余裕の表情でさらに何かを叫ぶ。

瞬間、土の槍の中央を中心とした爆発。

男の言霊は、酸素を土の中心点に集めることを目的としていた。

風によって送られ、土によって閉じ込められた酸素が男の言霊で一斉に燃焼反応を起こしたのだ。

爆発はアスファルトを砕き、道路脇の民家の壁にまで被害が及ぶ。

男が笑う。

爆発を裂いて生じる圧縮された言霊による衝撃波に。

防御壁をまとった左腕で弾く。

防御壁に阻まれながらも、衝撃波は男の左腕表面を切り裂き、血飛沫を上げさせる。

爆発の中から、左腕を血に染めた青年が現れる。

青年を中心に薄く光る赤色の膜が、爆発の被害を最小限に防いだのだ。

男は笑う。

悪魔のような喜悦で。

青年は笑う。

殺人鬼の笑みで。

視線の交錯と共に、中央地点でぶつかる二人。

アスファルトから作り出した剣を左手に、落ちた右腕を言霊でつなげて踊る男。

赤く淡く光る青竜偃月刀を右手に、血に染まる左腕を言霊で応急処置し舞う青年。

金属同士の衝撃が火花を散らし、やがてそれは断続的になり、夜の闇に光を生む。

だが、勝っているのは男。

青年は小回りのきく剣を相手に、間合いに入れれば不利となる偃月刀を打ち、回し、次第に防戦一方となる。

男が笑う。

刹那の隙を突いて、青年のわき腹に押し込まれる刃。

火花が、止まる。

青年と男も止まる。

だが、笑っていたのは男だけではなかった。

青年の血まみれの左手が、強靭な力で男を捕らえる。

驚愕する男に、青竜偃月刀の柄の先端につけられた刃が襲い掛かる。

言霊の防御壁を一層一層確実に突破しようとする刃。

その刃が体に到達しようというところで、男は身をよじる。

刃は男の左足を切り裂いた。

はなれる青年と男。

あせりの表情を浮かべ、さらにその上に喜悦を塗りつける男。

その目前には、刺さった刃を抜き去る青年の姿があった。

「…ふふふ、それで、それでいい!さぁ、私を殺してみろ!!」

男の右腕が光る。

必殺の、滅殺の言霊を塗りこめる。

青年の偃月刀が光る。

最強の、必滅の言霊を塗りこめる。

男の右腕の光が、白ではなくなる。

黒い、閻い、闇が光る。

青年の偃月刀の光が、白ではなくなる。

赤い、紅い、鮮血が光る。

赤と黒がぶつかり合い、互いに互いを喰らおうとせめぎあう。

だが、青年には言霊を“視る”力があることを、男は忘れていた。

青年の赤が、男の言霊のほころびに喰らいつく。

男の黒が、赤に喰らわれ始めた。

驚愕の表情を浮かべる間に、男の黒は食らわれ尽くす。

身をよじった刹那、男の右腕は、今度は形も残さず消滅させられた。

続く青年の蹴りに男は壁に埋め込まれる格好になる。

目を開けたその前には、鮮血に顔を染めた青年が、赤い月を背後に立っていた。



俺は、何をしている?

「…ふ、はは…期待以上だ。これはうれしい誤算だ、な…」

壁の男が、言霊の障壁を失って、つぶやく。

俺の右腕が、男の喉に走る。

気持ちのいい音を響かせて、男の喉がつぶれた。

気持ちのいい、だって…?

気持ちが、いい、はず、ない、だろ……

俺は右腕の正輝を振り上げる。

まてよ。

まだ夏葉のこととか、聞きたいことあるだろ。

まだ、聞きたいことが――

違う。

そうじゃないだろ。

殺すのか?

殺していいはずないだろ!?

もう、喉もつぶれて言霊も使えない。

あとは沙理奈に頼めば何とかしてくれるんじゃないか?

それに、俺も腹を怪我してる。

このままだとやばいかもしれない。

だから、殺すなんて労力を裂かないで、一刻も早くここを出たほうが…

――お前は何を言い訳をしている?

俺の頭の中で声が響く。

それは、俺の声だった。

――殺したくない、だと?何を言っている。お前の中は殺意でいっぱいだ。

違う、そうじゃない。殺意、とか、そういうことじゃあ…

――じゃあ何か?夏葉をどうかされたことに対する憎しみか?

ちが、ちが…う……

――そうだよな。そんなことはお前の頭にはなかった。さっきまで、な。

だま…れ…

――お前の頭を支配してたのは、リシャスのときと同じ。いやそれよりももっと酷い。

……………

――仲間を守るためと言い訳して、お前は戦ってるんじゃないか?戦いたいから、仲間を守ることを大義名分にしてるんじゃないか?

違うっ!!

――どうかな……アイツをなぶってるときのお前、楽しそうだったぜ。

違う!!それは――それはお前が――

――お前?俺か?俺が?俺が何を?やったのはお前、お・ま・え・だ。

ちが…………

腹に鋭い痛みが走る。

見ると、左腕だけの男が、しゃべれない男が、俺の腹の傷に左手を突き刺していた。

頭が、

頭が、真っ白になる。

何も、考えられない。

――否、それは違う。

何も――

――それは、殺意だ。

男の体に、青竜偃月刀が突き刺さった。

左手が抜け、俺の血が溢れる。

男の表情は、笑みだった。

そのまま、一度、二度震えて、沈黙する。

…………死んだ、のか?

――そうだ。お前が殺した。

ちが……

『いや、まさか本当に殺せるとは、思っていなかった』

頭の中に直接響くような声。

それは、目の前で沈黙している男の声だった。

『リシャスの件にしろ、君はなかなかいい。本当は計画には代用品があったから必要なかったが、是が非でも欲しくなったよ』

俺は、聞いていることしかできなかった。

目の前の惨状で、既に頭がいっぱいいっぱいになっていた。

『ああ、ちなみに君が殺したその男は、僕の仲間の一人でね。僕の言霊で、僕自身のコピーにさせてもらっていたんだ。だから君が殺したのは正確には僕じゃない。僕としては、役立たずを処分してもらって一石二鳥だったよ』

殺した。

その単語に。

俺は、身を震わせる。

『ああ、そうそう。僕たちが戦っていたその場所は、僕が言霊で作った結界でね。そろそろそれも解ける。周りへの被害は実際にはないはずさ』

まぁ、その役立たずは僕が引き取るよ、そう、男の声は続けていた。

『それではさようなら、深月龍哉君。お嬢さんを返して欲しかったら、できるだけ早く僕を見つけることだね――それまでは丁重に扱わせてもらうよ、彼女は』

暗い笑い声と共に、男の声は消えていき、聞こえなくなった。

世界にひびが入る。

砕け散ったその奥に、破壊されたはずの街灯があった。

アスファルトや民家も、もとのままで、男の死体もどこにもなかった。

何かが落ちる音。

目をやると、夏葉の髪留めだった。

俺は、アスファルトに崩れ落ちる。赤い光をまとっていた正輝も、輝きを失い俺の手から落ちる。

――お前は、殺人者なんだよ。

またあの声がする。

この声は、誰の声なんだ?

――お前はもう、何人殺したんだ?この1年だけで、二人、いや、竜も入れれば3人だな。

…違う。

――何が違う?

…竜は、そうかもしれない。けど、他の二人は…

――事故、か?

違う。

――なら、ダレが殺した?

……お前だ。

――俺か?

お前は俺じゃない。ダレなんだ?

――俺が誰か?それが知りたいか?

最早押し問答も面倒になった。

憂鬱な気分で、正輝を手に取ろうとする。

それよりも早く、誰かの手が正輝を拾い上げた。

月明かりを背に、俺を見下ろす影。

「俺はお前じゃないんだよな?だからここにいる」

男は正輝を握る。正輝は光となって、いつもなら俺がそうであるように、男の中に消えていった。

「お前が殺しを否定するなら、俺が肯定しよう。それじゃあ、もう二度と会いたくはないが、さよならだ」

男の顔が、段々と見えるようになってくる。

それは――

「さようなら、俺。そしてこんにちは、俺」

俺、だった。

俺が、俺の前から消え去る。

ドッペル・ゲンガーという奴か?

いや、もうどうでもいい。

腹の痛みが酷くなる。

男を殺したことも、どうでもよくなる。

頭の中に夏葉の笑顔が現れる。

俺は、結局言霊を何のために使っているんだろう。

なんで、俺にはこういうことしか起きないんだろう。

――――全部、どうでもいい。

もう、眠りたいんだ。

辛いことも、うれしいことも――

全部を、捨てて。




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