六十七話「満月・邂逅(さいかい)」




「このあたりからは全然感じないけど?」

前を行く若者が言う。

あとに続く俺の返答はつぶやきのような小ささだった。

「…そうか」

心配したのだろうか、大学生ほどの若者が立ち止まり、声をかけてくる。

「本当に大丈夫か?もう3時間も歩き回ってる……そろそろ休憩しよう」

バンダナを巻き、冬だというのに半袖のジャケットを身にまとい、体中にシルバーアクセサリをつけている男は、

しかし外見からは想像もできそうにない優しい言葉をかけてくる。

その男――人の姿になった鼬丸の言葉に、俺は首を縦に振ることで同意した。

近くにある街頭の時計は、12時近くをさしていた。



「…え?」

今朝の朝食だった。

時間軸的にいう現在と同じ形態になった鼬丸に食事を出して、その向かいに座った俺。

食の進まないままの膳に箸をおいて、もう一度言う。

「俺を探すのを手伝って欲しい」

鼬丸は箸をそのままに、口元にご飯粒をつけたままで停止する。

俺は意外な外見に驚いた。だがその外見と挙動のミスマッチには、普段であれば笑みがこぼれていただろう。

「…君が、君を、探す?」

鼬丸は眉を寄せて疑問の声を発する。

俺は気づいた。どうやらドッペルゲンガーの話は伝わってないらしい。

俺がその説明をする間、鼬丸の口元のご飯粒は全て口の中に消えていた。

「………まさか……心身乖離なんて」

「心身乖離?」

俺の疑問に鼬丸は難しい顔で答える。

「今の君の状態のことさ。ドッペル…なんとかという奴」

「知ってたのか」

「まぁ文献で見るぐらいなら…しかし、実際に見るのは初めてだけどね」

鼬丸は食事を再開する。

俺のほうは箸をおいたままで。

「それで、探すのを手伝ってくれるか?」

もう一度、問う。

鼬丸は一瞬箸を止め、

「…無駄だね」

しかし食事を続ける。

俺の脳内にわいたのは、しかし怒りではない。

「どうしてだ?」

ただ単純な疑問に成り下がった、反発。

「俺を見つけるんだったら、俺の反応を探れば簡単に……」

「俺は無理とは言ってない」

鼬丸が、俺の話をさえぎる。

「ただ、今の君では見つけたところで無駄だ、と言ってるんだよ」

俺の心を抉る言葉を、簡単に言う鼬丸。

だが、それで止まれる俺じゃない。

「…俺が、俺が止めなければいけないんだ」

その思いは、恐らくこうなって初めて暴走する。

「俺の責任なんだ、あれは。俺が、俺が向き合わなかったから、あれの所為で、卓弥や他の多くの人に迷惑をかけた」

その思いは、いつしか過去の追憶になる。

「もう俺は逃げたくない。逃げたばかりに、全て手遅れになるのは嫌なんだ。命を奪うのは嫌なんだ」

冷静な声は、しかしそれゆえに思いの強さを語る。

「それに――立ち止まるわけには行かない。俺がどうにかしなければならないことが、まだあるんだ」

想うのは、これまでにあった人物、仲間、友達。

そして、一人の女。

愛しい、恋しい人。

「言具がなくても、俺自身が向き合わなければ意味がないんだ」

瑠奈さんの言葉が、脳裡に響く。

けれど、それはもう俺を動かす原動力と化している。

「だから――俺が俺を探すのを手伝ってくれ」

俺の真摯な依頼を受けて。

「……そうか」

と、鼬丸はつぶやく。

「……気付いてるかい?君は言具だけじゃない――――」



「言霊の力も、ほとんど失ってるってことを」



「君に久しぶりに会ったとき、俺は一瞬君がわからなかった。言霊の力が、とても希薄で――感じられないほどに」

鼬丸は残酷な事実を宣告する。

「君は半身のほうに、言具どころか言霊の力も持っていかれてるんだ。だから――」

鼬丸は食べ終わったおわんを、箸と共にテーブルに置く。

「――見つけたところで、力のない君には何もできない。無駄。そういうことだ」

俺は、

ようやく、違和感に納得していた。

昨日、卓弥に会ったときに既に違和感はあった。

言霊の力を感じられるならば、治癒を阻害する言霊の存在を感知できたはずだ。

それに、家に帰ったときに、鼬丸のことを感じていたはずだ。

だから。

本当に俺には、言霊の力がないのだろう。

けれど。

「……何も、できないはずはないさ」

俺に、言霊の力がないことなんて。

「鼬丸が俺のことを感じられなかったっていうのなら、もう一人の俺にも、この俺のことは感じられないはずだろ」

単に、予想が現実になっただけ。

「それは、近づくには有利になるはずだ」

違和感が、はっきりとしただけ。

「気付かれないように近づければ、あとは身体能力だけでどうにかできる」

マイナスには、なりえない。

「何を――」

鼬丸が、言葉に詰まる。

「…俺は、一人でも俺を探す」

鼬丸に、断言する。

「宗治狼からの命令を守りたければ、ついてこないとな」

笑えないその心で。

けれど、俺は笑って見せた。



「…美味いな、コレ。安いわりに美味い。やっぱり人間はいいよねぇ」

ファーストフード店に出没した変人。

そんな代名詞が不謹慎ながら浮かんできてしまった。

しかし、今の鼬丸を見ると、そうとしか言いようがないというか。

休憩をかねて昼食にファーストフード店を選んだのは、果たして正解だったのだろうか。

俺のほうは食欲があまりないため、二人ともセットを頼んだものの、俺が食べているのはポテトだけだ。

まぁ、鼬丸が金を持っていることは期待してなかったし、そんなこともあるわけはないと思っていたので、俺が二人分を買って、そして鼬丸がほとんどを食べている、という状況。

はたから見れば、ちょっと怖そうなお兄さんのために、無口そうな少年が昼食を買ってあげている、

ありていに言えば俺が鼬丸から脅されていろいろおごらされている状況に見えなくもなかった。

「…諦めるつもりは」

初めてだというハンバーガーにかぶりつきながら、鼬丸がふとつぶやく。

俺が無視をすると、そっと微笑んで、

「…ない、みたいだね」

といってきた。

結局のところ、鼬丸は意外に早く折れた。

もしかしたら、宗治狼は鼬丸に何かいってあったのかも知れない、と今になって思う。

その宗治狼は、確か生霊評議会に行ったのだったか。

もしかして、空席になっていた自分の席を、埋めに戻ったのだろうか。

「…午後もこんな感じで、あちこち散策すんの?」

鼬丸が聞いてくる。

「…そう、なるな」

「…半身がこの町にいるという確証、あるのか?」

その質問には、俺は答えられなかった。

確証など、ない。

単に事件がこの町で起こっている、ただそれだけ。

既に最後の事件――卓弥の事件から、2日間。

それまでに起こった事件は、この町に集中していた。

ただ、それだけ。

既に2日間。

公共交通機関を使えば、日本の北端だろうが南端だろうが、どこにでもいける。

海外にも行けるだろう。

また、そうでなくとも言霊で身体強化を行って一日走るだけでも、県を移動するぐらい簡単だ。

つまり、この町にいるなどという確証はない。

確率としても、半分あるかないか。

それでも。

「…この町に、いる。必ず」

俺は、そう思った。

否。感じていた。

俺は、必ずこの町にいる。

確信めいた感覚。

強迫めいた実感。

そして、多分その場所もわかっていた。

「……午後は闇雲に歩き回るのをやめよう」

鼬丸に言う。

「少し、心当たりのある場所がいくつか、ある」



本当は、全て心当たりなどない。

午後の時間全てを使って、向かった場所になど、

俺は俺を感じていない。

鼬丸は、まだわからないらしい。

どうやら、俺の半身は円月覇断の応用で、自分の気配を消しているらしい。

だからこそ、俺にしかわからない。

だからこそ、俺にはわかる。

そして、

それゆえに、俺の半身の目的も、俺はわかる。

「…全部、はずれだったみたい、だね」

「………………」

鼬丸の、どことなくいつもと違う言葉。

どうやら、俺を心配してくれているらしい。

うれしいはずだった。

でも、そのうれしいという感情も、もう一人の俺しか感じられない。

そして、だからこそ。

ウソをついたという罪悪感も、感じられない。

「…悪いな、今日は、終わりにしよう」

「…そうだね」

鼬丸は、俺に同意した。

「ちょっと、よっていきたいところがあるから。コンビニか何かで夕飯は食べていてくれ。コレ」

財布を、鼬丸に渡す。

鼬丸はいぶかしげな表情をするが、

「……わかった」

と同意し、来た道を帰っていった。

その後姿を見て。

その後姿を見て。

消えるまで見て。

そして、俺は歩き出す。

鼬丸は、いい奴だった。

とてもいい奴だった。

だからこそ。

俺のことに、巻き込みたくない。

違う。

巻き込みたくないなんてほど、俺は他人を心配はしていないのだろう。

きっと、俺は自分で決着をつけたいだけなのだ。

ただ、それだけ。

だから、鼬丸には帰ってもらった。

ここから先は、俺だけの領域。

俺だけが踏み入れることを許される、惨劇と殺戮の舞台。

そこは、ぼろぼろになったマンション。

その一室を中心として、かつて滅びの言霊が暴走したことがあった。

結果、マンションのほとんど全てを巻き込んで瘴気といえるものが発生し、怨嗟と憎悪を増幅した言霊が、この町を覆った。

そして、このマンションは取り壊されることすら延期され、今のように幽霊マンションとしての様相をあらわにしていた。

その階段を、一段一段登る。

外には、月明かり。

コレが欲しかったから、俺は午後の時間を全て潰した。

そして、コレをもう一人の俺も待っていた。

予感ではない、確信。

月読家としての血筋のなせる技なのか、

はたまた、俺自身が月を決着の立会人に望んだからなのか、。

向かうのは、かつての終わりの場所。

俺が、終わり続けている場所の扉を開ける。

521号室。

そのドアノブは、案の定ない。

抵抗のない扉を、さび付いた音を響かせて開ける。

「…よぉ。遅かったな」

内面をそのまま体現するかのように。

暗き世界に身をおくそいつは。

「…気持ちの悪いもんだな、実際に自分を見るっていうのは」

恐怖を消し去らんとするかのように。

白き月を背にたつその人間は。

「…屋上に、行くとするか。月が良く見える」

青竜偃月刀を握ったそいつは。

「そうだな。確か今日は――満月だったかな」

丸腰に言霊も持たぬその人は。

「「……行くとするか、俺」」

深月、龍哉。

月読之龍神。




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