第七章プロローグ




「君はドミノ倒しをやったことがあるかい?」

暗い部屋の中に声が響く。

「いえ………ありません」

声の主の背後に従う男が、慎重に言葉を選びながら答えた。

そんなくだらないもの、とは言わない。いえない。

なぜなら、この人物が言うことである以上、それがくだらないものであるはずはないからだ。

「そうか……いや、一度やってみるべきだったな。あれはとてもいい」

ここは深淵。

真に暗き世界。

その主の言葉に、恐れをおくびにも出さず、男は答える。

「と、いいますと?」

「ふん、わからないか、君は。くみ上げる過程を考えてみろ」

闇の主が続ける。

いまこの深淵には、彼ら二人しかいない。

「ドミノをくみ上げる、あの緊張感。いつ倒してしまうかも知れぬ極限のスリル、最高まで張り詰められた空気の中での精神の磨耗……どれをとっても、素晴らしく破滅的だ」

くつくつと、汚泥の煮立つような声で笑う。

付き従う男が、この深淵の話し相手としてここにいられる理由は一つ。

この男の与える、絶対的恐怖に。この男の作り出す、極限の深淵に。

唯一、組織の中で耐えることができるからだ。

「しかし、倒れてしまえば一瞬でしょう」

男の返答に、深淵は気を悪くするでもなく。

むしろ出来の悪い子供をさとす喜びを感じているかのように。

「それがいいんじゃないか」

嗤う。

「どんなに苦労して組み立てても、倒れ始めれば一瞬で終わる。それはとても素晴らしいことだ」

哂う。

「つまり―――準備さえしっかりと出来ていれば、誰にも止める暇を与えないままに、全てが崩壊する、ということだ」

ようやく、男が深淵の言葉の意味を解する。

ドミノ倒しとは、即ち。

「さて……四死の言の葉どもは手はずどおり動いているかな?」

付き従う男が答える。

「当然です。それが出来ぬような人間に、四死は勤まりません」

「フン………それでいい」

深淵が満足げに言う。

「さぁ…賽は投げられた。否―――最初のドミノが倒された、というべきか」

再び、汚泥が煮立つ。

「最初のドミノは、生霊評議会だったな…………そろそろ協会の邪魔が来てもらわねばな」

男は深淵の意志を汲み取って、先に答える。

「こちらの鼠が、上手くやる頃でしょう―――月の鍵も間もなく」

「ふふふ……はははははは……いや、楽しみだ。とても愉しみだ」

深淵がその色を濃くし、

笑う。嗤う。哂う。

「さぁ、曲が終わるまでもうすぐだ……われらのドミノが倒れきるのも。楽章・世界のフィナーレを飾るぞ」






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