七十一話「生霊評議会壊滅」




俺が目を覚ましたとき、すぐには自分が寝ていたのが自分のベットだということを認識できなかった。

俺の部屋には、招いた覚えのないような客がたくさんと、俺と面識のある人物が僅か、それらが所狭しと密集している。

そのほとんどが、というか、見知らぬ客全てが、人間でない。

言霊による存在、けれども言禍霊とも違う。

生霊たちが、体のそこかしこに傷をたたえて、あるものは壁に寄りかかり、またあるものは呼吸も絶え絶えに床に仰向けに。

急ぎそれらの間を移動し、次から次へと言霊をかけて、その傷を治している武と隼。

けれど、その懸命の働きにもかかわらず、怪我人の数は減っているように見えない。

ただでさえ狭いはずの俺の部屋なのに。その狭さに似合わぬ怪我人の量。

身を起こした俺は、ベットの上にも生霊が横たわっているのに気がついた。

見た目的には子供であろう、狼のような生霊。右足がありえない方向に向いている。

「―――“治癒せよ”」

俺の言霊の力が、見る見るうちに狼の子供の右前足を取り巻くのが視えた。

言霊を視る力が戻っていることに気付いたのは、ビデオを逆再生したように、子狼の折れた足が治るのを見届けた後だった。

俺の力の波動を感じたためか、隼と武も作業を止めて俺のほうを向いていた。

「先輩っ!目、覚めたんですか!」

こちらへと向かってくる武―――けれど生霊たちのせいでなかなか進めない―――を目に捉えながらも、俺は別のことをしようとしていた。

「――“月夜見”」

俺の右手に収束し、偃月刀の形をとる言霊。月読家の言具、月夜見。

それを見、そして俺がそれをまだ傷を残す生霊たちに向けるのを見て、武が硬直。

驚きの表情のまま疑問の声をあげるのもままならぬ武を認識しつつも、俺は言霊を使う。

「“円月・小望、月歌福唱=A付加、治癒、範囲半径5メートル、対象、生霊”」

言い終えるやいなや、月歌福唱の言霊が半径5メートルの円形に広がる。

部屋全てを優に覆いきるその球体の言霊の内部にいる生霊は、月歌福唱による体力向上と、さらにそれに付与した治癒の言霊で、見る見るうちに血色が良くなっていく。

傷も、その殆どが回復した。あとは月歌福唱の効果で自然治癒を見込めるだろう。

言霊がその球体を崩す。俺の手の中の月夜見も、その形を失った。

「……それが、月読家の真の力か?」

一度俺を見たきり、生霊のほうに集中していた隼が声をかけてくる。

ややこしい言霊の制御で、一気にやってきた疲労を感じながらも、

「……俺と、弟の、二人分の力って奴だな」

そう答えてやった。

隼はそれを見、薄く笑った後に立ち上がる。

「さ、武も来い。隣の部屋でいろんな奴らがお待ちだぞ」

そうして、隼は扉を開く。

生霊たちの間を―――そういえば、あの闘いからどれだけ立ってるんだろう、やけにだるいって事はまだ一日もたってないのか―――疲労からくるおぼつかない足取りで、なんとか抜けたその先に。

その扉の先には、驚くべき光景が待っていた。

「……起きたか。寝坊はすんなってアメリカん時にゃ言ってなかったか?」

瑠奈さんを筆頭としたこの町の言霊師はもとより。

「…………フン」

「………………」

「………………」

いつか見た人物の姿があった。

俺の記憶が正しければ、この部屋にいる4人の人物は―――否、生霊は、本来ならば中国にいるはずだ。

俺を見て目を背けた青年が、生霊評議会第2の席、虚鷹。

表情からにじみ出る冷たさが具現しているのではないか、という空気を漂わせる女性は、第5の席、藍鮫。

無骨さがにじみ出る、大柄で無口な男は、第12の席、末席の猿黄。

そして、それらを背後に従え、俺には無表情を――敵意を含まず、どちらかといえば温和な印象を向けるその表情を向ける老人は、第一の席、彪翁。

座り方からすると、この街の言霊師と、生霊評議会との間に何かがあったと考えられる。鼬丸が板ばさみにされているように居心地悪そうにしているのもそのためなのだろうか。

「はやくあんたらも座りなさい。大事な話なんだから」

瑠奈さんの隣、翁彪と相対する位置に座っている沙理奈が言う。

言われるがままに従う。

………多分、ドッペルゲンガーから、俺が復帰しているのはわかってるんだろうが――そうでもなければ、あのマンションの屋上にいた俺が、自分の部屋にいるはずはない――それでもこうまで普段どおりだと、なんだかわびしいもんがある。

別に心配してもらいたいわけではないが。気持ち悪いし。

「ええと、どこまで聞きましたか?」

沙理奈が彪翁に話を振る。

振られた老人は、態度を変えることなく、冷静な様子で、

「生霊評議会が何者かに襲われて壊滅した後に、宗治狼たちのおかげで、何とか我等だけ日本にたどり着いた、というところまでかの」

それが、俺たちへの説明だというのは、すぐにわかった。

俺はすぐに現状認識が間違っていたことに気付く。

てっきり瑠奈さんたちと生霊評議会の間に何か事が起こって、そのために俺の部屋のように生霊側にけが人が出たのではないか、と考えていたのだ。

けれど、それでは武や隼が生霊の傷を治していることが説明できず、何より生霊評議会と瑠奈さんたちが戦う理由もない。

けれど、なるほど、この説明ならば全てがあるべき形に落ち着く。

ただ、気になるのは。

「―――禁言、ですか?」

俺は彪翁に尋ねる。後ろで虚鷹が睨みを利かせてきたが、それでも顔は背けない。背ける理由がない。

「―――確認は取れておらんが、恐らくはそうであろう」

そんな、というべきか。

やはり、というべきか。

やはりくだんの霊狩り人の一件は、禁言によるものだったらしい。

それでも―――あの生霊評議会が。

協会に並ぶ大組織が。

「………烏丸の奴が、奴が寝返りなどしなければ!」

虚鷹が突然声をあげる。

「やめよ、虚鷹。それ以上言うな」

藍鮫のたしなめも聞かず。

「何故止める!?奴が裏切った所為で、我等が何百万もの同士と、評議員の半数を失ったのだぞ!?それを―――」

「虚鷹、我等が醜態を我等以外にさらすのがそんなに楽しいのか?」

静かな、声。それは、猿黄から出されて。

そちらを向いた虚鷹は、その表情を見て混乱したかもしれない。

猿黄の表情に浮かぶのは、虚鷹に対する怒りでも、侮蔑でもなく。

ただ、自分を責めるかのような悔しさと、深い悲しみを混ぜ合わせたような。

「わしからも言ったほうが良いか?虚鷹」

彪翁の言葉に、虚鷹も黙る。

「―――じゃ、続きを聞かせろよ、彪じーさん」

瑠奈さんの誰に対するも同じ態度に、彪翁は嫌なそぶりも見せず。

「先ほどもいったやも知れんが、お主は昔と本当に変わっておらんの……それこそおしめも取れんような小さい子供のころから―――」

「続きを聞かせてください彪翁様」

棒読みで言い直す瑠奈さん。

隣で苦笑いを浮かべる沙理奈も、昔、というか数ヶ月前、同じようなことをされていた気がするな。

彪翁はやはり最年長の生霊らしく、瑠奈さんですら歯が立たないようだ。後で二人分の弱みでも教えてもらおう。

「フム……宗治狼たちに合流して、何とか中国から日本にまで渡ってこれた所まで話したのであったな」

彪翁は言う。

「日本にやっとのことでたどり着き、そしてつてのあるこの町にたどり着いたとき――」

「僕たちは、襲われた」

声のしたほうに目をやると、着物を着た女性――諷に支えられて、長身の男性が、よろめきながら部屋に入ってくるところだった。

宗治狼が、立っているのもやっと、というような表情を浮かべながらも、言葉を紡ぐ。

「油断していた。まさかこの町にまで追手が来くるとは思わなかったから………僕の所為です」

駆け寄っていた鼬丸が、倒れる宗治狼を受け止める。

それまで宗治狼を支えていた諷も、糸が切れた人形のように膝をつきそうになり、二人が先ほどまでいた部屋――宗治狼と諷が寝場所としていた物置――から出てきた、俺の知らない女の人に支えられる。

「……もぅ、無理しないでよ!いくら傷を塞いでもらったからって、死に掛けてたのに……」

名も知らぬ女の人は二人に対して言う。その女性に、

「言うな、唯。そいつらだってわかってやっていたんだ」

続いて物置から出てきた凌斗が声をかける。

唯、と呼ばれたその女性――俺より多少年上だろう――は、何かを言い返そうとして、けれど何も言わなかった。

「……フン、貴様だけ責任を取って格好をつけるな」

虚鷹がはき捨てるように言う。

その表情は、先ほどの猿黄のものと通じるものがあった。

「そうだのぅ………全責任は、最高責任者のわしにある」

彪翁が言う。

独り言のように。

独白のように。

「わしがもっと早く判断しておれば……わしがいち早く敵に対応しておれば……わしが海を渡った程度で力を失っておらねば……」

俺は、彪翁から感じていた違和感の正体に、ようやく気付く。

彪翁が、彪翁こそが、この一件で最も傷ついているのだ。

ただ、周りのものを心配させまいとして。

ただ、自分が挫けたら全てが終わるということを理解していて。

強く、振舞っているのだ。

年の功か、それとも生来の性格からなのか。

ただ、そうしている彪翁は、とても弱い、一人の老人のように見えてしまった。

「……生き残り全員を、言霊の力で日本へと運ぶなんざ、アンタにしかできないよ。これでも、犠牲は少なかったと考えざるを得ないだろ」

瑠奈が、彪翁を気遣った言葉をかける。俺は少し驚きを感じていた。

と同時に、虚鷹から瑠奈に対しての怒鳴り声が聞こえるかとも予想したが、虚鷹は目を伏せたままで何も言わなかった。

「……この町にまで追手が来た、っていってなよな」

俺は話が途切れたのをいいことに、疑問を発する。

「その追っ手はどうしたんだ?」

「………わしは海を渡るので力を使いきってしまい、評議員たちも海越えで疲弊しておってな……」

彪翁が答える。その表情は、激情か何かを奥に押し込めた無表情のままだ。

「宗治狼と諷、そしてまだ存命だった評議員が向かって退かせ……結果、残ったのがこの人数なのだ」

「さらに、私と宗治狼様は傷を負い、私たちの力を感じ取って助けに来てくれた鼬丸の救援要請のおかげで、どうにか一命を取り留めたのです」

諷が続けた。顔色はいまだ、青い。

「兎にも角にも―――生霊評議会は、事実上崩壊したのだ」

彪翁の言葉に、答えるものはいない。

重い沈黙が、部屋を支配した。



「大丈夫なのか?二人とも」

明かりの点いた部屋の中、夜空を窓から見上げる狐2匹に聞く。

「暫くは――ううん、1日2日休めば大丈夫」

宗治狼が答え、

「言霊の力とて、万能ではないんですよ、宗治狼様。1週間は最低やすまないとです」

諷が訂正する。

「う………」

黙り込む宗治狼。久しぶりの二人のやり取りに、思わずに笑みが漏れる。

夕食はもう既に済ませ、今はもう寝る前の休憩時間のようなものだ。

「……ねぇ龍哉」

宗治狼が俺に聞いてくる。

「ホントに……龍哉だよね?」

一瞬何を聞かれているのかわからず、わかったらわかったで、どう説明していいかわからなくなった。

昨日のこの時間には、まだ俺は二人に分かたれていて、その後に一つに戻った、といっただけでわかるだろうか。

ふと、本当に俺は俺なのだろうか、という考えが頭をよぎる。答えは体の中から返ってきた。

今は、自分の中に言霊の力があるのを感じる。アレだけ自然なものだと思っていた感情を、今は大切なものだと実感している。

それで、十分だった。

「ああ……お前らが家出中に、いろいろとあってな」

「家出って……」

宗治狼が困ったような表情をするのを見て、笑みがこぼれる。

「冗談だよ」

「………なんか龍哉、変わった?」

「………おかしいですよね」

「失礼な居候人だな」

俺は二人の療養中の生霊に言いながら、部屋に行くことにした。

もう部屋に詰まっていた生霊たちはいない。沙理奈が事務所で引き受けることとなったのだ。

足を骨折した狼もいないベットに、俺は身を横たわらせる。

足先に見える居間の明かりが消えるのが見えた。

宗治狼と諷は、俺のところに残った。鼬丸も武のところにいる。

瑠奈さんも今日はいない。沙理奈のところに止まってくるのだそうだ。

4人の評議員たちも沙理奈のことろにいる。生霊たちは身の振り方が決まるまで、そこに留まるのだそうだ。

恐らく凌斗やフェリオ、そして凌斗と隼の幼馴染だという唯から、協会のほうへ連絡はつくだろう。

そうなれば、生霊たちがこれからどうしていくかについても、具体的な方向が決まってくるだろう。

それにしても、だ。

禁言。

数百万いたという生霊たちを、数えられる程度の人数にまで減らしたという。

それも、そうしたのは両手で数えるのに足りる人数だった、と宗治狼は言う。

宗治狼たち、実力は俺もよくわかっている、その強い宗治狼と、恐らくは同等の力を持つだろう評議員たちを、疲労していたとはいえ、アレほどまでに痛めつけた。

禁言。

俺も、かつてそれに所属する二人の人間と出会い、

二人とも、殺した。

そう。殺した。

けれど、今回の敵は、その比ではないのだろう。

禁言。

夏葉を、さらっていった組織。

夏葉。

今、どこにいるのだろう。

夏葉は、無事なのだろうか。

感情が戻った今、不安と、焦燥と、怖れが、俺の中を駆け巡る。

それでも、体は疲れに正直だった。

抗えぬ眠気の中で、それでも俺は思う。

夏葉のことを。




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