七十二話「禁言への道」
翌日、俺は瑠奈さんが町を出たことを聞いた。
宗治狼と諷に、半ば護衛もかねてついていった沙理奈事務所で聞かされた。
生霊たちの様子を見つつ、評議会の連中と話をする二人(二匹?)を流し目で見ながら沙理奈が言ったことには、
「今回のことを調査しに行くって………あの人は我が師ながら勝手だわ」
呆れながら言う沙理奈。
「まだこの町に追手が来ないともわからないのに………何?龍哉、あんたなんか言いたげな顔ね」
「別に、何も」
「うわこの人自覚あったんだ、とか言いたいのを必死に堪えてる、って顔してる」
「…………………別に、そんなこと」
「間が開きすぎ。久しぶりに弄ってやろうかしら」
にやけながら言う沙理奈も、すぐに顔を引き締める。
「にしても。ここ数日、禁言の活動が活発化してるわ。拓実」
「はい」
呼ばれた拓実がいくつかの資料らしきものを持って馳せ参ずる。いつも思うが、お前は沙理奈のなんなんだ。
沙理奈には多分便利な従者的な存在として思われてるんだろうな、と勝手に可哀想な拓実への同情心を募らせる。
まさか拓実と沙理奈の間に恋愛関係はないだろう。万に一つあったとしても、どちらかの勘違いに終わるに違いない。そうでない理由が存在し得ないと思う。
もう一年近く付き合ってきているこの所長・副所長の二人の関係について真剣に吟味していたが、拓実から手渡された資料を見て些細すぎるそれを脳の隅に押し
やる。
「ここ一週間、メディアではあまり放送されてませんが………ネット上の個人サイトや掲示板などで話題になってるんです」
資料に書かれた文章、添付されている画像、掲示板での論議の様子。
それらは全て、人外の存在の闊歩についてであった。
「各国は協会の手回しによってメディアに規制をかけてますが………個人領域でここまで広がってしまった以上、なんとも………」
「禁言だと、断定できるのか?」
説明してくれる拓実に聞き返す。沙理奈が答えを返した。
「協会が断定してるからね。ここまで大規模な言禍霊使役を行う力と度胸を持ち合わせてるのはあそこぐらいのもんよ。多分生霊評議会への総攻撃と、それに関連しての活動じゃないか、ってのが大筋の意見。あたしらのね」
それを大筋と言っていいのか、という疑問はさておき。
「奴らは何がしたいんだ?言霊の存在を明るみに出したい……?」
「それは多分ないわね」
沙理奈が即座に否定する。
「奴等が協会に最高レベルの反摂集団として認定されていて、それでもなお現在も存在しているのは、組織としての力が相当ある、ということ。言霊を明るみに出したいというだけで、そこまでの組織を作ろうと考える奴は相当にオツムが弱い奴だけ」
暗に俺を馬鹿にしているのかと深読みできる言葉に、深読みしてしまった俺が少しばかりむっとするのを知ることもなく沙理奈は続けて、
「瑠奈さんが言うには、奴等はもっとヤバイもの、下手をすれば世界の終わりにも直結しかねないものを目的としてる、って事らしいわ」
「世界の、終わり?」
俺は思わず聞き返す。
先ほどの俺の考え―――言霊を明るみに出す、という考えよりも、その考えがよっぽど稚拙で馬鹿馬鹿しいものと思えたからだ。
「例えば―――言霊を世界に知らせるだけだって、その力が脅威になりうると考える、主に知らされていなかった下層部の人間たちによって戦争が起こされ、今の科学力ではその引き金が引かれるだけで世界が終わる―――かもしれない。これは瑠奈さんも言ったことだけどね」
俺の考えを読み取ったかのような沙理奈の返答は、
「禁言は、そんな段階的かつ想定未来に起こりうる可能性としての終わりを狙ってるんじゃない。概念上の世界、この地球という存在そのものを終わらせるつもり、って先生は言ってましたとさ」
言う沙理奈自身をも呆れさせる内容だった。
「……信じるのか?」
「信じるもなにも、推測の可能性が出されていないし、確信できる材料もないってのに」
つまりは信じていない、と。
「ただ、奴等が何かしようと動いているのは確か。不意打ちとはいえ、生霊評議会が―――それも、ほんの数人で壊滅させられた、それほどの実力。恐らくその一人ひとりがあたしやアンタ、それ以上の人間と同等の力を持っているということは間違いないってこと」
「けれど僕たちには彼らの意図・目的がつかめない。つまり敵の先を行く防衛策をとることが出来ないんです」
「…………打つ手なし、か」
相手が来てからの防衛戦。準備が整っているかいないかの差、実力の差、数の差、どれをとっても―――この町など、恐らく一日持たないだろう。
溜め息混じりにそこまでの経過を話し終えた俺に、ベットの上の卓弥は同じように溜め息を返す。
「駄目じゃねぇか」
「言うな」
ここは港市の病院。卓弥が1週間前ほどから入院している場所である。
沙理奈たちのところに宗治狼たちを置いてきて、その足でこの病院に着いたのが昼頃。
それから、俺はあることを試してみた。
目に力を集中するイメージで、言霊を意識的に“視”る。一昨日まで失っていたその力で、卓弥を治癒から遠ざけ、あまつさえ体を蝕んでいる言霊が軽く見て取れた。
言霊の波動や、その具現化した文字の配列から、もう一人の俺が正輝の刃に塗りこめたのは円月覇断≠フ応用であることがわかった。
体を構成する、いわば人そのものの概念である言霊。(真名はこれにあたるらしい。ただ、いくら“視”えても真名に関しては当人が知る以外で明るみに出ることはないらしいが)
その結合をところどころで妨害していた―――実際の現象的には治癒力を大いに遅らせ、言霊による治癒を受け付けなかった―――俺自身の紡いだ言霊に、言具“月夜見”を向ける。
「おいおい、まさかトドメさす気じゃないだろうな」と引きつらせた笑みを向けた卓弥に、マジで寸止めで振り下ろしてやろうかと思った。だが、出来心から精密な操作を失敗する可能性がどうしても否定できなかったので、止めておいてやった。
円月覇断の逆回しのようにして、卓弥の傷の癒えを妨害していた言霊を取り除く。
後は少し治癒の言霊をかけてやり、久々に復活しつつあるからだの感覚を卓弥が取り戻そうとする間、今朝からの話をしてやったというわけだ。
「しかしなぁ………俺としてはまず、いくら不意をつかれてて、お前自身じゃなかったとはいえ、お前に負けたことがなんつーか………」
「悔しい、か?」
「馬鹿言えよ、お前マジでアホかよ。んなワケあるはずねーだろ」
どうやら図星をつかれたらしく、卓弥が早口になる。
病院について俺が始めに言ったことが、俺の心身乖離現象による一連の流れをかいつまんだものだった。
少し前なら―――昔の罪を表にするのも嫌がり、拒絶していた俺だったら、決してそんなことはしなかっただろう。
そして、いつまでも自分ひとり真実を閉じ込め、いつ知られるかわからないという恐怖に脅え、表だけの友情に酔いしれていただろう。
そうした卑怯な俺は―――また、変わったのだ。
痛みを、俺自身の弱みを共有してもらうことで、俺自身の「継続する」恐怖から逃れることを、選ぶようになったのだ。
それは、告白する瞬間のみの痛みしか味あわない選択。その後拒絶があったとしても―――卓弥から例えば絶交を切り出されたとしても―――隠し続けるよりもずっと楽な痛み。
俺特有の(こればかりは変わらなかったな)ネガティブ思考で言えば、今の俺も、以前の俺とは違う卑怯さを持っている、ということだ。
そして、そんな卑怯な俺にも、やはり卓弥は。
「………うわっ……お前だったのかよ……全力で叩き潰しとけばよかった」
あくまで変わらないままで接してくれた。
そのありがたさを、今では恥ずかしがることなく感じることが出来る。
幼稚な責任感や、子供じみた反発からの拒絶を、押し留めることが出来る。
そうすることが出来たのは―――俺自身と、俺の双子の―――
「そうだ、そういえばその花、前来たときと変わってないか?」
窓際に、そこだけ白さから遠ざかっているものがある。それは何もないキャンバスに始めて描かれた油絵の赤のように、強烈な存在感を醸し出していた。
初めて見舞いに来たときには、確か蒼い花だったはず。花には(というか興味ないものには)疎い俺でも、形や色を勘違いすることはない。
俺の問いに、卓弥は少しばかり言いよどむ。
「ん、ああ、それな……まぁ、見舞いの品なんだけどよ………」
卓弥が目を向けた先には、何のことはない、以前の蒼い花も飾ってあった。窓際から少し離れて、しおらしげに太陽を浴びている。
俺が目を見張ったのは、花がそれだけではなかったことだ。黄、紫、ベージュ、紺……卓弥が入院した日数とほぼ同じ分だけの花と花瓶が並べられている。
「なんつーか、樹の奴が………」
それで全てを理解した。
「成程………愛されてるな」
「バッ…………ちがっ、違うっつの!!あの野郎毎朝運んでくれる便利な自転車屋が消えたからって、さっさと治せって…………」
「いやいや、なかなか殊勝なことじゃないか。毎日違う花を、なんて………そうか、お前らそんなとこまで」
「テメ、お前なぁっっ!!だいたい――――」
生暖かい視線を送る俺に対して、慌てふためく卓弥が。
「――お前だって、鈴音が―――」
言ってから、卓弥もしまった、と思ったらしい。自在に動くようになった右手で口を押さえるような動きを見せる。
対する俺は。
「…………そうだな」
「………」
「わかってる。わかってるんだよ」
「……いや、その……」
「大丈夫だ。わかってるから」
「………違うって、そうじゃなくて、さっきのは―――」
別の意味で慌て始める卓弥に、
「お前、実は俺と夏葉に嫉妬してたのか」
笑みを浮かべて、言ってやる。
「…………………………………は?」
呆然とした卓弥に畳み掛けるように、俺は言う。
「そうだよな、確かに俺も意識しないところで見せ付けすぎてたかもな。すまん。彼女のいないお前にはちょっときつかったか。ま、でも樹がいるんだったらお前も―――」
「……っち、心配したこっちが馬鹿みたいだな」
苦笑いを浮かべる卓弥に、
「……心配は、してる。けど、何も出来ない以上待つしかないだろ?」
あくまで笑顔を浮かべて、言う。
「お前さ、変わったようで変わってないな」
卓弥が視線に多少の真剣みを含めて言う。
「そりゃ、どうも」
卓弥の言いたいところはわかっていた。
一人で背負い込むところが、まだ俺には残っている。そして、そうしていることを他人に知られないように無理をしている。
そう、卓弥は俺に告げているのだ。
わかっている。
さっきの言葉が、俺の変わった証であり、変わってない証明でもあることは、わかっている。
さっきまでの笑顔が、辛さを覆い隠すための社会的な仮面である事だって。
けれど、結局どうしようもないのだ。
今、禁言の居場所が知れない以上、俺からは何かをすることが出来ない。したところで、それが効果を持つとも思えない。
ただ出来るのは、信じることだけ。
むずがゆく、焦燥感にさいなまれながら、待つことだけ。
「………禁言の居場所が割れた」
突如として、第3者の声が白一色と花で彩られた病室に響く。低音の響きの中に柔和さを滲み出させるその声を、俺はかつて聞いたことがあった。
どうやら最近は、昔あった連中―――それも悪いほうで会った連中との再会が多いらしい。
病室のスライドドアを開けて部屋の中に入ってきた、落ち着いた色の和服を幾重にか巻きつけた中にあるその人間は、俺たちに笑みを浮かべていた。
協会の実力者、戎璽が。
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