第七十四話「戎璽の誘い」




久しぶりに会った戎璽は、以前よりも幾分かやつれたようであった。とはいえ、その雰囲気や威圧感、かつて一度しか感じたことはなかったが、それらの感覚は劣化することなく、むしろより強まっているように感じた。

「卓弥、お前の退院手続きはしてある。荷物を早々にまとめるが良い」

1ヶ月は少なくとも入院していなければならないといわれた卓弥が驚くのも無理はないが、戎璽はいたってまじめに言った。

「そもそも言霊で傷つけられたというのに、何故一般病棟にいるのだ」

「それは―――なんというか、俺が一枚噛んでて―――」

「お主は黙っておれ。わしは卓弥に聞いておるのだ」

俺の割り込みに答えた戎璽は、しかし何かを楽しむように笑顔だ。

「なるほど―――言霊による治癒阻害で、か。確かにない話ではない。が、」

顎鬚に手をやったまま、戎璽はいまだ一言も発せていない卓弥を見やる。

「その程度、自身の力で解けんでどうする。お主はやはりそこの月読家の人間よりも弱い、ということかな」

弱い、という言葉を、気のせいでなく戎璽は強調していた。萎縮していた卓弥が、その言葉によろけそうになる。

言霊でも使ったのだろうか、いや使ってはいない。流石は戎璽、言霊など使わなくても、部下のウィークポイントは抑えている、ということか。

「………そ、それは―――その、」

「油断かね?」

「だっ、断じて!」

あわてる卓弥を見て、何かを試して楽しんでいるような戎璽は表情を引き締める。

「なれば―――さっさと退院する用意をせんか。何時まで白いベッドに張り付いておる。醜態をさらした分、いやそれを払拭して余りあるぐらいは働けよ」

「は、はいっ!」

「それでよし」

戎璽は温和な表情に戻る。卓弥は自由に動くようになった体をフル稼働させて、さっさと自分の荷物をまとめようとしていた。

その様子をやや呆れながら見つつ、俺は戎璽に目をやる。

「いまさら卓弥の退院を取り付けた手法とかを聞くつもりはないが―――さっき、禁言がどうとか言っていたな」

戎璽はとぼけたような顔を俺に見せる。

焦らしているのだろうか。この男の性格はまだつかめないが、それは些細な問題だ。

今俺にとって重要なのは、奴らの居場所がわかったという戎璽の真意のみ。

無言の圧力を感じ取ったのか、戎璽はようやく口を開く。

「―――禁言の居場所がわかった。この町に来たのは―――そこにお主らを連れて行こうと思ったからだ」

聞いてもいないことを付け足す戎璽。だが、俺にとってはその付け足しこそが驚きだった。

戎璽は協会の権力者であるはず。協会は禁言と敵対しているのだから、居場所がわかったとなれば、自分たちがすぐに進攻するはずだ。

なのに、何故弱小一団体でしかない沙理奈事務所を連れて行こうとするのか。

そんなことを考えていると、私服の卓弥が洗面所から出てきた。手にはスポーツバッグを持っている。

「準備、終わりました!」

息を切らせているのはやはり1週間近い入院のブランクだろう。それでも5分も経たず準備を済ませたことには驚きを感じる。

「そうか。それではついて来い」

戎璽は病室を後にする。そのあとをついていこうとする卓弥だったが、ふと気付いたように病室に駆け戻る。

何をするのか、といぶかしんだ俺の手には、気付くと花瓶が置かれていた。病室の窓際にあったものだ。

卓弥は言い訳をするように、

「まぁ、その、なんだ。せっかく貰ったもんだし。あの事務所も殺風景だろ?」

と、微妙に頬を赤らめていたりした。

………結局、嬉しかったんじゃないか。

甚だ面白い。夏葉を連れ戻したら、真っ先に聞かせてやろう。



沙理奈の反応はなかなか面白かった。

多分俺だと思ったのだろう、事務所の扉をいい加減な挨拶と態度で開けた後―――目の前にいる人物を見て、数秒固まっていた。

器用にその体勢のまま後ずさり、椅子に倒れこんでも勢いを消しきれず、危うく机の角にぶつかりそうになったところを拓実に支えられていた。

意外すぎる沙理奈の一面に、それを引き出した戎璽への疑問は深まるばかりだ。

「………戎璽様、一体、何で?」

まだ現状認識ができていないのか、沙理奈は拓実の腕の中でうわごとのように呟いている。

それに対して、戎璽は苦笑のようなものを浮かべた。

「来る理由はいくつか思い当たるであろう。例えば、わしの後ろにいる小倅、あるいは部下の怪我、もしくは―――生霊評議会の壊滅に関係している、とかいろいろとな」

沙理奈は途端にたたずまいを直す。

それにしても、生霊評議会のことを知っているとは、やはりというべきか、なんというべきか。

「彪翁はどうしておる?生き残っているのだろう、恐らくは」

「え―――ええ、まあ。奥で、その他の精霊達と回復に努めています」

沙理奈は平静を取り戻し、ようやく自分の力だけで立ち上がる。

「ですが―――本当にそのためにここへ?」

戎璽に問う沙理奈の声色は、明らかに疑いを含んだものだった。

そんな沙理奈を見て、喜びだか感心だか微妙な笑顔を、戎璽は浮かべた。

「いや違う。そうだな―――丁度いい。ここで話をしよう。もうじき残りの連中もやってくるだろう」

戎璽はそういって、一つの椅子に座る。そうして、それらが我が物であるように、

「どうした、座らんのか?」

と俺と卓弥に言ってきた。

―――反論しない沙理奈に違和感を感じながらも、とりあえず座ることにする。

沙理奈と拓実は、あくまで戎璽をうかがうようにして、普段が信じられないぐらいに大人しくなっている。拓実はいつもと変わらないが、沙理奈が特に。

俺たちの視線を一手に集める戎璽は、顎鬚をなでながらあたりを見回している。

「1週間に満たないかの、わしの部下の一人が、禁言の隠れ家を見つけてからは」

沙理奈はその言葉に目を見張る。ようやく戎璽の来訪の目的がわかったのだから。

「わしはすぐに協会に図って彼奴らを叩こうとしたが―――どうやら生霊評議会の壊滅が相当なプレッシャーとなっていたようでな。禁言の名を出した途端に評議員どもが青ざめおった」

そういう戎璽は、まるで我が身を省みるように自嘲の笑みを浮かべる。

「それに―――どうやら協会内にも内通者が入り込んでいるのは確かなようだったのでな。不用意にこの情報を漏らすわけにもいかず、かといって今奴らを叩かねば示しがつかない」

そこで、と戎璽は俺たちを見回す。

「お主らの出番というわけだ」

「ちょ、ちょっと待ってください」

沙理奈が頭を抱えて戎璽の言葉をさえぎる。戎璽に意見することがやりづらいのか、小さくうなっている。

「そこで、何で私たちのような弱小の団体が出てくるのですか?」

「弱小とな。残念ながら、わしはかつての弟子たちの実力を過小評価はできぬよ」

戎璽がおどけたように笑みを浮かべる。沙理奈が言葉に詰まっているところを見ると、どうやらそれも真実らしい。

なるほど、それで戎璽には頭が上がらないわけだ。しかし、どうせだったら師匠に似た人格を形成して欲しかった。

「しかし―――沙理奈さんは、今は―――」

拓実がやや言いづらそうに戎璽に意見する。

―――そういえば、さっき戎璽は“弟子たち”といっていた。つまり、拓実も、なのか?

「それはわかっておる。だがな―――他に動かせる団体がないのだよ。わし直属の連中も、ほぼ動きを制限されてしまっているからな」

「それは、どういうことですか?」

沙理奈が尋ねると、戎璽は至極さらりと、



「ああ、わしは現在協会の地位を追われておるからな」



爆弾発言をのたまった。

確か、聞いた話によると、戎璽は協会の権力者だったはず。それならば、独断でここの事務所よりも大きな戦力を動かせただろう。

それが、わざわざこんな事務所を頼ろうとしてきたということは………

「………いった、い、何で?」

信じられない、と顔に書いてある沙理奈が何とか聞く。

「上層部の連中は、禁言を恐れている、できればこのまま放置しておきたい、ことを構えたくない、と考えているのだ。だからこそ、わしが邪魔なのだろうな。諮問会にかけて、今やわしは窓際の部門長だよ。あの地位はいろいろと便利だったのだがな」

それでも戎璽は笑顔のままだ。こちらの驚きなど気にも留めていないかのように。

「そういうわけで、お主らに共に来てもらおうと思ってな」

「む、無理でしょう!私たちの戦力など―――」

「そこのデカイ機器で、協会本部の中枢に何をしているかは知らんが、ランクEマイナーというのはいくらなんでもすぐにばれるぞ?」

沙理奈がいたずらを見つかった子供のように縮こまる。なるほど―――あれで協会を相手取っていたずらをしていたわけか。

「隠すこともなかろう―――言具使用者が少なくとも2人、それに片方は四家の一角。さらに、沙理奈、お前と拓実―――その実力がAに位置づけされることはあってもBを下ることはない」

戎璽はひたすらに言葉で攻めてくる。本当に他人の急所をつくのがうまいというか、なんというか。

「まだ渋るというのなら―――協会に、お主のいたずらとやらを報告しても構わぬが?我が弟子、佐藤沙理奈よ」

「――――――――わかりました。ですが、連れて行く人間はこちらが決めます」

「よいだろう」

会心の笑みを浮かべる戎璽。俺はようやく自分の考えが間違っていたのを知った。

つまり、沙理奈は師匠に似たのだ。瑠奈さんともどうやら関係があるらしいから―――師匠2人の影響を余すところなく受け継いでくれたというわけか。いまさらながら戎璽に殺意を覚えるな、昔殺されかけたとき以上に。

「では―――とりあえずお主と拓実は決まりだな。こちらは凌斗とフェリオを出す。今頃二人で隼をつれてくるだろう。それから―――病み上がりだが、卓弥、いけるな?」

「も、勿論!」

卓弥はあわてて返事する。よし、と戎璽は笑みを浮かべる。

「そして―――あとはお主だ、月読家の子供よ」

戎璽は俺のほうを向く。

一瞬置いて、答えてやった。

「俺は―――月読家の子供じゃない。ちゃんと、深月龍哉っていう名前がある」

戎璽は一瞬きょとんとしたようだったが、すぐに目を細めて笑った。

「そうだな。深月龍哉よ、お主はどうする?」

「行く。駄目だといわれてもついていくさ」

決まっていた答えを、戎璽に向かって宣言した。

「僕らも―――行きます」

声のしたほうに目をやると、扉からは人間の姿をかたどった、宗冶狼と諷がいた。

その足取りは確かだが―――まだ万全でないことは目に見えて明らかだった。

「―――足手まといにはなるな。それでいいな?」

「勿論」

やや顔の青い宗冶狼は答える。その表情は笑顔だった。

戎璽は俺たちを締めるように、椅子から立ち上がる。

「ならば―――本日午後11時、港埠頭に来るのだ。準備はしっかりとしておけ。作戦の目的は、敵首領の首、あるいは禁言の無力化だ。不意打ちならば倒せぬ相手ではないはずだ。全員、万全を期すように」

俺は心が昂ぶるのを感じていた。

もうすぐ―――もうすぐ、夏葉を救い出せるのだから。




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